おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

同窓会  (第964回)

 いちいちお断りするのも大変なので書いていないが、感想文なので漫画にしても小説にしても、時にはストーリーの根幹や細部に至るまで触れることがある。特に映画の場合、ここは漫画と違うという場面があり、本作においては映画をミステリー仕立てしたこともあって、その違い自体が重要でもある。

 そういう訳で、今回もそうだが、まだ映画を観ていなくて、観る気になるかもしれないお方は、拙文のせいで興味が半減する羽目にならないよう、ご注意願います。冒頭はほとんど漫画と映画は変わらない。コンビニ、チョーさんたちの登場、金田少年の怪死、敷島教授の自宅でケンヂが見た何かのマーク。


 そのあとの同窓会は、漫画と設定が異なる。映画では普通の学年単位の同窓会が、たまたま開催されたようにみえる。漫画では6年3組だけのクラス会で、企画したのがユキジ、幹事でありながら働きが鈍いのがケンヂ、目的は例のともだちマークの創作者を探すためであった。

 映画がクラス会に代えて同窓会にしたのは、小学校でクラスが同じだったか違ったかが、漫画では一種の引っ掛けのような材料にも使われていて、ミステリ・ファンは今一つ釈然としなかったかもしれないのだが、映画ではクラスはいわば関係の無さそうなものに構成を変えている。

 これは、”ともだち”が複数だったという漫画の重要な筋を変更して、おそらく予算と上映時間の関係で一人に絞ったことによる。このため、基地の仲間もみんな同じ教室に顔をそろえているのだが、別に大きな問題ではなかろう。なお、友達の「達」は、そもそも複数形である。


 出る気が無かった様子のケンヂがこの同窓会に出たのは、先日、出会ったマルオから「女子プロレスラー」のユキジも来るかもしれないと、からかわれて、つい来た。場所は居酒屋で、部屋の障子に「ここからはいるのだ」と赤塚的な張り紙がしてある。出入り口そばの席に宮迫ケロヨンが座っている。結婚報告があった。

 どうやらクラス会は繁閑の波があり、大学時代や子供の手が離れるころ、そろそろ会社などの第一線から身を引いていくころなど、要するに大勢が集まりそうなときによく行われてきたのが私の半生の経験である。二十代はお互いの披露宴に呼び合っていたし、他の遊びに忙しくて余り同窓会・同級会はない。老い先短くなるとメンバーの減少によりクラス会は維持できず、必然的に同窓会は敬老会のような様相を呈する。

 このときケンヂの学年の同窓会は、三十代後半だから子供の手が離れる時期(昔はみんな同じころに結婚して、同じころに子供を産んでいたもんだ)に当たるのだろうが、出席者は一学年としてはやや少ない。先生は4人か5人か来ているのだが、元小学生らはまだ旧交を温め合うほどの歳ではない。


 漫画ではクラス会のあとでケンヂが、酔いつぶれた風のフクベエを家に送るという大事なシーンが出てくるのだが、映画のクラス会はどちらかというと登場人物紹介になっている。香川のヨシツネ、石原のマルオ、小日向の山根君、佐々木のフクベエ、フミヤの池上、ふっくんのノブオ、遅れて宇梶のモンちゃん。ドンキーやオッチョや双子も話題に出てくる。犯人はこの中にいそうな気がする。

 モンちゃんはすっかりドイツ慣れしていて、ドイツ語を乱発するので上手く会話が成り立たない。これは海外駐在で現地語を使い続けて帰国した経験のある人には実感できると思う。適切な日本語が思い浮かぶ前に、もっと似合いの外国語が飛び出してしまう。気障に聞こえるだろうなと思いつつ止まらない。なお、モンちゃんはドイツよりソーセージを密輸してきたらしい。日本の通関は動物系の食い物にうるさいのだ。
 

 乾杯の音頭は、司会の池上がしくじったため、掛け軸を背に教諭組の真ん中に鎮座していた関口先生が代打で登場し、でもセリフは真似て「Cheers」(発音が悪く、チェアーズになっている)と仰ったまま映画からは消えてしまう。残念である。重要な脇役だったのだが。

 何が切ないと言って、サダキヨの「ともだちができました」という旧師関口先生への葉書の嘘ほど切ないものはない。サダキヨは転居先で通い始めた中学校で、イジメにこそ遭わなかったようだが、そのかわり「顔のない少年」から更に退化して「いない人間」になってしまった。

 顔のない少年とは、フクベエの言いなりで顔の無いテルテル坊主なぞこしらえて、同級生を驚かそうとした罰が当たったかのような自虐的表現である。先ほど嘘と書いたが、仮に本当だったとしたら、読者に思い浮かぶのはフクベエだけ。あるいは更に想像を逞しくすれば、むかし同じお面をかぶっていた少年がいた。


 この同窓会でケンヂは周囲から、「変なカルト教団か何か」の話を聞かされる。そのシンボルマークを一人が描いてみせ、それは驚いたことに敷島教授の家の壁に書きなぐってあった「何か懐かしい」グラフィティと同じものであった。頼りのユキジは白い粉事件で欠席である。ヨシツネは彼女が「麻薬Gメン」であるという。兼業であろうか。

 よげんの書も話題になったが、何のことやら思い出せずに、不得要領のままケンヂは帰った。彼が否応なく事件に巻き込まれて目が覚めるのは、いま一つの事件が起きるのを待たないといけない。それは新聞記事となって、お母ちゃんがまたもやコンビニの新聞をただ読みしたおかげで目に留まった。こういうニュースのときの常道で、ドンキー先生は笑顔で写っている。



(この稿おわり)






セイタカアワダチソウ (2015年11月3日、東京都新宿区にて撮影)







 元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る?

                 「案山子」  さだまさし



 返し

 「先生、この夏休みに僕にも、友達ができました」 さだきよし













































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