おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

オッチョの消息     (20世紀少年 第57回)

 話を少し前に戻して、第2巻の第2話は「オッチョ」というタイトルである。とはいえ彼は登場せず、その過去が少しずつ明らかにされ始める段階である。

 29ページ目に、カウンターで口をぽっかり空けて驚いているケンヂの前で、ユキジが背筋を伸ばして立っている。この立ち姿の美しさは、映画で常盤貴子がみごとに再現していた。

 
 ケンジが驚いていたのは、ともだちマークの発案者がオッチョであったことをユキジに指摘されて思い出したからだが、その後、ユキジはさらに友人の市原弁護士にも調査を依頼したらしい。ユキジはちゃんと動いているのだ。というより、ケンヂがドンキーの死の真相を知るまでは、ユキジが一番の貢献者である。

 市原弁護士は、さすが法律家だけあって、調べ事に長けている。9年前、落合長治という商社マンが、タイで自動車事故を起こしたのか、行方不明となり、その1週間後に現れたものの会社を辞めて、今度こそ消息を絶ったままであること、また、退社の1か月ほど前、日本に残していた奥さんと子供とは離婚で別れていたことを探り出している。

 オッチョが”ともだち”なのか? ユキジは、まさかあのオッチョが、と言っている。ドンキーの死に際しても、まさかあの子が自殺なんてと言っている。両方とも女の直感は正しかった。


 第5話「人類滅亡の時」において、ユキジは再びケンヂの店を訪ね、クラス会の案内状の原稿と、その送付先の住所録をケンヂに渡して、あとはやれと命じている。幹事とか旧交を温めるとかいうのが大嫌いなの、だそうだ。それでも企画と準備までやった理由は、オッチョの消息を旧友たちから仕入れるためであった。これは上手くいかなかったが。

 ともあれ、ユキジはすでに追加情報まで入手していて、8年前、商売敵の商社マンが、バンコクで仏僧姿のオッチョと会ったというのだ。そのとき、オッチョは「これからチベットに行くんだ」と答えたという。

 行方不明になってからのオッチョの動向は、この後ある程度まで明らかにされるのであるが、なぜオッチョがチベットに行き、さらにその後でバンコクの裏社会に身を沈めたのかは、ついに分からず仕舞いである。


 ケンヂとの別れ際に、ユキジは、店の経営のためにバンドを辞めたと語る彼に、「本当にそんな理由でやめたの?」と問うている。ケンヂは本当の理由を思い出せない。私はこれまで何回もケンヂの記憶力の「悪さ」を話題にしてきたのだが、むしろ彼は数多くの辛い思い出を、無意識の奥底に抑圧したままになっていたのかもしれない。

 そう考えると、第19巻の194ページから始まる回顧譚において、「記憶をなくした。怖くて逃げた。記憶が戻った。いや、逃げ切れなくなった。三日三晩、泣き明かした」などと語られる一連の彼の行動も、少し分かるような気がする。ケンヂはバンドもコンビニ経営もカンナの育児も一所懸命やっている。そうせずには、いられなかったに違いない。


(この稿おわり)


ヒマワリの花は、その名のとおり、そろってお日さまの方を向くはずなのに...。
(2011年7月25日撮影)