おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

言論の自由  (第1252回)

前回までは、別ブログ「憲法と社会」の過去記事を自分でリブログしていました。今回からはリアル・タイムですので別途カテゴリーをつくりましたが、内容は継続します。基本は憲法および関連法規の自習であり、時には時事の話題に及びます。今回は放送法関係の調べ事、続いて次回は過去にあった疑惑を題材にします。

日本国憲法には、よく言われる「言論の自由」についての規定が第21条にあります。誰の自由を保障しているのか書いていないが、思うに日本国民だけでは法人が含まれないので、ここでは自然人も法人も含まれると考えます。憲法によく出てくる「何人も」という表現も、同じく法人を含んでいるのだと思います。では第21条を引用します。


第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

これを見ると、「言論の自由」というのは、「表現の自由」の構成要素の一つであることが分かります。それでも言論という言葉がよく使われるのは、表現というと例えば私のお喋りも含まれるのに対し、報道機関や言論人の表現の自由に議論を絞りたいときは、言論の自由のほうが通りが良い。


留意しておきたいのは、条文においては「言論」と「出版」は別扱いです。英語でいうと、言論はスピーチ。出版はプレスです。さて、次回にテレビ番組の事例を検討しますので、今回は憲法に加えて放送法も読みます。第一条の目的条文を転載します。

第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。


おなじみ「公共の福祉」が出てきます。放送は、「公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的」としています。憲法には「公共の福祉に反しない限り」という、基本的人権の制限がありますので、その制約が続々と登場しないよう、放送は規律され、公共の福祉の健全な発達を図る役割を持ちます。

ちなみに、私が子供のころの実家は地上波のみで、受信機はトランジスタ・ラジオと、白黒のブラウン管型テレビだけでしたが、今や多種多様で、第二条の定義を読んでいても、実感の湧かないものも含まれています。次の第三条は次回に話題と致します。法律で定められた権限がない者が、放送番組の制作や放映の邪魔をしてはいけません。


今回の最後に、しばしば話題になる第四条第一項を読みます。まずは、その全文の引用です。これがきちんと守られているのかどうか、私はしばしば疑念にかられます。

第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

次回はこの条文に関する一事例で、特に第二項の政治的公平性、そして第三項の事実をまげないことに関する疑惑があったことに言及します。


(つづく)


故郷静岡の田園 豊かさの象徴です  (2022年10月17日撮影)























.