おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

権利についてのおさらい  【後半】  (第1360回) 

 前回の続き。そして同書では、ここからが私にとってはありがたい情報である。この本によると、(1)日本国憲法では、「基本的人権」という言葉を使うとき、天賦の人権を意味した。(2)「自由および権利」というときは、後国家的人権を含む、広義の人権として用いられてきた。(3)しかし今日では、これらの言葉を区別することは、あまり重要ではなくなってきている。

 重要でなくなってきているのは、もちろんのこと権利そのものではなく、歴史的意味の(1)と(2)を峻別する作業のことである。日本国憲法にとって重要なのは、基本的人権天皇が臣民に与えた権利ではなく、人間が生まれながらに持っている権利であることを表明した点にあるという旨の追記もある。


 つまり広辞苑も私も(一緒にすると、岩波書店は怒るかな)、すでに(3)の段階にきているため、(1)と(2)が明確に別個のものとして認識されていないということである。しかし、それはもう重要なことではないらしいから、必死に悩むほどのことではないのだ。それでも折角だから、少し考える。

 前回引用の第11条は、「基本的人権」が「享有」であるという規定をしており、一見トートロジーのように思えるが、この種の説明の仕方は辞書ではお馴染みのことで、他の言葉では解説しようがないものを表すときは、どうしてもこういうふうになる。それでも知らない人が辞書を引くときと同様、基本的人権について無知なる国民に対し、噛んで含めるように書いているのだ。


 第12条に出てくる「この憲法が国民に保障する自由及び権利」は、これでようやく分かって来たのだが、国家なるものができて国民の権利を侵害し始めたため、後になって手に入れた権利も含めているという意味の表現だろう。こちらは、国家が変容すると、また振り出しに戻る恐れが、より強い。信教の自由など、その際たるものだろう。

 ゆえに、不断の努力が要請されるわけである。また、政治的・軍事的に勝ち取ったものだけに、生存権などと異なり乱雑に扱いかねないので、濫用を禁止し、公共の福祉を重んじている。第13条では「人が人たるがゆえに持っている権利」が、集団で持っているものではなく、個人が有するものだと明記した。これを改正草案は「人として」に変えようとしている。


 ところで、第13条には、前二つの条にある「保障する」という言葉のかわりに、「尊重される」(これは「個人」が主語)という表現があり、さらに中でも重要と思われるものに「最大限の尊重」(こちらは「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が対象)という形容詞がついている。

 憲法には「尊重」という言葉がここ以外にも、もう一箇所あり、すなわち遠い先だが重要な条文で、「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とある。


 日常用語の尊重という言葉の用い方となると、例えば、会議や議論の途中で、上司に「君の意見は尊重するがねえ」と言われたら、たぶん尊重されていない。英文版の憲法も、第12条と第99条の「尊重」は「respect」であり、このリスペクトというカタカナ英語も、ずいぶん乱用されて重みがなくなった感じがする。今や「尊敬」の語感より、ずっと軽い。

 しかし、第12条と第99条での使われ方は、決してそんなに軽くないだろう。改正草案もそこは承知しているようで、新設条項の第3条(国歌と国旗)、次に話題にする第24条(家族の尊重)、改正案第102条(国民の憲法尊重義務)などにおいて乱発している。あまりに使うと軽くなるのでご注意を。


 しかも、改正草案はその「前文」と、新設の「緊急事態条項」において、「基本的人権の尊重」を謳っている。つい、大いに結構と言いたくなるところだ。しかし現憲法では、上記の第11条および改正草案が全文削除という荒業を見せている第97条「最高法規」の条項の二か所のみにおいて、「基本的人権」という概念を扱っているが、「尊重」は使っていない。

 これは、そもそも生まれながらに持ち、侵してはいけないものなのだから、「尊重」は外して当然の用語選択、文章表現だろう。それを、わざわざ「尊重する」と国家に言われるとは、どういう事情によるものか。なお、第13条において、生命は「最大限の尊重」であって、侵すべからざるものではない。死刑制度があるからだろう、きっと。死刑囚にも基本的人権はあるのだ。

 尊重という言葉に最後までこだわった理由は、先述のとおり、次の第24条に、新たに加わった用語だからだ。経済の自由のところで、私のように憤慨している人は少なさそうだが、第24条に対しては、ネットをちらっと眺めただけでも手厳しい反論が多い。いろんな角度から指弾されているようだが、とにかく日本人の心の琴線に触れてしまったのだ。では、そこに進む。






(おわり)








諏訪より八ヶ岳連峰の遠景
(2016年10月18日撮影)













































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