おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

人口政策確立要綱  (第1926回)

 本稿では、2012年に自民党が決定したという「日本国憲法改正草案」を、いまの憲法と比べながら読んで参りました。今年(2019年中)に、国会での動議から国民投票まで推し進める計画だという報道を耳にしておりますが、その具体的内容は相変わらず曖昧模糊としております。

 この憲法下では初めての、改正にむけた国民投票の実施を目標にしているわけですが、数値にバラツキがあるとはいえ、有権者の関心は他の政治課題と比べて、必ずしも高いとは感じられないデータが出ています。とはいえ、国民投票をやると決まったら、関心の高低と、改憲の賛否は別問題です。放置できません。


 したがって、早く改正案を出していただきたいものですが、自衛隊憲法に明記するという話ばかり繰り返し聞かされ、それでは「憲法は国の理想」というかねがねの主張がある一方、実際は文言の追加のみで、「現状追認だけなのか」という疑問を持っています。本当に本当それだけなら、どうやら法制度は変わりません。

 ただし、従来の憲法拡大解釈と防衛予算の積み増しに勢いを付けたいということなら、過半数有権者の賛同を得たら、それが「総意」ということにされて、ますます実質的な軍事大国化が進むはずです。昔そうだったですから、この国はいったん威勢が良くなると危ないのです。

 それに、改憲なり国民投票なりは、法的な回数制限やインターバル制度はありませんから、矢継ぎ早に何度でも、できます。いま特に人気が高く仲間が多いといわれている二人の有力政治家は、一見、角突き合っているように見えますが、原案では危険物そのものの緊急事態条項の導入については同じ穴の狢です。


 集団的自衛権を国家が憲法解釈で認めたことにより、実態上、アメリカの交戦国や仮想敵国は、自動的に、日本の仮想敵国になりました。いつどこでどの国と戦うことになるのか、もう分かりません。かつて、ほんの少し前まで日英同盟のお仲間だったイギリスが、ドイツと戦争を始めた途端に、東南アジアで同国と戦争になりました。1941年の出来事です。

 それに加えて近年、東アジアで揉め事つづきです。かつて大東亜と呼んでいた場所です。共栄といえば平和そうで美しい響きですが、実際に日本が目指したのは同地域の「指導者」でした。そのための手段の一つとして、私が子供のころも、まだよく言われていた「産めよ増やせよ」というスローガンができて喧伝されました。そして、頭数が増えようと、国家は全体で一つに統合されなければならないと考え始めた。


 今の日本は人口減少と少子化で苦しみ始めていますが、その当時(日中戦争が続き、太平洋戦争が始まろうとしているころ)は、この大東亜の盟主たるべく、大日本帝国は人口を増やし、しかも民族の質を向上させるという計画を立てました。ドイツから輸入したと思われる、優生思想も公式見解となり、法律までできた。永久に発展するためには、手段を厭いません。

 人口の量的増加は、兵士および労働者を増やすためです。特に、優秀な兵士が育つのは地方であり、また、当時は日本の基幹産業だった農業を支えるためにも、国家は農村の人口増加を企図しました。軍備増強と経済発展のための地方振興です。数値目標は1960年(私が生まれた年)に、人口一億人。実際は少し遅れて達成です。幸い、戦争は終わっておりましたが。


 民族の質的向上というのも不気味な話題です。優生思想は、要するに兵士や労働者や子づくりの担当者として、「生産性が低い」人たちの排除です。その中には、おもに都会で暮らす個人主義基本的人権の尊重に毒された、私のような軟弱者も毒物として含まれており、何としても減らさないといけないと戦争指導者は考えました。規律と道徳が重要です。

 このためには、「世界観」も変えるよう教育・指導すべきであり、個人を基礎としてはだめで、「家」(家族)と民族こそが国の礎であると説く必要があります。女性は働いている場合ではなく、二十歳にもなったら仕事はやめて、良妻賢母になり、一人当たりの出産・育児は五名をノルマといたします。


 まるで出来の悪いディストピア社会のSF小説みたいですが、そんな生易しいものではなく、この結果、拡大・継続した「惨禍」により、自国民だけで三百万人以上を殺し、大東亜の犠牲者はたぶん数え切れていません。今回は最後に、上記の自民党改正草案の前文を再掲するともに、国立国会図書館の関連サイトもご案内します。まず、青字で前文改正案です。新しい年号に、この中の字が入りますかどうか。


日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。


 そして、昭和十六年一月(1941年1月)といえば、マレー上陸作戦および真珠湾攻撃と同じ年の11か月ほど前、近衛文麿内閣は、次の閣議決定を行っています。旧字で読みづらいですが、内容は単純空虚なもので、難解な理論ではありませんから、読みくだすことはできます。「人口政策確立要綱」といいます。

http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/285185/www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14144606.pdf



 


私が通った幼稚園。少子化のためか、廃園になった。
(2018年12月30日撮影)







































.