おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

改めて教育基本法のこと  (第1916回)

 教育基本法の改正については以前の記事において、「ミニ憲法」というタイトルで話題にしている。ミニ憲法というのは当方の勝手な造語で、この改正教育基本法(2006年施行)が、自民党憲法改正草案(2012年公表)の、特に、前文案と似た言葉が多いからだ。

 第84回では、道徳という、科学を前提にした知育・体育とは次元の異なるものを、「誰が教えるのだ?」と執拗に書いた。だがもう、小学校では本年度(平成30年度)から道徳教育が始まっているし、また、中学校でも同様に来年度から、正式な教科となる。つまり、落したら進級・進学できない。先生が教科書等で教えると学習指導要領で決まった。どんな内容なのかは、まだ知らないが、いつか調べる。


 ここでは、かつて取り上げた教育基本法の改正内容と、前回からの続きで最新情報と思われる自由民主党憲法改正案を比べる。まずは後者について、前回の繰り返しになるが、現第25条の第1項および第2項はそのままとし、第3項に次の新しい項を加えるという案が報道されている。

(第3項) 国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。


 前回指摘したように、「国は」で始まっており、これは直前の第24条第2項と同じ。第24条では、社会福祉社会保障を行う主体として「国」という言葉を使っているので、これは国民でも国土でもなく、国家(政府)の意味だ。そのすぐ次の第25条の「国」も、同じ語義でなければ不自然極まりないので、ここでも国家・政府と読む。

 そうなると、続く文中に出てくる「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである」という箇所にある「国」も、国家・政府を指すはずだ。「役割を担う」のが、何か・誰かと言えば、前半からの流れでいけば、おそらく「教育」なのだろう。

 だが、現実のプレーヤーは、抽象概念の教育というより「国民一人一人」だ。なにゆえ、私や私の子孫が、国家権力の未来を切り開く役割を担わなければならないのか。自分らの世話で精いっぱいなのに。目指すは全体主義ですか。この先は、教育基本法の出番。以前も引用した文部科学省の資料に、同法改正前後の新旧比較表がある。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/06121913/002.pdf


 この平成18年というのは、小泉政権が終わり、安倍政権が始まった年だ。「ぶっ壊す」と言った対象は自民党のはずだったが、ほかにも、いろいろ壊していないか。上記の新旧比較表のうち、下線部分が新たに加わった箇所であり、すでにここで「国の未来を切り拓く」という麗しい表現が出てくる。

 これをもう少し具体的に述べたのが、2012年改正草案の前文にある「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。 」ということなのだろう。また、旧教育基本法の目的条文である第1条から、何が削られたのかも確認しなくてはならない。


 現政権が、政策上(つまり、予算の支出目的として)、最重要視しているのは経済発展である。もとより、民主主義より資本主義のほうが好きな国民であり政党だから、そういう主張に対し「黙れ」とは申しません。経済成長政権である証拠は、一部だけでも挙げると、アベノミクスの連呼、経団連との仲の良さ、本年は会期を延長してでも「働き方改革法」と「IRカジノ法」を成立させた。LGBTは「生産性」がないから、税金は使わない。

 日本の現状をみれば、今後、経済成長は至難の業だ。私だって不安だが、現実は見据えないといけない。人口がこれからもどんどん減り続ける。国家の借金は返せる見込みがない。上場企業の株主は、外資が遥か過半数を超えており、かれらへの配当金や、相変わらず乏しい地下資源や自給率の低い食糧の買い物のため、富は、ゆく川の流れの絶えざるがごとく、海外に流出し続けている。そして、東アジアや東南アジアの国々が、立派な経済力を身に着けてライバルとなった。


 それでも経済成長を求めるのは、それにより犠牲者が出ようと、富の分配の「イス取りゲーム」で勝ち残りたい人々である。なお、道徳教育と経済成長を、憲法に謳うことの危険性・不適切であることについては、以前ここで紹介申し上げた樋口陽一小林節「『憲法改正』の真実」(集英社新書)に載っているので、是非ともご一読願いたい。

 同書でも示唆されているように、現政権の云う道徳というのは、むしろ宗教に近いかもしれない。それについては、次回に続く。ともあれ、道徳も社会のルールであり、日常的には法律に負けず劣らず私たちの行動を律しているのだが、この道徳が立法府を経ずして、学習指導要領と教科書だけで、公式に子供たちに教え込まれる訳だ。文字どおり、お国のために。


 最後に、近年の政府や報道機関による文部科学省教育委員会、学校の現場に対するバッシングが激しい。もちろん、文部科学省の高級官僚による不正行為などは放置してはならないが、一方で特に財務当局から、教育当局への権力(予算権限)によるハラスメントが目立つ。

 私も二人の知己が教育委員会で働いていたこともあり、なぜこの教育委員会という特殊な制度ができたのか、その大まかな経緯は聞いている。ネットで調べることもできる。不気味です。この道は、いつか来た道。



(おわり)




台風12号の影響で順延になった隅田川の花火大会、
満月の夜と重なりました。 (2018年7月29日撮影)


































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