おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

私は真珠湾を忘れない  (第1921回)

 今回は、第二次世界大戦が本題ではなくて、ここは憲法のブログですから、第10章の「最高法規」についてです。

第10章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


 周知のとおり、自民党の改正草案は、第97条を全文削除した。この草案をまだ固持している有力議員もいるし、忘れたのか?と心配になってきた首脳もいる。改正草案の第97条削除は、同様の規定がその前にも(第11条)あるから、重複を避けるということらしいが、似ているものが二つあるのは確かとして、なぜここにもあるのかを考える。

 第11条は、国民の権利と義務を謳った章に置かれていて、これは当然であり、不可欠である。ここは改正草案もさすがに小細工はしているが、削ってはいない。では、どうして第10章にもあるかというと、その次の第98条第1項で定めている、憲法最高法規である所以を説いたものだ。第99条も併せて、三か条そろってこその、最高法規の規定です。基本的人権を国民の永遠の権利と認めているからこそ、最高法規なのだ。憲法だから最高法規というトートロジーが、改正草案の、みっともなさ。


 さて、この次の第98条第2項は、国際法規について書かれている。手元の「読むための日本国憲法」(東京新聞社政治部編)によると、日本国憲法と国際条約が矛盾した場合はどうなるのかという論点について、相応の分量で説明文を置いている。昔から大きな論点だった。一言でいうと、政府の立場は「ケース・バイ・ケース」という、最高法規にふさわしくない歯切れの悪いものらしい。

 国際法学者には、驚くほど改憲論者が多い。彼らは条約に詳しいだけに、「ケース」の数やその矛盾の深刻さに内心困っており、でも条約は相手国あってのことだから容易に変えられないので、つきましては憲法に擦り寄ってもらおうという魂胆なのだろうか。


 その名も高き日米安全保障条約は、両国の最低限の義務として「協議する」と書いてあり、お互い各々の憲法に従うとも明記されている。アメリカは、日本が軍事攻撃されても、協議のうえ傍観することができる。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html

 次また、トラが大統領に選ばれるようなら、この安保条約は破棄しても実害はないのではないか。これがあろうと無かろうと、アメリカは国益になるとみれば勝手にでも戦争に来るだろうし、国益にそぐわなければ来ない。自明のことである。大統領が常にその道一筋なのだから。それにこれは、ソ連が仮想的国だった石器時代の遺物です。


 学生時代、経済学部だったのだが、必須科目に法学部の単位が幾つか必要で(前に書いたような気がする)、なぜか国際法を選んだ。単位、くれました。その教授に教わったことで、今でも一つだけ覚えているのは、国際法は成文法にこだわるな(つまり、書いてないことも多いし、書いてないことでも重要だ)ということだった。

 そりゃそうだと思う。全ての国が加盟している条約の話など聞いたことがないし、参加しなくても罰則はなく、国際法を遵守せよという国際憲法のような最高法規もなく、実はかなり、あいまいなところのある世界です。そもそも国連憲章だって安全保障理事会があるくせに(というか、それ故に)戦争するなとは書いていないし、国連に入らない自由もある。一国内とはいえ、憲法・国内法の圧倒的な拘束力とは次元が違う。

 第99条によれば、日本の内閣は、憲法を順守する義務が総理にある以上、憲法に矛盾する条約に調印してはならないし、国会は憲法に矛盾する条約を批准してはならない。司法は、仮にそのようなことがあったら、違憲状態などという奥歯にものの挟まったような言い方をせずに、厳然たる態度で臨まなければならない。憲法に違反することなくして締結したならば、誠実に遵守しなければならない。


 何も私は、国際法や条約など、どうでも宜しいと申しておるのではありません。むしろ実務的な分野、例えば船と船が正面衝突しそうなときは、どちらに舵を切るべしとか、日本人が考案したらしいが、非常口の緑と白のロゴマーク(人型が走っているやつ)の国際基準などは、成文法があるかどうかも知らないが、立派な国際法であり、人命にかかわる極めて重要な国家間・関係者間の取り決めです。

 戦時国際法は、有体にいえば帝国主義時代の白人種が、自分たちの都合の良いように創り上げたもので、後発国にそれを守らせるためには、欧米も一致団結して新人の不良を懲らしめる。一番ひどい目にあったのは、まず間違いなく先の戦争の日本で、捕虜の虐待と、宣戦布告の一件が典型だ。


 捕虜を虐待してはいけないというのは、いち早く近代軍事植民地主義国家になった欧米諸国が、それまで職業軍人(日本で言えば武士階級)だけで戦っていたのに、人手が足りなくなって、一般人も戦場に引きずり出す必要が出て来た。だからこその四民平等です。でも、その素人たちが、捕虜になって拷問に遭い、軍事機密をべらべら喋られたのでは、お互い戦争指導者たちが困る。

 さらに、捕虜になったら虐待されるとなると、そもそも兵役を忌避しようとしたり脱走しようとしたりする者が増えるだろうし、要は人手不足に拍車がかかってしまうから、拷問はお互いやめておこうということになった。日本軍は、精神論の路線をとり、捕虜になるまえに死ねという道徳律でがんじがらめにした。これもこれで酷い話だ。


 宣戦布告も、これをやっておかないと、高級軍人はもちろん、政治家や王侯貴族が「逃げる間がない」ことになってしまうので、せめて政府間同士では、事前連絡を取り合いましょうという便利な手段を発明したものだ。さて、この点について、アメリカは朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、宣戦布告をしていない。

 日本の(アメリカのではない)国際法学者の中には、朝鮮戦争ベトナム戦争も、内戦だから宣戦布告は必要ないと断言する者がいる。思想的狂人だろう。アジアでは、幾ら殺しても人道上の罪にはならないらしく、だから平気で原爆を落す。枯葉剤を撒いておいて、何が内戦か。


 私はかつて、ベトナム枯葉剤の後遺症についての現地調査をした人から、そのときの感想を一対一で聞いたことがある。アメリカ軍は、部隊によって、枯葉剤を使ったものと、使わなかったものがある。陸戦だから、その結果、地理的に使用不使用の差が出た。気の毒に世代を超えて生まれつきの障害がいまなお絶えず、「まだらに、障害児の多い村が散在しているのですよ」というご報告であった。返す言葉などありません。

 米国が真珠湾攻撃の前から、日本の暗号を解読していたというのは、もはや通説と言ってよいのだろう。情報源は、他にもスパイやら文書を盗むやら、第三者国からの提供もあるだろうし、「ルーズベルトは知っていた」というのは、陰謀説のようなものではあるまい。「リメンバー・パール・ハーバー」は、カウボーイを戦場に引っ張り出す政治軍事のスローガンとして作られた。根拠などないが、誰もご異論あるまい。


 今年の8月末、日米首脳会談だか怪談だかで、アメリカ大統領は日本の総理大臣に向かって、「私は真珠湾を忘れない」と語ったらしい。ワシントンポストが電子版で報道し、いつくかの日本の報道機関が後追いしたが、すぐ終息して、もうほとんど誰も覚えておるまい。私は偏屈だから、こうして記録に残しておく。

 本件については、我が国のネットウヨクの一部から、ワシントンポストのフェイク・ニュースだという拒絶反応が起きたが、残念ながら、ニューヨーク・タイムズも間接情報ですけれども(reportedly)報道しているので、少なくともこの二紙が伝えれば、アメリ東海岸で新聞を読む人は、みんな知っているし、たぶん「言いそうなことだ」と感じているだろう。


 この点、我が国の官房長官は「そういう事実はない」といつもの調子であり、肝心の総理は「誤報」と言った。私としては、トラがそう言ったのは間違いないと思うし(理由は、すぐあとで述べる)、その推測が正しければ、無かったことにしたい日本の政治家や言論人は、今回ろくな反応ができませんでしたと言っているようなものだ。

 このトラは、かつて「トラ・トラ・トラ」の発信地だった真珠湾に、去年の12月に訪れており、そのときも「私は真珠湾を忘れない」と、Twitterで呟いた前科があり、あのときはBBCまで報道する騒ぎになった。だから今回は、欧米でも「またか」程度の反応になったのだろう。なお、去年の訪問は生まれて初めてだったと本人は語っており、どうやら大統領になるまでは、真珠湾を忘れていたらしい。


 そもそも、この時代に「私は真珠湾を忘れない」と言って、何の役に立つのだろう。アメリカ・ファーストだから、先に攻めるべきだったという発想なのだろうか。しかし、彼はカジノ運営以外の教養が無い以上、真珠湾攻撃の機微に触れたとは思えず、さしずめ、去年のハワイ観光旅行が忘れがたいという意味であろう。目方で男が売れるなら良かったのに。

 米国におけるワシントンポストに対する現地ネットの反応は、面白そうだったので書き込みをしばらく眺めていたのだが、一番多かったのは、「まだ生まれていなかったくせに、何を覚えているのだ」というものだった。その通りではあるが、この論法を支持すると、例えば私たちは、「広島や長崎も覚えているかい?」とか、「インディアンやハワイアンには何をしたね?」とか訊けなくなってしまうので、あまり賢い「からかいかた」ではない。


 一番気に入ったのは、「たしかに、あの映画『パール・ハーバー』は、忘れたくても忘れられない酷い作品だった」というコメントで、英語だからといってアメリカ人と限らないけれども、あれが映画史上、屈指の駄作だという感想を共有できるのは嬉しい。

 それにしても、日本の与党も、また、与党べったりの大本営発表新聞らも、アメリカがよほど怖いとみえて、全くの無反応とは寂しい。そのうち、対中国が一段落したら、次は日本に関税の不平等条約を押し付けてくると思うが、そのときはせめて内閣総理大臣から、「私はペリーの黒船を忘れない」くらいの切り替えしを期待する。桜田門は官邸から歩いてすぐだなー。道理で警視庁を置いている訳だ。




(おわり)





バルコニーのホテイアオイに花が咲きました。
(2018年9月9日撮影)































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