おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

赤の十月  (第1922回)

 最近このブログを見た旧友から、「お前はもっと保守的な奴だと思っていた」と言われました。一方で家族からは、はなから保守的な人間と認定されています。自分でも、性格的には保守そのもので、世の中や己の生活が急変することを好まず、少しずつ快適になっていくのが良いと、子供のころから初老の今に至るまで思い続けております。政治的には、いつか詳しく書きたいが中道で、もっと正直に言うと、もともと余り関心がない。

 それにも拘わらず、ここで現政府の批判としか読めないことを書いているのは、赤旗を振りたいからではなく、世の中も私の生活も、急激かつ不快な方向に変えていこうという、権力側の方向性が歴然としており、つまり、私のただ一度の人生の邪魔をするからです。


 今回は自衛隊について言及する。初めにお断りしておくと、現時点で私は自衛隊が消えてなくなれとは考えていないし、たぶんあった方が国は安全だろうと思ってきたし、逆に、憲法学者の大半に「違憲」といわれているそうだが、別にかわいそうだとは思わないし、感謝しろと言われても困る。

 感謝云々については、大災害に遭っていないこともあり、実生活では地元の警察や消防や区役所に、よほどお世話になっているし、個人的には、とりたてて自衛隊だけに感謝するのはおかしいと感じる。もちろん、例えば今は北海道で、大変なお仕事をなさっており、関係者には敬服します。でも、言いたいことがある。


 先日、おそらく十年ぶりくらいに、アメリカ映画「レッド・オクトーバーを追え!」を観た。原作者のトム・クランシーの本は、三十代に集中的に読んでいる。もっと若い頃は文藝書が好きだったのだが、そのころは激務で心が荒れ、暴力的な小説や映画を好んだ。うさばらし。

 この映画は、主役のソ連海軍の軍人で潜水艦「レッド・オクトーバー」の艦長を、お鬚が似合う歳になったショーン・コネリーが演じている。トム・クランシーの手作りヒーロー、当時CIAの事務官だったロバート・ライアン役は、痩せていたころのアレック・ボールドウィン

 脇もいい役者が並んでいるのだが、それを語りだすと切りがないので、ここでは諦める。ちなみに原題は、”The Hunt for Red October”で、ハンティングしているのはソ連軍だ。アメリカ軍がやったのは、横取りという。1990年の制作。10月に、ベルリンの壁が倒れた年だ。艦長はリトアニア人で、この年にリトアニアソ連から独立している。そういう時代を背景としている。


 さて、この潜水艦映画を観た直後に、海上自衛隊南シナ海で、初めてらしい訓練を行ったという報道が出た。訓練は必要だけれども、潜水艦は、こっそり行動するからこそ苦労が多いのだが、それを人前に出すとは、どういう意図なのだろうか。中国のコメントが秀逸で、地域の平和と安定を乱すなかれと、日本政府みたいなことを言っている。お互いさまだから、当然だ。

 以下の話のいくつかは既に散発的に、ここか別のところで書き込んだかもしれないが、まとめてもう一度、振り返る。出典は私の記憶力なので、あくまでご参考。でも、私達はフィクションからでも人生の教訓や、考えるきっかけを得ることができる。


 まずは、私の親友のご家族に、自衛隊員がいる。ここ暫く、その友人に会っていないが、まだベテランながら現役のはず。だから、個人が特定されるような詳細はとても書けないが、かつて派遣された場所を友人が話してくれたことがあり、事故現場、国連PKO地震の被災地。国民の多くが自衛隊憲法違反ではないと言っているのは、憲法の前文や「第三章 国民の権利及び義務」に沿った多大な貢献を、自衛隊の実績が物語っているからだ。

 次に、これは新聞記事で一二年前に読んだもので、語り手は匿名の元自衛官。立場の高い幹部だった人だと思う。その人いわく、これまでずっと自衛隊は、粛々と予算をこなすだけの組織でしたという趣旨だった。粛々と予算をこなすのは、官民を問わず、とりあえず組織人が殆ど無意識にやっていることで、私も他人様のことは言えないから、この件については文句はない。


 しかしながら、前段の話題と併せて考えてみると、災害現場あるいは事故現場での救命活動や、国連PKOが「粛々と予算をこなす」だけの活動として、行われて来たとは絶対に思わない。この人物の言いたいことは、私なりに解釈できる。これだけの予算でこれだけの武器を持っていながら演習しかできず、せっかく厳しい訓練をしてきたのに、実戦のドンパチができなかったということだろう。そうでないとしたら、震災やPKOで苦労している後輩に非礼である。

 上記の潜水艦訓練報道の沙汰を考えるにつけ、かつてここに書いたように、兵器は持つと使いたくなる、という拙論も、そうそう的外れではないのではないかと思えて来たから怖い。ここで、ようやく「レッド・オクトーバー」の話題に戻ります。本筋にも触れますのでご注意。


 ショーン・コネリーの艦長が、亡命を決意した理由として、リトアニアの件のほかにも複数の出来事が語られているが、私にとって一番強く記憶に残っているのは、「永年、潜水艦乗務員の教育係を務めてきたが、結果は、損害を出してばかりだった」という意味の独白がある。この「損害」には、奥様の死に目に会えなかったという心情的なものも含まれているから、単純な話ではない。

 単純ではないが、彼が軍人生活を過ごしてきた、いわゆる東西冷戦構造というのは、率直にいうと安全保障理事会常任理事国を中心に大国がほとんど戦争をせずに済み、そのかわり世界中で朝鮮やらベトナムやら、中南米やアフリカで、代理戦争が頻発していた。背後で軍資金や武器を提供していたのは誰なのか言うまでもない。私が駐在していたカンボジアも、被害国の一つだ。


 だから先の戦争以降、世界大戦規模の、実戦での大損害が、ソ連にはない。アメリカにもない。その間、粛々と予算をこなし、部下は事故や病気で失うことがあるが、あるいは、自国の税金で買った兵器は古びて「損失」になるが、そのかわり他国に戦争をさせ、地価が下がったら不動産を買い占める。高値で武器弾薬を売りつける。

 自分たちで戦争するより、はるかに安全で効率の良い、洗練された商売の方法を考え出したものである。ところがどうやら、儲けた金は一部の者に集中したらしい。世は荒れ、世界中で全体主義的になっており、同時に一揆の寸前のような蠢動がある。


 もう一週間ほど前のことで、再検索しても自分の履歴をみても膨大の情報に埋もれて出てこないのだが(見つかったら追記します)、自称、北海道にいる自衛隊員による匿名のブログを読んだ。この少し前に、北海道で大地震があり、同地の自衛隊は大変だろうなあと思って読んでいたら、実際、救助活動等は大忙しだし危険でもあるという実感を得たものの、最後に「さっさと泊原発を動かせ」と書いてあった。ただし、本当に自衛官なのかどうか私には分かりませんが。


 報道によれば北海道では火力発電所が停まり、深刻な停電が起きた模様である。2011年の震災のとき、拙宅のある区と隣の区は、計画停電の対象となった。我が家は病院や消防署や学校が、周辺に数多くあるためか、ぎりぎりで計画区域から外れたのだが、停電になった人たちに聞くと、夕飯は蝋燭をともしながら食卓を囲んだらしい。

 しかし地震のあとでは、そのロウソクも余震のことを考えると、火事が怖いから控えた方が良いらしい。北海道の場合は、広域で長期間だったから、その経済的損失や不便・苦労は、東京の計画停電の比ではあるまい。それでも、しばらくの2割節電努力で乗り切りなさった。まだまだ安心はできないが、一山越えたに違いないとお祈り申し上げます。


 公共放送が朝の全国ネットのニュースで、節電節電と叫び続けたのも奇怪であるが、上記ブログの自衛官が本当に自衛官だったとしたら、たぶん自分の所属団体や責務の根拠法を読んだことも、聞いたこともないのだろうと思う。

 衆議院のウェブ・サイトに、「自衛隊」が載っている。この法律の「第四節 服務」にある第61条を転載します。あわせて、話題にする部分を太字にする。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01919540609165.htm



 (政治的行為の制限)

第六十一条 隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、政令で定める政治的行為をしてはならない
2 隊員は、公選による公職の候補者となることができない。
3 隊員は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問その他これらと同様な役割をもつ構成員となることができない。


 選挙権の行使とは、投票だけというのが私の理解です。もう少し広く取り得たとしても、自身の投票と全く関係のない言動は、含み得ないはずだ。厳しい制限です。では、この法律に関連する政令も読む。法律用語の定義や解説も含まれている。政令の名前は、自衛隊法施行令
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=329CO0000000179&openerCode=1#914

 この第八十六条に「政治的目的の定義」が、また、第八十七条に「政治的行為の定義」が列挙されている。法律家ではないので、慎重に書かないといけないが、原発の再稼働問題は、例えば、地方選で大きな論点になっていることだけでも挙げれば、賛否を問わず政治に関わるものであることには誰も異論あるまい。


 とはいえ、第八十六条の「目的」および次条の「行為」については、匿名のブログがこれのいずれかに該当するのかどうか、さすがに私は明言できない。でも、相当「キナ臭い」話題であると思う。いまの政権与党は、まだ福島に戻れない人が大勢いるのに原発の再稼働に熱心であり(今の北海道はともかく、全国的には電力に致命的な不足はないはずだ)、そして、核兵器の禁止条約には署名しない。

 その与党が、自衛隊憲法に書き入れるかどうか、総裁選の論点にまでなっている状況で、自衛隊の組織的な声が全く聞こえてこないのは、上記の自衛隊法を遵守しているからだろうと思う。そこまでは良いが(だから隊員個人らしき意見が出るのだろうか)、それだからこそ、彼らが何を考えているのか、さっぱり分からず、でも潜水艦が出動している。大丈夫なのか、自衛隊

 確かに、南シナ海は日本にとって極めて重要なシーレーンだ。その維持のための手段が、本当に本当に、これしかないのか。これが最善なのか。まずは、沖縄がもうすぐ、一つの答えを出す。その先どうなるのか、見ていきます。艦長とライアンには、共通点がある。無用な人殺しはしない。これが壊滅的な結末を招きかねなかった事件を好ましい方向にもっていく。





(おわり)
 

 

今年はうちの朝顔がよく咲きました。
(2018年8月23日撮影)
































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