おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

もう一つの「戦争論」  (第1903回)

 クラウセビッツでもないし、小林よしのりでもない。坂口安吾が昭和二十三年(1948年)に、雑誌名だと思うが「人間喜劇」に発表した論評。終戦の3年後だ。私が持っているのは、新潮文庫堕落論」に入っているもの。

 学生時代は安吾が好きで、寒い京都の冬、外出もする気になれず炬燵の中で、背中を丸めて本を読んでいたものです。改めて先日、読み返したのだが、若い頃は良い本を読んでいたなあと思った。貧乏学生だったが立派である。あとは堕落の一方だ。安吾のせいだ。


 彼の作品は、これに限らず著作権が切れているので、例によって青空文庫さんのご尽力により、この「戦争論」もネットで探せば読める。そう長いものでもないし、難解でもないから、以下の抜粋でもご覧いただき、時代を超えていると思ったら、ぜひご一読ください。青字が引用。冒頭は一見、戦争の賛美というか評価です。

 戦争は人類に多くの利益をもたらしてくれた。それによって、民族や文化の交流も行われ、インドの因明がアリストテレスの論理学となり、スピロヘーテンパリーダと共にタバコが大西洋を渡って、やがて全世界を侵略し、兵器の考案にうながされて、科学と文明の進歩はすゝみ、ついに今日、人間は原子エネルギーを支配するに至ったのである。
 多くの流血と一家離散と流民窮乏の犠牲を賭けて、然し、今日に至るまで、戦争が我々にもたらした利益は大きい。その戦争のもたらした利益と、各々の歴史の時間に人々がうけた被害と、そのいずれが大であるか、歴史という非情の世界に於ては、むしろその利益が大であったと云うべきであろう。

 私は他にも例えば、外科医の先生から、外科の技術は世界大戦のたびに、飛躍的に向上してきたと聞いたことがある。インターネットは米軍が開発したものと聞く。安吾原子力エネルギーもそれに加えている。だが、広島に原爆が落ちて以降、戦争のもらたす利益は、スピードを出し過ぎの自動車のように、利益よりも被害のほうが大きくなったという。

 日本交通史に於て、カゴや馬や人力車の時代までは、その全力をもって走ることを許されたが、自動車の時代に至って、速力に制限を受けざるを得なかった。その全力がもたらす効能よりも、制限がもたらす効能の方がより大であり、文明にかなっているからである。
 戦争とても同じことで、一九四五年八月六日のバクダン以前の各種の兵器のエネルギーは、まだしも、その被害よりも、利益の方が、人類の歴史的立場に於ては、大であったと私は思う。


 あとは読んでのお楽しみと言いたいところだが、利益と損害の比較のみを論じているのではない。言い足りないらしく、「前章」に続きがある。この箇所などは、墓から出てきて主張してほしいほどのものだ。

 今日、我々の身辺には、再び戦争の近づく気配が起りつゝある。国際情勢の上ばかりではなく、我々日本人の心の中に。
 国際情勢に対して、私の言うべき言葉は、すでに前章の短文に、つくされている筈である。私は、然し、さらに日本の同胞諸友に訴えなければならない。
 現在の日本は、戦争前のころ、否、日支事変のはじまりかけた頃よりも、さらに好戦的に見受けられる。
 日支事変の当初は、国民の多くは決して好戦的ではなく、軍部と一部の好戦者が声をからしているばかりであった。反戦的な庶民が駆り立てられて軍服を着せられ、戦地へ送られ、それでも兵隊になりきれず、庶民的な魂を失うことができずにいた。
 今日に於ては、人々は軍服をぬぎながら、そして、武器を放しながら、庶民的習性に帰るよりも、むしろ多くの軍人的習性をのこし、民主々義的な形態の上に軍国調や好戦癖を漂わしているのである。

 
 もう一つ、憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される(後略)」の「個人として」を、自民党改正草案は「人として」に変えている。この不気味さを私は上手く説明できなかったのだが、安吾の論旨は明快である。

 人間というものは、五十年しか生きられないものだ。二度と生れるわけにはいかない。人間の歴史は尚無限に続き、常に人間は絶えなくとも、五十年しか生きられない人間と、歴史的に存在する人間一般とは違う。
 政治というものは、歴史的な人類に関係があるわけではなく、常に現実の、五十年しか生きられない人間の生活安定にのみ関係しているものである。

 安吾憲法という言葉を一つも使っていないのだが、この前年にできた日本国憲法を体現しているような文章だ。アナーキズムという言葉を使ってまで、家も国家も国連までも、いつか不要なものにしないといけないと書く。終わり方も実によい。国会に配ってほしい。読んでいただきたいので、転載はやめて、ここで終わる。



(おわり)



谷中のお寺にて  (2018年3月3日撮影)




































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