おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

今日も頭がもつれている  (第1366回)

 はたして、どうなるのでしょうね、憲法改正のお話しは。国会議員や報道機関にとっては、それどころではない疑惑や不祥事が多いようで、いま自民党の改正草案がどういう位置づけになっているのかさえ、私には分からなくなり申した。

 しばらく様子を見ていたのだが、らちが明かないとはこのことです。やむなし。取りあえず比較検討の対象は、廃案ではないらしいから、そのまま改正草案を使わせてもらい、今のうちに地道に勉強します。今回は財政の章より、第84条および第85条。次回以降に備えて、予算のことも一緒に考えよう。

 当方の理解では、ここまでが原則論のごときもので、そのあと予算決算の具体的な条項が続く。なぜか改正草案は、次の第86条に沢山の新設条項を加えているのだが、それは次回以降に譲る。今回の両条は、それほど大々的な変化はない。と、思うのだが。


【現行憲法

第八十四条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。


【改正草案】

(租税法律主義)
第八十四条 租税を新たに課し、又は変更するには、法律の定めるところによることを必要とする。

(国費の支出及び国の債務負担)
第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基づくことを必要とする。


 改正草案の変更点は、第84条において、租税の新規または変更がある場合、現行では「法律の定める条件によること」が一つの条件になっているのだが、改正草案は削ってきた。意味不明。効果不明。

 たぶん草案の主張は、「租税を新たに課し、又は変更する」都度、必ず個別に法律が必要ということかと思う。タイトルも「租税法律主義」と来た。本当に法律が好きなのだ。現状これだけ国会を軽視しておいて(間違いないですね?)、奇妙な話である。


 ところで、人を責めている場合ではなく、恥ずかしながら、私が「国家予算は法律である」ということを知ったのは数年前に過ぎず、それも新聞記事か何かで、偶然読んで知った。それまで、何か別個の特殊な決議だと勝手に思い込んでいたのだ。そして、税率も似たようなものである。

 第60条に、予算案に関する衆議院の優越の条項がある。これも立法だからこそ、立法の章に置いてあったのだな。ということは、他の法律と同様、改正草案の緊急事態宣言が憲法に定められた場合、緊急事態には(最近いつもそうだが)、予算も増税も実質的に内閣が決めてしまえるということだ。それで自分たちで使うのか。

 
 不明な点があるのは、次の第85条も同様。「国の債務負担」というのは、われわれが「国債」と呼んでいるものの総体に違いない。こちらには、法律という言葉が出てこない。議決だけだ。

 ここで、もう一度、前回の話題だった第83条を見る。
第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

 では、課税の変更以外は何らかの議決があればよく、法律は必ずしも必要ではないのか。例えば、国債には法制度はある。財務省が丁寧に並べてみえる。
https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/laws/


 このうち特に、「国債ニ関スル法律(明治39年法律第34号)」および「財政法(昭和22年法律第34号)」が、基本的な法律であるらしい。ここまでは良い。

 だが、個々の(毎年度の)国債の発行や予算は、個別の立法が不可欠なのか、それとも、別種の「議決」だけでも良いのか、これだけでは私には分からない。この件もまた、いずれ憲法の本を買って読まねばなるまい。


 現実問題として、現在の国家財政は、国債なしで予算は組めないはずだ。慢性的に、しかも、上乗せで国債が発行されているし、利子の支払いも大変な額らしい。いずれ増税も避けられまい。では第84条との関連でいうと、予算と国債発行額は別個に決められない以上、第84条の「立法」をもって、第85条の「議決」も兼ねるということだろうか。

 もしもそうだとしたら、第84条から「法律の定める条件によること」を削るのは不可解な感じがする。国債は、個別の予算案成立だけでは駄目で、上記の各法の定めるところによらなければならないはずだ。宿題は増えるばかり。人を疑う練習ばかり。




(おわり)





上野公園にて  (2017年7月8日撮影)


入谷の朝顔市にて  (2017年7月7日撮影)












































.