おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

AKB以下 (第1240回)

第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。


 憲法の第45条と第46条は、衆参両院議員の任期を定めている。このそれぞれの年数の適否について、特に意見はない。生まれてからずっとこうだ。その間、政治が立派になったとは余り思わないが、かといって年数を変えれば良くなるというものでもあるまい。当事者が何よりご存じで、改正草案も変更なし。

 何度見ても、衆議院議員の任期は四年とはっきり書いてある。どんな本を読んでも、どんなサイトを見ても、戦後この4年が全うされたのは、この憲法下でただの一度しかないと書いてある。最高裁の好きな表現を借りれば、違憲状態なのだ。

 
 奇跡の4年間は、1970年代の三木内閣時で、これはよく覚えている。「大義名分」とやらで内輪もめばかりしていて、解散する暇がなかった。世の中、中学校の生徒会だって、うちのマンションの理事会だって、ちゃんと所定の任期はお務めするのに、最高機関がこの有り様とは何事か。

 解散の見込みがあろうがなかろうが、我々は総選挙において4年間の政治を付託しているのだ。それなのに、解散が決まると、国会の場で職場放棄の万歳三唱をして喜ぶとは尋常の沙汰ではない。あくまで解散は、「但書きの例外」なのに常態化し、与党の都合の良いときに席替えをする国なのだ。


 よく言われる現行憲法の「欠点」として、衆議院の解散権の所在が憲法に定められていない。英語版も、英語にしては珍しく肝心なこの部分が受動態になっていて、主語が無い。それをいいことに、あらゆる政党が内閣総理大臣の判断で、衆議院を解散してきた。おかしくないか。

 では、誰が権利を持ちうるのか。改めて確認するに、国会は国の最高機関であり、その正式構成員は国民が普通選挙で選ぶ。となると解散は、(1)その長である議長が決めるか、(2)衆議院が自ら議決するか、(2)選んだ我々が国民投票で判断するかのいすれかだと思うがいかが。


 内閣総理大臣の出番はない。もっとも、「総理総裁」の場合においては、上記(2)と同義になるのだろう。でも議決という重要な手続きは省略している。起立、賛成多数により可決。クラス委員を決めるときだって、黒板・白板に「正」の字を並べながら数えましたよね、ちゃんと。

 4年も先のことは見通せないと開き直った代議士の弁を耳にしたことがある。誰も明日のことだって見通せない。浅田の引退も、いきなりだ。それでも全力で見通すのが国会議員の役目というものだろう。どうやら自信がなくなって、過去ばかり見ようとしている風情です。

 先輩も自分たちも、そうやってきたからそれでよい、というのは組織の弊害の代表格だろう。それにしても、4年先のことは分からないと言い張るなら、オリンピックも、その対策という共謀罪も語る資格はない。


 マスコミの責任も大きい。総選挙・組閣となるとお祭り騒ぎだ。なんせテレビは高視聴率、間違いなし。新聞雑誌は当落予想で荒稼ぎができる。長期の取材をするまでもなく、売上が上がるとは羨ましい限りだが、さすがに最近は、社会の木鐸を自認しなくなった。飯が不味くなるのだろう。

 百歩譲って、内閣総理大臣衆議院を解散すると決めるなら(のちに改正草案に出てくる)、それは内閣不信任案が議決されたときに限るべきであると思う。立法府と行政府のどちらがマシか、国民に問う。これはドイツのように、複数政党の連立が常の国でないと実現しないだろう。だから4年働いて。




(おわり)




代々木公園 (2017年4月12日撮影)










































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