おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ある文民警察官の死  【後半】  (第1285回)

 前回の続き。以下は、その5月4日の出来事に焦点をあてる。車での移動が必要な遠隔の町で、現地の関係者を集めての会議があった。郄田さんを含む文民警察隊は、十人みんなで参加することになった。彼らの基地はタイ国境がある北西部の端っこ、バンティアイミアンチェイ州で、私が駐在した数年後でさえ、渡航厳禁の地だった。地雷も無数にあったのだ。

 一行はコンボイを組んだらしい。先頭車輛が警護役のオランダ海兵隊。2台目と3台目が、日本の文民警察の四輪駆動。4台目と5代目にノルウェーとインドの要員。会議は無事終わったようで、悲惨な事件は帰路に起きた。以下、私は軍事の素人ですので、あくまでご参考まで。


 カンボジアで道なき道を車で走るのは無理だ。往路でクメール・ルージュとすれ違っていたそうだから、セキュリティの原則に従えば、復路は別のルートを使うべきだと思うが、そんな車道も他にはないだろう。大回りすると、日没までに帰れない。

 先頭を走るオランダ海兵隊の車輛が、最初の攻撃を受けた。ロケット砲だったらしい。そのあとライフルの乱射。彼の地の小銃はAK、ロケット砲は名前を知らないが、緑色のツクシん坊みたいな奴を何度も見たことがある。オランダの車は、その壊れ方からすると多分、後方または横から後部を砲撃されたらしい。


 その先が番組では、よくわからない。おそらく一般向けの報道に適さない記録しかないのだろう。当時のオランダ海兵隊員によると、4名全員が重傷で、やむなく現場を離脱した。しかし、どの方向に逃げたのか分からない。

 二台目の左ハンドルを高田晴行さんが握っていたとのことである。彼が運転していた車のものであれば、弾痕が残るフロントグラスは、車の左前方と運転手を結ぶ線上を、AKの弾丸が通り抜けたように見える。カンボジアで元兵士だった同僚に聞いたところでは、AKは至近距離で撃つと、車のシャシの鉄板を余裕で射貫く。


 バックしようとした郄田さんの車輛が、路側帯に落ちて動けなくなったのは、そのとき運転手が運転できない状態になった可能性がある。3台目の日本の別動隊が後ろから来て衝突し、4台目と5代目は後ろに反転して逃げた、とナレーションおよびCG映像は語る。つまり、日本人だけ身動きが取れなくなった。

 悩んでも仕方がないが、私が不思議に思うのは、このあとスウェーデン文民警察隊が駆け付けたのが、事件の2時間後だったということだ。その間、日本側とクメール・ルージュが何をしていたのか、また、離脱した警護役のオランダ海兵隊も、どこで何をしていたのか、一切不明である。


 「オランダが逃げた」と叫んでいるサイトもあるが、全員重傷で戦闘不能だとしたら、それでも逃げたら責められるのだろうか。そのまま野戦病院かどこかに直行したのかもしれない。救助場面の写真が一枚だけ、写されている。字幕によると、オランダの軍が保管している資料だという。別のオランダ人が、仲間の襲われた現場に駆け付けたのかもしれない。

 だから、詳細もわからないまま、オランダを責めてはいけない。うちの皇室もお世話になっていることだし。そのあと「修羅場」まで救助にきたスウェーデン文民警察隊も、たいした度胸だと思う。写真には、UNと大書されたヘリの正面が写っている。陸路は危険だから、空から来たのだ。


 いわゆる「駆け付け警護」は、先日の防衛白書に「安全を確保しつつ対応できる範囲内で、緊急の要請に応じて応急的、一時的に警護するもの」と書いてあった。だからオランダ軍と違って、日常的に警護するわけではないが、同じ役割を「応急的、一時的」に行うことになる可能性はある。その間、ずっと「安全を確保しつつ対応できる範囲内で」あり続ける保証はどこにもない。

 さらに言えば、あとから救助に来たスウェーデン文民警察隊の任務も、安全性の部分を除けば白書の「駆け付け警護」そのものだろう。ロケット砲と突撃用戦闘銃で武装している物騒な連中のそばで活動する以上、何が起きるか分かったものではない。


 クメール・ルージュが自分たちの犯行ではないという声明を出したそうで(紙なら読んでみたい)、このためUNTACも日本政府も、停戦合意が破られたという確証を得られかったという判断を下し、PKOは継続された。戦争の親玉は、誰の仕業か知っているはずだ。

 カンボジアに駐在している間、同地のクメール人たちが、UNTAC(彼らは、ウンタックと発音する)で、日本人が二人亡くなったと、ことあるごとに話してくれたものだ。NHKスペシャルに出て来た高田さんの写真と、子供たちの屈託のない笑顔も良かった。まだ小学生は、あの白と青の制服、着ているんだね。20年前は学校も先生も不足していました。


 カンボジア人の高齢者は、真珠湾の前から日本軍がインドシナに進駐(GHQと同じような態度)していたため、小学校で習わされたという「おはよう」、「ありがとう」といった挨拶をきれいな発音で口にしていたものだ。自衛隊最初のPKOカンボジアが選ばれた理由、そして戻るに戻れなかった理由は、その辺にもあるのかもしれない。

 これからPKOにいく自衛隊は、あのときのオランダやスウェーデンと同じような作戦行動をとらなければならない場面に遭遇してしまうかもしれない。そのときどうしたらよいのかを検討するにあたり、貴重な資料を郄田さんたちが残し、NHKが集めた。全部、披露してほしい。軍もないのに軍事機密もなかろう。ただひたすらに、ご無事をお祈りします。






(おわり)





珍しく都心上空にヘリコプターのペア  (2016年12月5日撮影)






秋色  (2016年12月4日撮影)







 The Kingdom of Cambodia shall be an independent, sovereign, peaceful,
 permanently neutral and non-aligned country.

     カンボジア王国憲法 第一条第二項 (永世中立の宣言がある)









追加情報






























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