おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ある文民警察官の死  【前半】  (第1284回)

 1993年は個人的に忙しかった年で、自宅の引越し、うちの子の誕生、私の転職と続いたから、世の中の動きはあまり覚えていない。でも逆に、子供が生まれた年と関係づけて覚えていることも幾つかある。サッカーJリーグの始まり。皇太子ご夫妻のご成婚。そして自衛隊初参加のPKOで日本人が2名、亡くなったこと。

 関連して、文民警察官の高田晴行氏の遭難についてのTVドキュメンタリー番組、「ある文民警察官の死〜カンボジアPKO 23年目の告白〜」が、NHKスペシャルで放映された。夏休みの時期ということもあってご覧になった方も多いのではと思う。今のところ、「NHKオンデマンド」にも、アーカイブされている。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586824/


 これを観た方々の感想や意見が、今もネットに幾つか残っている。私も含め概ねの反応としては、PKOが派遣される地域というのはどれだけ危険で、現地入りする日本人がどれほど頼りない装備しか持てないかということを改めて感じ、これから新任務の「駆け付け警護」まで背負って南スーダンに行く自衛隊は、本当に大丈夫なのかという懸念が散見される。

 きっと取材や撮影や編集にあたったNHKや関係会社の職員のみなさんも、同じ思いであったと思う。彼らは当事者と直接会い、生の情報に触れている。今の「この流れ」でいいのかという疑問は、現場に近いほど強かっただろう。そういう観点から書かれたブログも、既に、きちんとしたのが沢山あるので、私は少し捻くれてみる。材料はこの番組の録画と、自分の体験だけ。


 先に推測だけで得た結論から申し上げると、この番組は南スーダンに安保法制下で自衛隊の派遣を進めるために、情報収集等で得た材料で制作されたものだ。当時のビデオだけで50時間を超えるものを入手したとナレーションで言っているし、それに加えて日記や手紙など紙の資料もある。NHKスペシャルは、わずか50分。私たちはごく一部しか知らない。

 足掛け二年かかったと言っているから(ずいぶん前から始まった取材だ)、大変な時間と予算と手間をかけているのは間違いない。しかも、当時の日本の政治責任者や大使、カンボジアやオランダやスウェーデンPKO関係者などに取材している。NHK単体では資料入手どころか、アポ取りも難しいのではないか。政府の主導か(そうなら、NHKさんも不自由で大変です)、少なくともその許可を得てやらなければ無理ではないかと思う。

 
 時系列でいうと、2015年に閣議決定された安保法制が、衆議院で可決されたのが今年の7月。このNHKの番組放映が8月。外相が現地入りしたのが9月。「駆け付け警護」が初めて任務に加わった自衛隊が派遣されたのが11月、この任務の開始日が12月12日の予定である。

 ついでに言うと、これが放映された8月13日は、日本がポツダム宣言の受諾を敵側に伝えた日の前日付にあたる。日本の戦後レジームとやらは、8月14日から始まっている(さすがに、これは邪推かもしれません)。おそらく番組は自衛隊に覚悟を迫る誰かの方針で、プレッシャーを与える効果があることを前提に企画されている。観ればわかる。


 警察やボランティア、他国の文民警察でさえ、ここまでやったのだよ、ということでしょう。当然ご家族もご覧になる。どういう反応が起きたか知らないが、私が聞いていることといえば、最近になって、「駆け付け警護」の任務を課せられた自衛隊員の派遣手当が跳ね上がったくらいだ。

 停戦合意が守られておらず、危険度が高くなっても、どうやら国家権力は握り潰しているようなのだ。一旦、現地入りしたら後には引けないという暗黙の政治的圧力が、カンボジア文民警察にも伝わっていた。


 ボランティアの中田さんが銃で撃たれて亡くなった悲報を受けて、文民警察の隊長から各隊員あてに配布された、印刷物の一部が番組に出てくる。すでに、その前に、命が失われずに済んだものの様々な事件が頻発しており、緊張が高まる中でこういう文言を隊員は読まされた。「ポル・ポト派の政策を妨害しているのは日本である。日本大使館員・外交官の命は保証しない」。

 NHKは単に、カンボジア政府高官からの情報というナレーションを流しているが、画像では上記の配布文書に、情報源が固有名詞で示されている。キュー・サンファン。いまは通常、キュー・サムファンと書かれることが多いが、90年代はそのように表記していた。


 キュー・サンファンはインテリで、そもそも本人自身が共産主義革命で粛清されてもおかしくないのに、巧に政治的なポジションを変えては権力者のそばで生き残り続けた。フランス革命期のジョセフ・フーシェのような男だ。末路も似たようなもので、先月(2016年11月)の23日に、クメール・ルージュの主導者を被告とした裁判で、終身刑が確定した。

 こんな状況下でも、UNTACはオペレーションの継続を最優先とし、現場は活動の継続を強いられている。もうすぐだったのだ。最大の目的であるカンボジアの新憲法を制定するための国民議会の選挙は、1993年の5月23日に実施された。高田さんが亡くなったのは、その半月余り前の5月4日だった。やはり長くなってしまったので、続きは次回にします。





(つづく)





平和の祭典  (2016年11月28日撮影)

改めて、高田さんと中田さんのご冥福をお祈り申し上げます。








近所の街路樹  (2016年12月5日撮影)











































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