おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ようやく四分の一  (第1286回)

 今回で第25条グループを終える。いまの憲法は103か条あるから、前文を加えると、ちょうど四分の一の条数をみたことになる。こんなに手間暇かかかるとは思わなかった。しかも、これに続く第26条と第27条には、教育および勤労の権利・義務という大物が待っている。

 それにしても、ようやく私にも改正草案を読むにあたって取るべき姿勢というのが身に備わって来た。「まずは疑ってかかれ」ということです。自民党議員の中には、この草案は野党時代に作ったので対決姿勢を強調しているという人もいるようだが、与党になっても、そのままなのだから、これが今の同党の氏素性を語っているということで間違いあるまい。

 さらに、この改正草案がそのままネットに放置されている状況というのは恐ろしい。憲法を変えなくても解釈で何とでもなる議席数を得た。野党の反論を聞かなくても、憲法学者の主張を聞き流しても、国民投票をしなくても、昨日から「駆け付け警護」は可能になった。その推移を見守りつつ、現場のご無事を祈りつつ、この独学は先に進みます。


 これも新設条項である第25条の4も、現行の「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」に関連しているということだろう。では拝見します。例によって、国が配慮すると申しているだけで、国民の権利及び義務には触れていない。

  【改正草案】

(犯罪被害者等への配慮)
第二十五条の四 国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。


 ところが、いつだったか新聞かネットで、自民党のお偉いさんが、この条も「新しい人権」の一つだと語っていた覚えがある。たしかに、珍しく「人権」という言葉を掲げているが、権利を持つ人は書いてあるけれども、一読して、どういう中身の人権なのか私にはさっぱりわからなかった。いつもの「法律に定めるところにより」もない。

 あえていえば、「国に配慮していただく権利」であろうか。ちなみに、2004年には、こう言っていた(3 新しい時代に即した「新しい人権」を)。
http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/200406jimin-kenpoukaiseinopoint.htm

 何の修飾もなく憲法改正案に「人権」と書く以上は、第11条にある「基本的人権」なり、第12条にある「この憲法が国民に保障する自由及び権利」なりと同じものと読むほかない。そして、それらは「犯罪被害者及びその家族」になっても、ならなくても既存のものである。


 およそ憲法が保障する国民の権利を侵害するおそれがある代表格は、国家権力と犯罪者だろう。前者の被害者は国民全員だが、後者は限定的であり、それゆえに直接間接のダメージが直撃する。したがって、何らかの特別な配慮が必要であるということには、もちろん異論がない。だから何をどうしたいのか知りたかったわけだが、もう法律がある。「犯罪被害者 法律」で検索したら三つ出て来た。

 一つは「犯罪被害者等基本法」、二つ目が「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」(通称は、犯罪被害者保護法)、最後に「犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律」(通称は、犯罪支給者給付金支給法)。まだ、あるかもしれませんが、今日はここまで。


 最後の「支給法」が一番分かりやすい。被害者や家族の経済的な支援である。改正草案の「処遇」とは、このことだろう。かつては無残だったらしいから大きな進歩だったが、まだ欧米に比べると小規模だそうだ。特に一家の働き手が亡くなった場合は、理想としては労災レベルの支援がほしい。二つ目の「保護法」は、刑事裁判における被害者や家族を負担軽減する手続きの法律。

 この両者も、「基本法」も、改正草案ができる前からある法律だ。したがって、憲法に「配慮」する国の責任を新たに書き入れるということは、さらに給付金を手厚くし、さらに訴訟の負担を軽減するという理解で宜しいだろうか。それなら文句ありません。まさか「事後憲法」ではありますまい。


 では、「犯罪被害者等基本法」について、まず、そもそも「基本法」とは何かというと、参議院の法制局のサイトに説明がある。
http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column023.htm

 冒頭に一般論があり、「一般的には、基本法とは、国政に重要なウェイトを占める分野について国の制度、政策、対策に関する基本方針・原則・準則・大綱を明示したものであるといわれています。」ということなのだそうだ。基本法はこれまで「教育基本法」に触れただけだが、何十もあるらしい。


 さらに真ん中あたりに、「こうした基本法の出現を背景に、最近では、憲法→法律→命令という段階的な法体系が、あたかも憲法基本法→法律→命令という法体系に変容していると語られることもあります。」という記述がある。左から順に偉い。

 この調子では、政策が大きく変わるたびに、総とっかえせねばならないように思うのだが、国も国民もそれでよいのか。前にも書いたが、政策は閣議決定と予算編成で十分だという私の意見は、見当違いなのだろうか。そのうち、集団的自衛権基本法とか緊急事態基本法とか、本当にできてしまいませんように。国家安保基本法案は、今どうなっているのだろう。


 さて、その「犯罪被害者等基本法」だが、多少、気になることがある。珍しく前文がある。
elaws.e-gov.go.jp


 気になることというのは、単なる言葉遣いと言えばそれまでだが、(定義)を定めた第2条第2項に、こう書かれている。この法律において「犯罪被害者等」とは、犯罪等により害を被った者及びその家族又は遺族をいう。

 質問1。ここでは「家族」と「遺族」は別物である。改正草案に「遺族」がないが、遺族が入らないはずがない。既存の法律との整合性が取れていない。質問2。これは、すでにふれたことだが、「家族」に法令上の定義がない。家族から一人抜けたメンバーが「遺族」のはずだから、「遺族」の定義もないはずだ。改正草案は、誰に配慮するのだろう。質問3。北による拉致被害は、国内の刑事法違反とは異なる事態だが、ここで読むのでしょうか。


 まだ、言いたいことがある。犯罪被害者も家族・遺族も多種多様である。例えば私は、父方の祖父が交通事故に遭い、半日後に他界している。ろくに後ろも見ずにバックしてきたトラックに自転車ごと、はねられた。当時の一般的な刑罰でいうと、たぶん業務上過失致死で運転手は捕まっているはずだ。だから、私と何人かの親族は犯罪被害者の遺族である。

 でも、配慮された記憶はないし、期待もしていない。おそらく、この条文でいう「犯罪被害者」とは、きっと殺人とか強盗致死のような凶悪犯罪に遭った方々だろう。そう思う理由は、そういう人たちがマス・メディアやインターネットに実名が載り、好奇心の対象になって、往々にして人権を脅かされているからだ。ご配慮の行き付く先が、情報統制でなければよいが。


 先ほど、人権蹂躙をしかねないのは、権力と犯罪者が代表的だという意味のことを書いた。関連して一言。重大な犯罪が起きたり、類似の犯罪が連続して起きたときなどに、メディアでよくみられる現象だが、個人の資質を問うものと、社会問題を挙げるものがある。だいたい両論併記になっている。

 国家権力は、社会問題化されるのを嫌う。それはそうです。世の中が悪いと言われたら、自分らの責任が重大になってしまう。総論的に社会学社会学者の悪口をいう人は、だいたい権力志向が強いお方と思って間違いない。


 「個人の問題」の典型が刑事裁判だろう。徹底して被告だけを裁く(それが悪いと言っているのではない)。親の育て方が悪くても、親が刑事罰を受けることは無い。ジャン・バルジャンのように食い物が無くて盗みを働いたとしても、裁判所は失業や病気などの事情をくんで、情状酌量してくれることはあっても無罪にはならない。

 まして、景気が悪いから罪一等を減ず、なんていう時代劇のような洒落た判決は出ない。司法府だって国家権力なのだ。甘くはない。ここで先ほどの「犯罪被害者等基本法」の前文に戻る。「もとより、犯罪等による被害について第一義的責任を負うのは、加害者である。」と明記されている。もとより。

 そのあとが、こうだ。「しかしながら、犯罪等を抑止し、安全で安心して暮らせる社会の実現を図る責務を有する我々もまた、犯罪被害者等の声に耳を傾けなければならない」。この第二義的責任者と思われる「我々」って誰だろう。法律なんだから立法府のはずなんだが、この論点については「教育基本法」も混乱をきたしているので、そちらに譲る。




(おわり)





紫陽花も紅葉する。 (2016年12月6日撮影)







































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