おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

第9条の2 ?  (第1911回)

 前回の更新ですので重複あり。憲法改正案の最新情報がないため、勉強に支障を来しております。見つかるまで、過去を振り返ってみる。去年(2017年、平成二十九年)の12月20日付で、「自民党憲法改正推進本部」という組織名の資料がネットに公表されている。

 この組織の内部にある「起草委員会」が、私を散々悩ましてきた「自民党憲法改正草案」(2012年・平成二十四年 4月27日決定)を作り、今なおそのサイトに掲載している。まず、そちらのウェブ・サイトを改めてご案内。
http://constitution.jimin.jp/draft/


 順番が逆になったが、この自民党憲法改正推進本部が2017年12月20日付で作っている「憲法改正に関する論点取りまとめ」もネットにあるので、こちらもご一覧ください。URLからも分かるように、やはり自民党のサイトに載っている。近い日付で複数の新聞に報道されているので、こちらはすぐに公にしたらしい。論点は、この時点でもう四つに絞られている。
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/136448_1.pdf


 たまたま本ブログに立ち寄られた方へ、過去も何回か念のため書いているのですが、私は法律家ではありません。司法試験は受けたこともない。大学のときは経済専攻で、民法や商法の単位を必要最低限、取ったぐらいの関わりしかない。あとは、今の仕事との関係で、労働法は毎日のように勉強している。その程度ですが、憲法改正国民投票がなされるときは、私も自分で考えて自分で決めないといけないから準備中だ。

 つまり、書いているのは基本的なことばかりです。慎重を期していますが、誤解があるかもしれない。でも恐れていては先に進まない。さて、法は(ここでは法律だけはなくて、政令や条例も含めて広く考える)、近似のものが二つあるとき、その両者が矛盾する可能性がある。最初から矛盾するように作るとは思えないので、たとえば時勢の変化とか、例外の規定を設けたときとかに起こりうるのだろう。


 労働法の世界で良く知られているのは、解雇の法的な扱いという一例です。民法では雇用契約という言葉を使い、労働法では労働契約という言葉を使いますが、労働者にとっては同じと考えて良いかと思います。労働法専門家の法律家の話を聞いていても、だいたいそう仰る。

 民法では、原則として、労使いずれも二週間前に通知すれば、雇用契約を解除できるとある(この原則に対する法定の例外は、細かいのでここでの議論からは外します)。つまり、労働者が契約解除には反対であっても、使用者(≒会社)は、一方的に雇用契約を解除(つまり解雇)できる。


 一方で、法学の世界では、後法が前法に優先するとか、特別法が一般法に優先するという大きなルールがある由。民法は典型的な一般法です。民法の特別法は無数にあるかと思いますが、商事法や労働法のグループがそれに当たるそうだ。この労働法の中には、現状、民法の規定と矛盾するものがある。

 例えば労働基準法は、労災で休業中の労働者あるいは産前産後の女性の労働者は、解雇できないと規定しています。この場合、一般法である民法よりも、特別法である労働基準法が優先して適用される(つまり強い)から、例えば産前産後で休業中の人に、二週間前に解雇を通知しても、出るところに出れば負け。解雇は無効です(大人しく辞めてしまえば、単なる合意退職になりますが)。

 
 これと似たような考え方で、後法は前法に優先するというルールもあるそうで(詳しくは、これで検索して弁護士さんの意見などお読みください)、両者が矛盾する場合は、後から出来た法が、前からある法に優先する。新法は、より新しい時代の状況や、法学の通説を前提にできたからということでしょう。法律でいえば、最新の選挙で選ばれた国会議員の議決によるから優先だということだと思います。
 
 次の揚げる例がそれに該当するのかどうか、自信満々というわけではないのですが、少なくとも似ているように思う。労働基準法は、上記の例外を除けば、解雇がダメだとは言っていない。しかし、あとからできた労働契約法では「解雇権濫用法理」が規定されたし(大意、無茶苦茶な解雇は許されない)、育児介護休業法では、結婚や妊娠という理由だけで解雇や雇止めなどをしてはいけないと定めています。


 ようやく憲法の話。第9条の追加項目に関する話題です。追加する以上、仮に元からあった条項と矛盾するとしたら、どうなるのか。憲法にも、後法と新法の優先順位ルールが適用されるなら(上述のような理由付けであれば、憲法も例外ではない)、追加でできた条文のほうが優先するはずです。ましてや、追加された条文の中に、例えば「前項の規定にかかわらず」なんて書いてあったら、自明です。

 今年(2018年・平成三十年)の3月25日に、自由民主党の党大会があったそうで、幾つかの報道によれば、四つの改憲項目についての発表があったらしい。ネットで読む限り、どうやら、自衛隊の明記、緊急事態条項、衆議院の合区解消、教育の無償化という4テーマであるそうだ。だが、私の調べ方が悪いのか、それとも存在しないのか、具体的で詳細な改正案なり説明文なりが公表されていない。 


 もっとも、自衛隊を明記するという点については、各政党も報道機関も個人的な意見も賛否両論、活発な議論が続いており、それらによると現行の第9条(第1項と第2項からなる)に、3番目の項目を入れるというような「感じ」の主張を総理がしているらしい。条や項にも、後法と新法の優劣が適用されるのであれば、もしも第9条の第1項または第2項と追加分が矛盾する場合、三つ目の自衛隊の条項が優先ということになるのだろう。

 第9条第2項を改めてみると、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とある。万が一、三つ目の条項として、「第9条第2項の規定に拘わらず」で始まり、次に自衛隊を明記し(すなわち合憲とし)、かつ、自衛の場合は国の交戦権を認めるという改憲がなされたら、どうなる。


 多くの反対論者は、「戦争ができる国になる」と仰るが、私に言わせれば、甘い。「国民が戦争をさせられる国」になる。かつて実際そうだった。自衛隊以外は戦争に駆り出さないとでも明記すれば別だろうが、そんな上品な改憲は期待しない。戦場に行かなくても、焼夷弾や原爆が落ちてきてから、まだ百年も経っていない。経験者が存命している。

 国民が定める「民定」の憲法で、私たちは自ら私たちが戦闘員になることを認めることになり、自衛と侵略の区別などそう簡単に付くものではないと思うから、心構えとしては、どんな戦争でも赤紙が来ることを覚悟しないといけない。慎重論を採れば、そういうことだろう。改憲案が、どういう文章表現で登場するのか、注視しているのは日本国民だけではあるまい。次回もこの話題を続けます。



(つづく)




近所の池に来た白鳥。優雅で平和そのものでございました。
(2018年4月30日撮影)

























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 たまたま本ブログに立ち寄られた方へ、過去も何回か念のため書いているのですが、私は法律家ではありません。司法試験は受けたこともない。大学のときは経済専攻で、民法や商法の単位を必要最低限、取ったぐらいの関わりしかない。あとは、今の仕事との関係で、労働法は毎日のように勉強している。その程度ですが、憲法改正国民投票がなされるときは、私も自分で考えて自分で決めないといけないから準備中だ。

 つまり、書いているのは基本的なことばかりです。慎重を期していますが、誤解があるかもしれない。でも恐れていては先に進まない。さて、法は(ここでは法律だけはなくて、政令や条例も含めて広く考える)、近似のものが二つあるとき、その両者が矛盾する可能性がある。最初から矛盾するように作るとは思えないので、たとえば時勢の変化とか、例外の規定を設けたときとかに起こりうるのだろう。


 労働法の世界で良く知られているのは、解雇の法的な扱いという一例です。民法では雇用契約という言葉を使い、労働法では労働契約という言葉を使いますが、労働者にとっては同じと考えて良いかと思います。労働法専門家の法律家の話を聞いていても、だいたいそう仰る。

 民法では、原則として、労使いずれも二週間前に通知すれば、雇用契約を解除できるとある(この原則に対する法定の例外は、細かいのでここでの議論からは外します)。つまり、労働者が契約解除には反対であっても、使用者(≒会社)は、一方的に雇用契約を解除(つまり解雇)できる。


 一方で、法学の世界では、後法が前法に優先するとか、特別法が一般法に優先するという大きなルールがある由。民法は典型的な一般法です。民法の特別法は無数にあるかと思いますが、商事法や労働法のグループがそれに当たるそうだ。この労働法の中には、現状、民法の規定と矛盾するものがある。

 例えば労働基準法は、労災で休業中の労働者あるいは産前産後の女性の労働者は、解雇できないと規定しています。この場合、一般法である民法よりも、特別法である労働基準法が優先して適用される(つまり強い)から、例えば産前産後で休業中の人に、二週間前に解雇を通知しても、出るところに出れば負け。解雇は無効です(大人しく辞めてしまえば、単なる合意退職になりますが)。

 
 これと似たような考え方で、後法は前法に優先するというルールもあるそうで(詳しくは、これで検索して弁護士さんの意見などお読みください)、両者が矛盾する場合は、後から出来た法が、前からある法に優先する。新法は、より新しい時代の状況や、法学の通説を前提にできたからということでしょう。法律でいえば、最新の選挙で選ばれた国会議員の議決によるから優先だということだと思います。
 
 次の揚げる例がそれに該当するのかどうか、自信満々というわけではないのですが、少なくとも似ているように思う。労働基準法は、上記の例外を除けば、解雇がダメだとは言っていない。しかし、あとからできた労働契約法では「解雇権濫用法理」が規定されたし(大意、無茶苦茶な解雇は許されない)、育児介護休業法では、結婚や妊娠という理由だけで解雇や雇止めなどをしてはいけないと定めています。


 ようやく憲法の話。第9条の追加項目に関する話題です。追加する以上、仮に元からあった条項と矛盾するとしたら、どうなるのか。憲法にも、後法と新法の優先順位ルールが適用されるなら(上述のような理由付けであれば、憲法も例外ではない)、追加でできた条文のほうが優先するはずです。ましてや、追加された条文の中に、例えば「前項の規定にかかわらず」なんて書いてあったら、自明です。

 今年(2018年・平成三十年)の3月25日に、自由民主党の党大会があったそうで、幾つかの報道によれば、四つの改憲項目についての発表があったらしい。ネットで読む限り、どうやら、自衛隊の明記、緊急事態条項、衆議院の合区解消、教育の無償化という4テーマであるそうだ。だが、私の調べ方が悪いのか、それとも存在しないのか、具体的で詳細な改正案なり説明文なりが公表されていない。 


 もっとも、自衛隊を明記するという点については、各政党も報道機関も個人的な意見も賛否両論、活発な議論が続いており、それらによると現行の第9条(第1項と第2項からなる)に、3番目の項目を入れるというような「感じ」の主張を総理がしているらしい。条や項にも、後法と新法の優劣が適用されるのであれば、もしも第9条の第1項または第2項と追加分が矛盾する場合、三つ目の自衛隊の条項が優先ということになるのだろう。

 第9条第2項を改めてみると、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とある。万が一、三つ目の条項として、「第9条第2項の規定に拘わらず」で始まり、次に自衛隊を明記し(すなわち合憲とし)、かつ、自衛の場合は国の交戦権を認めるという改憲がなされたら、どうなる。


 多くの反対論者は、「戦争ができる国になる」と仰るが、私に言わせれば、甘い。「国民が戦争をさせられる国」になる。かつて実際そうだった。自衛隊以外は戦争に駆り出さないとでも明記すれば別だろうが、そんな上品な改憲は期待しない。戦場に行かなくても、焼夷弾や原爆が落ちてきてから、まだ百年も経っていない。経験者が存命している。

 国民が定める「民定」の憲法で、私たちは自ら私たちが戦闘員になることを認めることになり、自衛と侵略の区別などそう簡単に付くものではないと思うから、心構えとしては、どんな戦争でも赤紙が来ることを覚悟しないといけない。慎重論を採れば、そういうことだろう。改憲案が、どういう文章表現で登場するのか、注視しているのは日本国民だけではあるまい。次回もこの話題を続けます。



(つづく)




近所の池に来た白鳥。優雅で平和そのものでございました。
(2018年4月30日撮影)

























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 ただし、まずは懸案の第9条をみると、この段階では自衛隊憲法に明記する方針は固まっているようだが、両論併記になっています。すなわち、①9条1項・2項を維持したうえで、自衛隊憲法に明記するにとどめるべき、②9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき、という二つの意見が出ている。


 続く文章中に、①②に共通する問題意識として、「シビリアン・コントロール」も明記すべきであると述べている。シビリアン・コントロールについては、イラクの日報問題に関して、ちょうどこれを書いている今日、防衛大臣が記者団に「シビリアンコントロール文民統制)にも関わりかねない重大な問題をはらんでいる」ため極めて遺憾であるとして、防衛省の17名を処分したと発表した旨の報道があった。

 公文書の隠匿が遺憾であることや、処分が必要であることに全く異論はない。だが、どうもよく分からないのは、この国には武力・軍隊がないはずなのに、なぜシビリアン・コントロールが必要なのだ? 揚げ足取りなのは弁えております。この国でシビリアン(市民)がコントロールしないといけないのは、現政府であることも重々承知しております。何を言っても舌を噛むように、自らを追い込んでしまった政権・政党だ。


 それはさておき、上記の「憲法改正に関する論点取りまとめ」における②はもちろん、①も「自衛隊を明記するにとどめるべき」と自制しているところをみると、改憲の作戦としては言葉が少ない方が話が通りやすいと思っていなさるのだろうが、もっとたくさん書き込みたいという願望が露骨に表れている。

 何を書きたいのか。②をみると、「自衛隊の目的・性格をより明確化する」とあるので、①の本音もここにあるのはまず間違いなく、そればかりか、もしかしたら「2項の削除」も先々の計画に含まれているのかもしれない書き方であるように感じる。ともあれ、最新の総理の発言を信じるなら、「第9条の第1項第2項はそのまま」ということにはなっている。信じるなら。


 自衛隊の目的・性格なら、自衛隊に関連する既存の法律にしっかり書いてあるはずなのだが、これを「より明確に」というのは、どういう魂胆をお持ちなのだろうか。容易に想像できるのは、自衛権(個別も集団も)を明記するということかと思う。さらに、第9条の第1項・第2項をそのまま残すのであれば、これと矛盾しないような文言を入れないといけない。

 または、前回の論法でいうと、後法は前法に優先するとでも(後から)言い出すのでしょうか。疑っていても切りがなく、やはりこの資料では不足だし古い。本年3月25日の党大会で使われた文書というのは、私の力ではまだ確かなものを探し出せていないのだが、それでも周辺情報はある。


 今年の憲法記念日、2018年5月3日に、「憲法改正に関する首相メッセージ全文」という記事が、日本経済新聞のネット版に載った。いつリンク切れになるか分からないが、現時点では読めるのでご参考まで。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFK03H16_T00C17A5000000/

 冒頭はこう始まる。「ご来場のみなさま、こんにちは。自由民主党総裁安倍晋三です。憲法施行70年の節目の年に、「第19回 公開憲法フォーラム」が盛大に開催されましたことに、まずもってお喜び申し上げます」。この「第19回 公開憲法フォーラム」とは聞いたことがないが、堂々とネット上で自己紹介をなさっており、サイトは日本会議のものだ。ご大層なネーミングです。このビデオ・メッセージの中で、憲法第9条と自衛隊に関するメッセージは、次のとおり。


 例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊違憲とする議論が、今なお存在しています。「自衛隊違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。

 私は少なくとも、私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、「自衛隊違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。
 もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います。


 気に入らない部分があるので、明記しておく。「自衛隊違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」と、誰が言った? 違憲かもしれない自衛隊を創ったのは、自由民主党とその支持者だ。彼らと自衛隊は、この「居心地の悪さ」に永久に甘んじ、こらえなくてはならない。それが、有権者の選んできた、そしてその票を当てにしてきた政党の判断の結果です。

 「何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、憲法第25条のいわゆる生存権に基づく当然の主張・要求であり、これは自衛隊に対してしてだけではなく、警察・消防・海上保安庁のように、むしろ出番なら自衛隊より多く、日常的に命を張っている方々も含めた国家権力(憲法第99条に職名などを連ねている集団)に課した義務である。憲法学者過半数違憲というから、ついては国民は黙れと言っているのだろうか。珍妙なロジックである。
 

 さて、本筋の憲法改正に議論を戻すと、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」と明言していなさる。つまり、客年12月時点で①②とあったうち、①に絞ったらしい。石破君たちは不満だろうが(しかし、背景にいる支持者はどういう連中なのだろう)、私に言わせれば、第9条の第1項と第2項は一体不可分の平和主義条項であり、他方、彼らの武力を持ちたいという主張は、武力を使いたいという欲望と一体不可分である。

 こうしてみると、もう改正の内容は当面のところ二の次で、まずはお手柔らかに改正することにより、(1)改正一切反対の護憲派に勝ち、(2)そのハードルを越えたら一安心だから、あとは徐々に改正すればよいし、(3)現役大臣の氏名も、次の敗戦で国が滅びない限り残る。いいことだらけではないか。


 懸案の本年3月25日の資料だが、産経新聞のネット版が、なぜか当方が探した限りにおいて、一紙だけ報道している。実は党大会に参加したらしき人が、故意か錯誤か知らないがアップしており(そのうち消えるかもしれない)、文章が同じなので、資料の信憑性は一応認めてます。該当部分は以下の青字のとおり。
http://www.sankei.com/politics/print/180325/plt1803250054-c.html

  第9条の2
 (第1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
 (第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
 (※第9条全体を維持した上で、その次に追加)


 念のため、最後のアスターリスク(*)だけは脚注。古い報道や個人のブログなど読んでいると、みなさん、第9条の第3項が追加になるという前提で書いてみえる。しかし、ここでは明らかに違う。「第9条の2」になった。「第〇条の2」は、第〇条との関係が他の条より強いが、第〇条と少なくとも形式的には同格であり、「項」よりも上位だ。よほど重視・明示したいのだろう。改正草案の第9条の2は、国防軍だった。

 疑問はたくさんある。以上は私の感覚に過ぎないので、第九条第三項と、第九条の二との、法的な効果の違いが明確になるのなら、法律家に教えていただきたい。「国及び国民の安全」とあるが、「国民」の定義は憲法と戸籍法にあるけれども、「国」とは何か。地面ではあるまい。ようするに、彼らには憧れの昔懐かしい「国体」のことだろう。違いますか。「国民」に前置していますな。


 それに、これは今回の改正に限らない話だが、日本国憲法には「国土」や、「領土」「領海」「領空」の定義がない。自衛隊は、どこからどこまで守るのでしょう。仮にいま領土問題でもめている土地に、他国の軍隊が侵入して来たら、どうするのだろう。逆に、国内の米軍基地は領土か? この際はっきりさせてみたらどうか。私は実は無くても構わないのだが、憲法が「あやふや」ではいけないから、自衛隊憲法に明記しないといけないというのが総理の持論でしょう。

 また、私の理解では、法学の一般論として、本案のように「前項の規定は(中略)、○○を妨げず」などと書いてある場合、前項が「原則」であり、本項の○○が「例外」である。日常用語では、原則が大事で、例外はやむを得ないという趣旨で使い分けることが多いと思うが、法は必ずしもそうではないらしい。むしろ、「例外」こそが実態、本音、目的であると考えた方が良いと何度も聞いている。この理解の正誤や如何。

 
 最後にもう一つ、「章」を話題に出します。現行、憲法はこうなっている。その下に2012年の自民党の改正草案を並べる。

【現行憲法】  第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


【改正草案】  第二章 安全保障

(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

国防軍
第九条の二  (後略)


 改正草案は国防軍を堂々と謳っているので、現行の「戦争の放棄」という第二章の主旨も放棄して、「安全保障」としている。これはこれで、筋だけは通っている。だが、現時点の改正案に、第二章の題名をどうするのかという議論があるとは、寡聞にして知らない。それに前文とも密接にかかわる。おそらく、ここで正体が見えるであろう、枯れすすき。




(おわり)



欲張って大きなヒキガエルを咥えたものの食えない鵜の若鳥。
結局、ほかの大きな先輩鳥に横取りされました。あわれ。
(2018年4月29日撮影)





































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