おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

環境権などの新しい人権  (第1276回)

 掲題は、先般始まった参議院憲法審査会でも出た言葉です。それほど新しいわけではなく、憲法を骨董品扱いにする人たちには新しいのかもしれないが、前からある概念である。何回か言及してきた当家にある本、「図説でわかる憲法問題」にも、プライバシー権とともに見開き2ページずつの説明がある。出版は2007年。

 その少し前にある信教の自由や、表現の自由も2ページ使っているので、まだ憲法にはない用語の解説としては、たいへん大きな扱いだ。自民党によれば、彼らの改正案にはこの「環境権などの新しい人権がある」そうで、うちの新聞にもこの発言が載った。


 現憲法に「環境」という言葉はない。環境問題は重要な課題だから、これを加えるという提案に異論はない。では、現時点の改正草案に、どのように書かれているかというと、それらしきものは二か所ある。その片方は繰り返しになるが前文で、「美しい国土と自然環境を守りつつ」とある。

 私は自然とともに生まれ育った田舎の小僧なので(家の庭にフキノトウが出てきたし、クツワムシがいた)、そもそも自然環境と社会環境を区別する発想が気に入らない。敢えてそれを受け入れたところで、では前文案は社会環境をどうするつもりなのか(「家族」は変えたいと聞いた)。さらに、環境を守りつつ「経済活動を通じて国を成長させる」という気力も実力も欠けていることは、これまでの豊富な実績で明らかです。


 もう一方の「環境」が、今回の題材である改正草案の新設条項、第25条の2だ。次のとおり。
環境保全の責務)
第二十五条の二 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。

 その昔、学校の先生に、国語の授業でせっかく書いた文章を、真っ赤に直されていたものだが、最近は教師がこれを密かな愉しみにしていたのだということに気づいた。他者の欠点は、よく見つかるものだ。
 

 他に環境関係の条文がないので、これぞ改憲勢力が目玉商品にしている環境権でございましょう。さて、これのどこが「国民の人権」だ? ボクシングもゴング早々、KO勝ちではお客さんが不満だろうし、いきなりこれで終わりにするのはやめる。

 近代国家の憲法が、国家権力の横暴を、国民が予め防ぐ目的で制定されるという考え方を許せない方々の中には、憲法は政策を表したものだと主張する人もいる。この新案の文章表現など、その際たるものだろう。政策は予算案や政権公約閣議決定に書けばよい。それに、「国民と協力して」でなければならない理由とは何だろうか。


 確かに、現実問題としては、企業なり住民なりが、社会経済活動上で常に注意し続けないと、環境は損なわれる。だが、すでにその対応策は、無数の法令となって私たちを縛っており、ルールが足りなければ追加で作るほかない。それにこの書き方では、国民の協力が、国の努力の要件のように見えて仕方がない。協力しなかったら、何もしないのだろうか。

 これと同じ表現は、すでに見た。こちらも新規の条項案で、第9条の3にあった。厄介な課題に限って、パートナーにされては敵わん。
(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。


 昔は「公害」という言葉をよく使った。前掲書にも、四大公害訴訟や「大阪国際空港騒音訴訟」の概説が、環境権の箇所に出てくる。しかし近年では、「公」の字を好きな人たちが、この言葉を嫌い、環境問題と言い換えている。

 小学校の図書館には、「アサヒグラフ」その他の写真雑誌もあって、公害病に苦しむ人たちの気の毒な様子がたくさん載っていたものだ。猛毒という、日常の病気とは違う原因で患うのだから、その痛さ苦しさは想像ができない。あの地獄を再び招かぬため、環境権の条項は「国民は、良好な環境を享受する権利がある。」で必要十分だと思う。


 ちなみに、高度成長時代の公害問題を引き起こしたのは、主に第二次産業だった。しかし、産業構造は大きく変化している。当然、環境問題も様相を変え続ける。例えば、いまや携帯電話や無線LANの普及で、かつてない量と強さの目に見えない電磁波が飛び交っているはずだ。

 これらの有害性が解明されつくしているとは、とても思えない。そもそも私たちの健康にどのような影響があるのか、特に長期的なダメージは全く分かっていないのではないか。なんせ我々は、ITどっぷり生活の初代なのだから。


 数年前に天草に旅行に行った。漁船を借りて、コウイカを釣りに明け方の沖に出る。私より一回りは年上の船頭さんが、このへんの海も、ようやく好きに漁ができるようになったと言っていたのを覚えている。「はだしのゲン」が有害図書になる圧政下では、水俣病の患者さんの写真も載らないだろう。

 素人にはコウイカが一杯しか釣れず、見かねた船頭さんが自分の釣果をわけてくださった。それを宿の板さんがさばいてくれて、従業員のみなさんと食べた。あれは、美味しかったな。環境権は大いに結構だが、この文案は不合格です。それに「保全」なんて控えめなことを仰らず、クツワムシを返してほしい。






(おわり)






伊丹空港のそばにて
(2016年5月13日撮影)





天草沖にてコウイカ漁に出る
(2012年2月27日撮影)



































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