おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

今日は検索屋  (第1362条)

 インターネットの最大の便利さは、検索機能だろう。紙情報のみだった時代は、どこを探せばわからないとか、そもそも、どう探したらいいのか分からないことが多々あり、それがために探しものを諦めたこと数知れず。今は適当に言葉を選んで検索するだけで、玉石混交ながら思いのほか豊富な情報が出てくる。私も実によく使う。

 第24条に関し、改正草案は例によって条文の前に、カッコ書きで条項のタイトルを載せており、同条においては(家族、婚姻等に関する基本原則) となっている。何だか重々しいが、法学の世界では、「原則」といえば「例外」があるらしい。


 だが、天下の憲法に例外があって良いのだろうか。ここで検索機能を用いて、「原則」で検索すると、いまの憲法には、この言葉の出番が一箇所もない。一歩も譲らないという不退転の決意か。改正草案を検索すると、二か所あり、それがこの第24条と、あとで出てくるが第83条の(財政の基本原則) 。いずれも今一つ歯切れがよくない。

 ついでに言うと、「例外」という言葉はいずれも皆無で、なぜなら日本の法文は何故か例外という言葉遣いそのものを嫌うからであり、それにかえて但書きという表現で知られるとおり、「ただし」が後ろ側についてまわる習性がある。現行の憲法は、「ただし」も皆無。しかし改正草案に、「ただし」は無数に登場する。この違いが何を意味するのか、法律家に訊きたい。


 次に本文。再登場願う第1項においては、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。 」という二つの文が、新入りで登場する。

 評判が芳しくないのは、後半の助け合い条項だが、こちらは一応、小学生でも意味なら分かる。しかし、前半の「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。」は、そもそも何を言いたいのか、この私には分からんのだ。まず、この法文上で家族を「尊重」する主体は、誰なのか何なのか。多分この調子では、書いた者も訊かれたら困るだろう。


 さらに、「社会の自然かつ基礎的な単位として」は日本語の表現がこなれていない。「社会の自然かつ基礎的な単位として」でなければ、尊重されないのだろうか。そんなはずは無いだろう。これは引用が下手だからだ。そもそも自分の言葉を使わずに、憲法と直接関係ない文章から適当に引用するから、こういうことになる。厳しすぎるかな。

 出典はご存じの方も多かろうが、外務省のサイトにある。1948年12月10日に、第3回国連総会において決議された「世界人権宣言」の日本語訳第16条に出てくる。以下、次のサイトから該当の第16条を全文、転載します。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_002.html


 第十六条
1 成年の男女は、人種、国籍又は宗教によるいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する。成年の男女は、婚姻中及びその解消に際し、婚姻に関し平等の権利を有する。
2 婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する。
3 家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。


 この第3項から、一部分を拾い上げて来たのが明らかである。国連人権宣言の第16条全体でも、順序は先ず婚姻であり、次に家族である。さらに、家族とは「社会の自然かつ基礎的な集団単位」であると定義づけており、完成草案のように「〜として」というような書き方で、家族の一側面を都合よく抽出しているような書き方ではない。

 しかも、それに続き世界人権宣言では、「社会及び国の保護を受ける権利を有する」と明記されているように、国からも大事にされなければいけないものと位置づけられているのだ。これでは改正草案が、表現を借りただけの恣意的な引用をしたと言われても、返す言葉はあるまい。大丈夫ですか。一休みしますか。


 こちらは、忘れないうちに書いておかないといけない。この「社会の自然かつ基礎的な集団単位」というのも学術用語としては不自然ではないのかもしれないが、もう少し国民全体に分かりやすく訳してもらいたいものだ。これは外務省の責任ではない。

 そもそも、この国連人権宣言の前文の日本語訳が、あまりに酷い。なぜなら、本家本元の国連人権委員会が規定している日本語版がこうなっているからだ。できたのが憲法より2年後の1948年だから、サンフランシスコ条約の前。国連の少し日本語ができるお方が、精いっぱい訳したのがそのまま残っているのだろう。


 この原文はフランス語か英語か知らないが、どうせ仏語は読めないので、第3項のみ英語だけ確認する。和文版は、どうにもこうにも、綺麗な直訳である。
The family is the natural and fundamental group unit of society and is entitled to protection by society and the State.


 乱雑に検索しただけとはいえ、実際これが、改正草案の第24条第1項という、重要な論点となるはずの条文案の実態なのだろう。私の理解では、物理学風にいうと、家族は社会の分子みたいなものだ。集まりだから、素粒子ではない。国家より前に、自然に出来たもの。

 助け合うも何も、小学校の部活でも互助組合でもないはずなのだが、更に、この続きの第二文も困りもの。この検討は後日に譲ることとして、その前に整理したいことがある。それは次回にて。






(おわり)








「両性の本質的平等」にも、俗世には区別がある。
(2016年9月24日撮影)







































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