おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

職業選択の自由は守られているか  【後半】  (第1356回)

 前回の続きです。自民党やその取り巻きが「新自由主義」とやらを標榜していた時期は、日本の社会経済の一大変革期であったろう。振り返れば失われた十年が、もう十年、再延長された時期にも当たる。別の機会に述べることになるが、家族が壊れた。

 特に都市部では、親戚付き合いも、近所付き合いも、もともと続けるのが面倒なものだっただけに、あっという間に不要で邪魔なものになった。そして損なわれたのは、家庭だけではなく、多くの職場も同様であると思う。少なくとも、いまなお危機に瀕している。


 80年代後半に海外駐在から戻ったら、職場にパートタイマーさんや子会社出向組があふれ、NHKが「理想の生き方の一つ」ということで、フリーターを称賛する番組を放映したのを鮮明に覚えている。90年代後半に海外駐在から戻ったら、派遣社員契約社員が、職員と同人数ほどに増えていた。

 その正規職員も退職勧奨、ポストオフ、部下無し、早期退職制度などなど、先行きの見えない職業人生の見直しを迫られ始めていた。今なお進行中だろう。そういう生産現場から、あっさり早めに脱落した私は、ほかにどうしようもなく個人事業をしている。


 精一杯、仕事に勤しんでいるのだが、先日、飲み会の席上で旧友に、自分の年収額を正直に言っても信じてもらえないくらい低い。その彼らとて、どこかで角を曲がり、新たな職場環境で苦労を重ねている。このありさまでは、権利や自由の一つくらい、主張したくなって当然ではないか。

 しかし既得権益を守り抜く決意を固めた集団による、排他的経済活動はすさまじい。私の同級生らには、何人かの元新聞記者や、詳細を書けないが現役のマスコミ関係者がいる。彼らの話では週刊誌やネットの情報どおり、テレビのキー局や全国紙の新聞社に勤める人たちの給料は、ものすごく高いらしい。


 そのテレビ局の人たちが、NHKには遠く敵わないという。さらに、その上に電通がいると聞いた。最近、耳を疑う話題の多い会社である。過労の事件はエスタブリッシュメントの吹き出物。ところで、もちろん上記の賃金水準の話は、統計的・平均的な額を比べただけの一般論に過ぎない。

 そして以上は全てが伝聞なので、絶対に違うという方は、できれば是非、証拠品をご披露のうえ、拙論を粉砕していただければ、こちらも精神衛生上、なんぼか救われるであろう。どうせ六文銭ぐらいしか墓場には持っていけないのに、法人税を下げている暇があったら、少し分け前をまわしてもらえんものだろうか。


 前述の参院選の前、あるメディアのアンケート調査によれば、最重要の政策は何かという質問に対し、四十代以下の若い世代では、すべて「経済政策」が首位。五十代以上の高年齢者は相変わらず「社会保障」。しかも全世代において、この二つと憲法改正が表彰台をほぼ独占していた。

 他の報道も似たような調査結果になっている。憲法を除くと、要するにお金の話ばかりである。その憲法改正支持も、理念や責任感があってのことという感じはしない。九条と緊急条項ばかりが話題になる。半島と大陸の憎さ怖さが、なせる業なのだろう。その情報源は、大本営発表が殆ど全てなのだが。


 一方、政党の支持理由においては、「政策」は低位に過ぎず、「他にないから」という議会制民主主義の断末魔の叫びのような消去法的理由が最大であるのは周知のとおり。政党選択の不自由。無論このご時世では、経済成長を求める気持ちもよく分かる。私とて、ホチキスを使うかどうか、いちいち迷う身の上だ。セロテープの長さも気になる

 それでも、特に若い層には考えてほしいのだ。誰のせいで、こんな風になっているのか。頼ろうとする、その誰かが誰なのか。自分らが経済的・精神的に追い詰められているのは、本当に人口が多いというだけの「ジジババ」や、生活保護のせいなのか。


 職業選択の自由。大いに結構な話にきこえる。でも落語を聞いているだけで伝わってくるが、徳川時代の社会制度だったという「士農工商」は、明治以降の後付け解説に過ぎず、社会的身分の間の流動性はけっこう高かったらしい。今はどうだ。なぜ、二割を超える人が「自社はブラック」と調査に答えつつも働き続けているのか。

 職業選びは自由があっても、選択肢がなければ意味がない。多くの論者が、社会階層の固定化、格差の遺伝といった警鐘を鳴らしている。古今東西、稼ぎがない男はソルジャーかテロリストになるのも珍しくない。あの憲法もどきが描く時代が来れば、かなり自由に、そうなれる日々が来ると思うよ。公益及び公の秩序に貢献できるから、なりたい自分になれるだろう。


 なお最後に、改正草案を読むにあたり、賛成していただかなくてもよいが、私なりに「公益及び公の秩序」を、どう読みかえているかを記す。「公益」とは、政治家を含む「公務員の利益」と読む。憲法に「利益」とは、エコノミック・アニマルにお似合いの優先事項である。

 「秩序」は、大日本帝国憲法の「第二章 臣民権利義務」にある第28条に出てくる。「第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」。他の章にも有ったが、第二章の臣民の権利においては、この条項だけだ。「神聖ニシテ侵スヘカラス」の天皇制と国家神道。臣民の分際で、楯突くなということだ。





(おわり)






苔のむすまで (2016年9月23日撮影)






































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