おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

学問のすゝめ  【前半】  (第1357回)

 第23条は、いまの憲法も改正草案も、仮名遣い以外は同じ。
第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

 学問とくれば、福沢諭吉であろう。「学問のすゝめ」は明治初期のベストセラーで、もちろん明治憲法よりも帝国議会よりも先輩である。今回も青空文庫さんのお世話になる。ボブ・ディランが賞金を固辞して予算が余ったら、ノーベル文学賞を差し上げたいサイトである。


 主著「学問のすゝめ」。特にその冒頭部分は、不滅の革命思想書である。福沢は、後に大学名に拝借した慶應の時代よりもさらに前、すでに欧米に渡り現地視察をし、帰国報告の「西洋事情」を執筆している。教育者としてのみならず、近代思想家としても先駆者なのだ。

 名高き「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は、その書き出しの言葉だけれども、続いて「と言えり。」とあるため、福沢の言葉ではないと主張しているおめでたい人たちがいるが、次の慶應のサイトにあるように、この発想こそアメリカの独立宣言という世界最先端の政治文書を出典としているようだが、文章表現は福沢のものである。
https://www.keio.ac.jp/ja/about/history/encyclopedia/22.html


 しかも、単に人はみな平等だと言って済ませている訳ではない。それどころか厳しい内容であり、生まれた(天に造られた)ときこそ統一規格だが、学問をしないと「下人」「愚人」になり下がり、学問をすれば一万円札に登用されるのも夢ではない。やはり早速、教育者なのであった。

 この時代に先立つ江戸時代の学問といえば、彼の表現を借りると「漢学」や「和歌」などの「文学」(今でいえば、人文科学だろう)であったが、もはや「かかる実なき学問」の重要性は二の次であるという。これからは、実ある学問すなわち実学の時代であると説く。内訳のご紹介まである。


 すなわち、義務教育に当たると思われる段階では、「いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得」るべきであり、つまり読み書きそろばんの寺子屋的カリキュラムは、依然として大事な基礎である。

 次の「なおまた進んで学ぶべき箇条」こそが、学問のすすめの対象であろう。「地理学」、「究理学」(文意からして、自然科学全般だと思う)、「歴史学」、そして「修身学」とある。中等・高等教育の段階か。なお、最後の修身学とは何かというと、「身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。」という解説がある。


 道徳教育のような「子供は大人の決まりを守れ」(公共の秩序に反してはいけない、ともいう)というようなものではない。個々人が、それぞれ社会で暮らす作法を身に付けよという意味であろうと思う。スピノザの「エチカ」に近いような気がする。「この世を渡る」という表現が分かりやすい。

 国民主権の厳しさにも触れている。「国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり」。したがって国防の責任者が「上には上のやることがある」などと申して、前線から逃げてはいけないのだ。以下、後半に続きます。拙文は長いので、以後できるだけスクロール無しで読めるように気を付けます。


 


(おわり)










いずれも越後の温泉地にて
(2016年9月24日撮影)















































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