おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アイゼンハワーの大統領退任演説  (第1330回)

 しばらく前に話題にしたケネディ大統領就任演説の三日前、前任者のアイセンハワー大統領が退任演説を行っている。彼はノルマンディ大作戦の英雄で、つまり日本を攻めたメンバーには入っていなかったからか、うちの田舎程度だとニミッツマッカーサーは駄目でも、彼には人気があった。愛称のアイクを子供のころから知っていました。

 誰に聞いたか、まだ未成年だったと思うが、「軍産複合体」という言葉を彼が使ったと聞き、その概要も教えてもらって、これは立派な人に違いないと思った。内部告発に近い。のちに、退任演説でやっと口にしたと聞いたときには少しがっかりしたが、そういうタイミングでないと言えなかったのだろう。この重いバトンを引き継いだのがケネディだったのだ。


 さて、第二章の「安全保障」において、改正草案はもう一条を新設しようとしている。第9条の三。タイトルが(領土等の保全等)となっている。命名のセンスが良くない。ともあれ、条文。
 (領土等の保全等)
 第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

 国の義務を定めており、当然やるべきことに見えるので、すんなり通り過ぎかねない。でも、ここでも言いたいことがある。先述のとおり、この条文でも「国」と「国民」は別物であることが明らかだ。この憲法草案の「国」は、全て統治機構とか権力装置とかに書きなおしても、意味が通じるのではないか。

 しかも、「国民と協力して」というのが奇怪です。どんな協力を求められるのであろうか。断るとどうなるのだろうか。それでは、支配者階級と被支配者階級(私はこっち)が協力して、何にあたるかというと、二つある。(1)領土、領海及び領空を保全する。(2)その資源を確保する。


 (2)に出てくる「資源」が、ここの題目とみて、まず間違いない。国土の自衛は既出なのだから。条文の「その資源」とは「国」の資源でも、「領土、領海及び領空」にある資源でも、同義だろう。国民のものでないのなら。もちろん、われわれが生きていくために守るべき大事なものだが、国民は何の協力をすればよいのだろうね。銃後か盾か。

 この一見あたりまえの新設条項を付け加えた事情とはなにか。昨今の極東における領海・領土の国際問題が、海底資源の存在抜きで語れないのは周知のことだ(実は、あの辺には余り資源が無いという説も聞いたことがある。真偽の程は知らない)。

 さらに、最近ではウナギの稚魚だのカツオだのと、水産資源も奪い合いになっている。それを守るのだ。資本家のために。この改正草案は、軍事色ばかりが話題になりやすいが、実は経済に大きな関心を抱いている。この点は追い追い述べる。


 領土問題が絡むのは、資源なのに「安全保障」の章に入っていることからも分かる。しかも、第9条の二「国防軍」とは別条だから、領土、領海及び領空を保全するのは、一義的には(字面では)軍隊ではなくて、国と協力的国民なのだ。ますます何をすべきなのか全くわからん。

 一つ注文するならば、ここで領土に触れる以上、以前から問題視されている「日本の領土」はどこからどこまでなのかという具体的な記載はできないものか。日本には領土を確定した法律さえないはずだ。択捉島を守れと言われても、みんな困るだろうが、これは政策の話ではなくて一国の憲法の重要記載事項なのだ。


 話を最初に戻して、アイゼンハワーの退任演説も、アメリカの国立博物館のサイトに掲載されている。タイプ打ちの文章であるのは、プレス・リリースをスキャンしているからだ。【追記:なぜか今では削除されている】
https://www.eisenhower.archives.gov/research/online_documents/farewell_address/1961_01_17_Press_Release.pdf

 各ページの上に頁数が書いてあり、その3ページ目の冒頭から、軍産共同体についての演説内容が記録されている。和文は、「アイゼンハワー 退任」などで検索していただければ、しっかりした翻訳が幾つあるのでご興味のある方は、そちらもどうぞ。


 戦争の規模が拡大し、技術革新が進むにつれて、軍需産業というものを育ててしまった。この「産」と「軍」のチームワーク、「Military-industrial complex」を警戒せよとアイクは言い残している。この複合体には、「我々の労苦、資源、生業のすべてが巻き込まれる。社会構造そのものが呑み込まれる」と恐ろしいことを語っている。やっぱり、資源は大切だ。彼らにとって。

 もちろん軍と産だけではない。例えば、原爆の製造と投下は、産と軍が担当したが、開発したのは学界であり、投下を決定したのは政界である。日本でも、いま話題の何とか会議関連のメンバーが、これらの軍需村のメンバーをそろえているのは不思議でもなんでもない。


 戦争は儲かると前に書いたが、正確には軍備こそ儲かる。アメリカやロシアが上手だが、あまりに戦争ばかりやっていると、支出や消耗の度が過ぎるので、普段は練習をガンガンやってさえいれば、消費も活発になるというものだ。もっとも、軍事大国はたまに戦争をしないと腕が落ちるし、予算を削られてしまう。戦争も公共工事なのです。

 今の改憲勢力の顔ぶれを見て、この方々が本気で戦争を今すぐ始めようと真剣に考えているとは、私には思えない。核の傘をさしていれば「不戦の誓い」は無理なくできる。まずは、軍隊と軍需産業を育成して、経済成長に結び付けるのが先決である。戦闘は当面、アメリカ頼りだからこそ、集団的自衛権や安保法案をあれほど急いだのだろう。


 我が国は当面、人口減少と少子・超高齢社会から抜け出せまい。かつての日本と同様、ライバルのアジア諸国も経済力をつけて来た。うちは国家財政も社会保障も深刻らしい(表に出てくる数字だけでも、もう見たくなくなってきた)。起死回生の新興産業は、現行憲法の第9条に阻まれている。極端な言い方をすれば、日本は軍隊を作るか、生活水準が下がるのを覚悟するのか、いずれかを選ばないといけないと思う。

 事情があって、私自身、ここ十年ほどかけて生活水準を、少しずつ下げて来た。避けられない事情があるので仕方がないと分かっているし、時間も十分かけたのに、それでも物すごく、辛いのである。さすがに若い世代は敏感で、車も買わず酒も飲まず恋愛もしない。危ない登山をしなければ、滑落の心配はない。


 国も、このまま経済規模が縮小し続けると、いつの日か食糧や原油を輸入するお金もなくなってしまうかもしれないから必死だ。だから、憲法を護る側だって、内田樹さんの言葉を借りると、日本がこれから否応なく経験しなくてはならない「撤退戦」のやり方を考えていかないと、結局、やっぱり子孫が苦しむことになると思う。

 今回は常にも増して、悲観的なことばかりで申し訳ないです。しんどいな、憲法の勉強は。結局、アメリカはアイゼンハワーの忠告も博物館に飾っただけで、キューバ危機を回避したケネディは短命に終わり、今日に至るまで日本の金持ちのお手本みたいな体制は揺るがない。お互い民主主義というより、資本主義だからね。誰のための安全保障なのか、はっきりしてきたように思う。




(おわり)



孤高の向日葵  (2016年8月11日撮影)








































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