おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

三島の檄  (第1274回)

 明日は11月25日。1970年のこの日、三島由紀夫自衛隊の建物の中で割腹自殺した。当時の私は10歳であったが、実家は朝の7時と夕方の7時に、一家でテレビのニュースをみるのを日課としていたため、この騒動のことを子供だったにしてはよく覚えている。もちろん三島の思想のことではなくて、出来事(正確に言えば、画像上の光景)の一部だけであるが。

 まだ彼の文学に触れていなかったが、小学生でも名前は知っていた。それほどの著名人であったから、事が事だけに大変な騒ぎになったことだろう。クーデタの失敗と表現する人もいる。以下に示すとおり、確かに法律違反の政治・軍事行動により国を変えようとしたのだから、用語の定義に沿えば、やろうとしたことはクーデタなのだろう。


 二人が命を賭けたのだから(現代日本の政治史で命を賭けた人は、極めて少ないと思う)、軽視はしない。でも逆にいうと、その自決以外は、「言葉だけ」であったようにも感じる。ほぼ全ての人にとって、檄の配布と約十分のアジテーション演説だけだった。これでは自衛隊は立つまい。国は変わるまい。三島の支持者には悪いが壮挙は空転し、殆ど世間に忘れられている。

 仮にいま私が全く同じことをしたとする。誰もクーデタの失敗とは呼んでくれまい。何人かに重傷を負わせるなどの刑事事件に終わったのだから、たぶん良くてテロリストと断定され、むしろ生き残ったら精神鑑定を受けることになるような言い方をされる。名声がないと、そういう目に遭う。


 十数年前、その現場となった防衛庁に行ったことがある。当時、他の省庁や裁判所の入り口は素通りに等しかったのに、国際線と同じくらいの身体検査と手荷物チェックを受けて、さすが防衛当局だと思ったものだ。三島の場合はそれすらなく、日本刀を持ち込んでいる。皮肉なことに、彼が指弾した通りの弛緩した状況が、切腹を成功させてしまったことになる。

 公私を問わず、市ヶ谷、四谷、麹町の近辺には、毎週のように出かける。かつて、大本営の陸軍拠点があり、私の伯父もここから発信された赤紙で戦地に送られたのだろう。拙宅のマンションからも、あの独特の鉄塔が見える。三島はその四谷で生まれ、市ヶ谷で死んだ。


 このブログで取り上げた理由は、三島由紀夫がその「檄」の中で、憲法改正に触れているからで、このテーマ以外に関心事はない。私は自分が愛国者であると確信している。世界中を知り尽くしている訳ではないが、こんな良い国はないと思うよ。彼と同様、守りたいと思う。だが、今の改憲勢力の方法論には与しない。

 ここで「檄」と呼んでいるのは、彼が自衛隊に乱入するにあたり、配布と公表を目的に準備した文書で、ネットでも「三島 檄文」などで検索すると、複数のサイトにその全文が出てくる。新聞記事はいつまで閲覧できるか分からないが、産経ニュースのURLを貼っておきます。
http://www.sankei.com/premium/news/151122/prm1511220033-n1.html


 全般に幕末維新における尊王攘夷の志士が書きそうな、抽象的あるいは扇情的な表現が並んでいる。三島の指摘には、つくづく現代の日本も、そのとおりだよなあと思う箇所が幾つもあるということは、換言すると、きっかけとなった1969年の安保闘争における新宿騒乱以外は、具体性に欠けるから、今なお違和感がないのだ。

 今のネットの盛り上がり具合や、反政府デモを見ていれば一目瞭然だが、極右と極左は感情的でないと成り立たない。昨今は日本だけではないようだが、右と左の両極端に別れる傾向が強いのは、私のような、そしておそらく三島も同様、理屈が先行して感情を抑えてしまうタイプが今では政治に背を向けており、そして、情動的な人間は即時に仲間を作りやすいからだ。


 さて、評論家みたいな御託を並べるのはこのくらいにして、三島由紀夫渾身の力作、「檄」に目を通す。準自衛官としての四年間と自衛隊への愛を、整然とした文章で語る。ずっとその調子で冷静である。これで血判を押せと言われても、盾の会のような人たちしか動かないだろう。演説の切り上げ方からしても、これは檄文というより、遺書に近いと思うのは私だけか。

 憲法関係は、まず当時の自衛隊に対する彼の解釈・評価の部分に出てくる(以下、青字は引用)。「法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍」とあり、きわめて明晰。三島の視座は、憲法学者か外国人のそれのようだ。


 私の理解に誤りがなければ、現時点で国会に籍を置く政党で、自衛隊違憲だと明言しているのは、日本共産党だけだろう(後記:社民党は、よくわからない)。保守政党は「御都合主義の法的解釈」により合憲の立場であり、しかもその解釈の範囲は、とめどなく広がりつつある。そして、そろそろお茶を濁すのも限界にきているので、改正草案のお出ましとなったね。

 左派の党や私のような日和見も、別の意味で御都合主義であろう。正確を期して全力を尽くし、条文を字面どおり幾ら読んでも、日本国憲法武力行使による自衛権は無い。だが、長いこと黙認してきたし、自衛隊がなくなると、北からミサイルが飛んで来たり、海から津波が押し寄せてきたりすると困るので違憲と呼べない。


 彼の期待は、まず「憲法改正」であり、次に「憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機」であったが、上記の左翼のデモが警察に鎮圧されたため、捲土重来の出番がなくなったと断定している。銃刀法は厳しい。たしかに、千人を超す逮捕者を出すくらいが、精いっぱいと考えて不思議はないか。

 三島は、それまでの自衛隊が「憲法の私生児」であったと表現する。さすがは文学者、切れ味が鋭い。だが、残念ながら国家権力に取り込まれ、「認知されてしまった」のだ。別の箇所では、「変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されること」になったと嘆く。三島さん、何十年か早まったのでは...。
 

 私のように変化が嫌いで保守的な性格なのに、保守政党の言動が気に入らないと話題にするだけで、あるいは、アメリカに頭が上がらない国と言うだけで、「サヨク」と痛罵される時代である。すでに、1970年において三島由紀夫が以下のごとく喝破しているというのは、慧眼というほかない。

 「沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。


 恥ずかしながら私は、このへんで止まってしまっている。この先どうしようか、見当もつかぬまま憲法を読んでいる。一方で、最後に三島がたどり着いた価値と主張は、使われ方次第で危険この上ないものだと思う。終盤の大半を引用しつつ、私見を述べて終わる。

 「共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ」。後半の「日本」を、例えば「世界」なり「人類」なりに置き換えれば、現代の自爆テロリストや、それを操る者らの妄言そのものだろう。


 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」。これは今秋、自衛隊を、自分たちさえ地図上の場所すら知らないような国に送り出した人々のレトリックとそっくりさん。

 その続きは、隠しきれずにすっかりお馴染みとなった、連中の本音と同じだ。「それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ」。自由で民主主義的な党名は、おもて看板であり、大事な「会議」の名は、われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。間違っていたら、教えてください。





(おわり)





歴史と伝統より、イワナで呑みたい国
(2016年9月23日撮影)





































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