前回話題にした言論弾圧は、何も強権発動しなくとも、もっと遠回しに、あるいは脅迫程度でも十分できる。たとえば最近の事件でいうと、京都のアニメーション会社でガソリンを撒き放火するという極悪非道の事件があった直後、愛知の展覧会の主催者に対して、ガソリンを持って伺いますと連絡するだけで効果が出る。
こんな不気味な脅迫を受け取った側の身にもなれば、たまったものではない。私が独裁者なら二人とも、市中引き回しのうえ磔獄門に処す。木造家屋ばかりだった江戸時代、放火は極刑の対象だった。
確かナポレオンの言葉だったと思う。一字一句まで正確に覚えていないが、概要で十分。ナポレオンでなくても十分。人を動かすには利益と脅迫があれば足りるという趣旨。山本五十六とは格調が違うが、これは真実であり、日常的に行われている。
会社でいえば、利益とは例えば給与や賞与であり、管理職になればその部署への予算・人員の増減というような、つまり金の話が典型。脅迫とは、悪いことをしたり成績が芳しくないと、どういう目に遭うか分かっているだろうなという条項が、就業規則などに列記れされており、紳士的に言うと人事権や懲戒権などのこと。
これらを国家権力が報道機関に対して行うと、どういうことになるか。昔話で特に名高いのは、東條英機が毎日新聞に対して暴虐なふるまいをした竹槍事件がある。最近こころなしか、東條の肩を持つ者が増えている嫌な感じがするが、全て私の敵です。根拠は他のサイトに書きつつあるので、ここでは省略しますがとうてい許せない。
竹槍事件についても、これを題材とした書籍をいま読んでいる最中なので、詳細は後日の話題とし、今回取り上げる本は辻田真佐憲「大本営発表」(幻冬舎新書)です。副題が「改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争」とあるように、分析対象は何十年も前の出来事だが、問題意識は今日的なものだ。
大本営発表の個別具体的な実態については、同書をお読みいただきたいし、類書も多いことと思う。多すぎて、ここで書き始めると切りがない。ここではまず当時の報道の実態を簡単に整理することから始める。
ラジオはNHK一局しかない。テレビはない。もちろんネットもない。新聞は今の朝日新聞と毎日新聞が大阪に本社を置いていた時代で、そこに読売新聞が参入してくる。こちらのほうは、映像系のテレビ・ラジオと異なり、競争がある。また、NHKは人事と予算を握られると、逃げ場はない。過去も現在も。
もう一つ、大本営発表というと、多くの人は私と同様、このラジオや新聞の報道ぶりを想起するだろうと推測するのだが、正確には名前のとおり、大本営陸海軍部が報道機関に対して発表したものであり、現在の敵性語で言えば、プレス・リリースに当たる。
したがって、本来は、その記者会見の場で質疑応答があったり、メディアが裏取りの検証をしたり、自社なり記者なりの主張を載せて、読者に情報を提供しつつ、判断を仰ぐ。これは太平洋戦争時にはできず、そしてどうやら、今また深刻な危機に瀕している予感がする。昔は「提灯記事」と蔑んで呼んでいたのだが、これからは何と言おうか。
ナポレオンの遺言に基づき、利益と脅迫を念頭に本書の概略に触れます。私の場合、竹槍事件はずっと前から何かの機会があって知っていたのだが、この本で初めて教わったのが「新聞用紙供給制限令」。
最後に「令」が付くので行政文書であるはずだが、これには根拠法があって、その法律が委任した詳細を政令や省令で定めるというのは、今でも当たり前のように行われている。本件の場合、根拠法は悪名高き国家総動員法であり、この行政令のリストの中に新聞用紙も含まれていた。
この貧乏国家の貧乏軍隊は、戦争に使う紙も足りず、民間から総動員した。例えば通信紙とか地図とか、戦場でも紙は重要な物資なのだが、新聞紙もよこせと言ったらしい。これでは軍事政権のご機嫌をそこねると、検閲以前の問題で、新聞を刷れない。
さらに、国家総動員法には、物資だけではなく人員や労務も含まれていたのはご存じのとおり。律令制の時代の用語でいえば、租庸調と習った。日本国民がこれほどまで過酷な収奪に遭った時期も少なかろう。東京オリンピックのボランティアは大丈夫か。たぶん大丈夫ではない。
竹槍事件は総動員の典型で、新聞記者を持っていかれた。そうでなくても、先の戦争が始まり、長引き、戦況が悪化するにつれ、記者のみならず、購読者も新聞配達も、印刷工も広告主も、片っ端から働き手と買い手が戦場行きになった。最後には、うちの両親もそうだが、小中学生まで閉鎖して勤労動員した時代だったのだ。
これでは新聞もそうそう簡単に、良質な記事を書いてどんどん売れるというものではない。かくて、よくいわれる「大本営発表の垂れ流し」が始まった。ラジオと新聞しかない一般国民は、戦況など他に知りようがない。連勝ときどき玉砕。
今日、新聞やテレビの置かれている状況に、類似点はないだろうか。新聞紙はともかく、すでに始まっている少子化と人口減は、この先、何十年も続く。何せ親の代が減り続けているうえに、合計特殊出生率が頭打ちでは、増えるはずがない。
かくて戦時中と同様、記者もデスクも読者も、そもそも話題も、減る。さらに、人口減に伴い経済も縮小していく。経済の衰退については政府や御用学者が断固、認めないだろうが、労働者も消費者もすさまじい勢いで減る中、アジアほかの過去、途上国と呼んでいた国々が経済力・技術力を伸ばしている。これで経済成長ができたら奇跡です。ただでさえ、地下資源もないし、農地や漁場を潰してきたのに。
経済規模が縮小すれば、経営基盤の弱いマス・メディアならば存続が困難になる。下手をすると、権力寄りのプロパガンダを始める。さらに、スポンサーがつかなくなる。商業用の広告宣伝や、企業情報(会社の事業紹介や求人など)は、大手企業や外資など、もうすでにネットに大半が移行しているだろう。
新聞だけではなく、雑誌も、それに漫画まで、販売部数が減り続けているそうではないか。人口減とネットに食われた分が大きいはずだ。ただでさえ、日本は私がかつて暮らしていた米国と比較しても、全国紙や、全国ネットのテレビ局が多い。そこにケーブルテレビや、動画サイトが参入してきている。かくて、私たちは官房長官談話の垂れ流し報道を浴びることになってきた。
前途は暗い。発信者も、われら受信者も、これからは情報の伝達交換の手段や相手を、試行錯誤しながら選び続けないといけなくなった。ではすぐにインターネットに頼れるかというと、余り人のことは言えないが、偏向と罵詈雑言に溢れており、真面目に接しようとするほど疲れる。
もういちど、井戸端会議や床屋談義を見直した方が良いかもしれない。三人寄れば文殊の知恵だ。学校がんばれ。なぜ政府が教育現場に介入しているのか、その魂胆は歴然としている。メディアもネットも捨てる訳にはいかないが、どうやら少し距離を置いた方が良い。出歩きましょう。
(おわり)
千鳥ヶ淵 (2019年8月14日撮影)
And your gravitiyfalls...
重力が衰えるとき...
”Just Like Tom Thumb’s Blues” Bob Dylan
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