おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

1970年代  (第1137回)

 漫画「20世紀少年」は、主人公が大阪万博に行けず、祭りのあとが来てから悲劇が始まる。私の実感も、個人的なことを含め、70年代の特に前半は世相が暗かったという印象がある。

 祖父が他界し1971年に自宅が引っ越したため、それまで近所に十人以上いた幼馴染の遊び友達を、ごっそり失った。大阪万博には行けなかった。石油ショックのインフレで、お菓子や文房具がどんどん値上がりしていく恐怖を味わった。連合赤軍の殺し合い、あさま山荘の事件、大久保清の事件。


 なんだか最近は歳のせいか、私の視線は過去のほうに、故郷のほうにばかり向いている。60年代までは7時のNHKニュースを観ながら、丸い卓袱台を一家で囲んで、夕ご飯をいただくのが実家のしきたりであった。私はそれまでに、新聞紙とマキで風呂を焚いておく係でありました。

 国際的なニュースで覚えているのは、一番古いのが1964年の第一次東京オリンピック、次が1966年のビートルズの来日、その次が急に物騒になるが、第三次中東戦争。1967年に起きた。ちょうど半世紀前。


 なぜ、こんなのを覚えているかというと、あの小さなイスラエルという国が、最初からずっと押し気味で、あっという間に周囲にたくさんあるアラブの国々に勝ってしまったからだ。子供の理解をはるかに超える出来事であった。

 アラブの国々にとって、正確を期せばイスラム教徒にとって、痛恨だったのは、この戦争の結果、アブラハムの宗教の共通の聖地だったエルサレムを奪われてしまい、大量のパレスチナ難民が周囲の国だけでは保護しきれないほど発生した。


 それ以降、日本を含む国際社会はこの火薬庫のような土地で紛争が起きないように、起きても最小最短の規模になるように、石油も買って差し上げて、国連にもお金を出して、支えてきた。それをこの程、たった一言で台無しにした者がおる。

 念のため、我が家は仏教系で、私自身は宗教に関心はあるが、特定の信仰はない。日常、仲の悪い一神教のどれかに肩入れをしているわけでもない。中東には行ったことがないし(エジプトに一泊だけか)、何の利害関係もない他所者です。


 報道によれば暴動などで既に死者が出ているらしい。自分が口にした一言が直接の原因で人が死んだら、私は一生立ち直れない。しかし、あの、頭の中身までマシュマロマンには、人類の常識が通用しない。

 もっとも、今回、私より阿呆でもアメリカの大統領になれることを教えてもらったので、その点はありがとう。それにしても、これからどうするつもりか、どうなるのか。集団的自衛権、早すぎましたなんてことにならなければ良いが。


 ニューヨークに向かう4機の飛行機が、同時にハイジャックされて大騒ぎが起きた。事件が一応の決着をみたのは、9月12日。これ以降、世界にテロの嵐が吹くことになった。一日、日付が違う?

 別件です。1970年に起きたパレスチナ解放人民戦線によるテロ事件。その翌日に大阪万博は終わった。



(おわり)



プラタナスの枯れ葉舞う秋の道で  (2017年11月13日撮影)




 

 人は誰も故郷を振り返る

   「風」 はしだのりひことシューベルツ(1968年)  合掌

















































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