おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

新聞雑誌が売れなくなったとき  (第1398回)

 最近は書評欄になっています。今回は辻田真左憲著、「大本営発表」(幻冬舎新書)。タイトルだけでは、憲法改正との関係が見えにくいかもしれないので、ブログのタイトルから補足を始めている。

 すっかり日本語の慣用句とし定着した大本営発表大本営そのものは、日清戦争の時代からある。ただし、この本が主な統計・分析の対象にしているのは、日中戦争および太平洋戦争の時代。


 それまでも、お粗末な事件はあった。日露戦争のとき、最初の旅順総攻撃の際は、日清戦争と同様、一日で落ちると踏んだ軍部が、マスコミを集めてプレス・リリース大会の準備までした。そして、大敗したのだが、誤って「旅順口陥落」などという号外が出た。

 これすら単なるお茶目にしか思えなくなるのが、1942年からの意図的な誤報、捏造、誇張、隠蔽の数々である。詳しくは本書をご覧いただきたいが、この年、陸海軍は負け始めた。珊瑚海、ミッドウェー、ダガルカナル、ソロモン、ニューギニア。そして、二度と劣勢を挽回することができなかった。


 私は経済学部の卒で、営利企業に就職したし、今も零細の個人事業を続けているから、こういう政治軍事や報道に関する本を読んでいても、経済関係の記事があると興味を持つ。大本営発表の担当部署は、大本営報道部という組織だった。

 正確にいえば、大本営発表を発表するのは(物理的に国民に届けるのは)、報道機関である。これは今の政治報道についても、大筋では変わらない。今後インターネットがどのような変容を遂げるか見ものだが、現時点では、まだまだ新聞とテレビの影響力は大きい。取材という仕入れ・入り口における組織力が違う。


 大本営の情報局が、戦時下の報道機関をコントロールした手法の一つが紹介されている。「用紙の配分権」。日中戦争中に成立した「国家総動員法」に基づき、「新聞用紙供給制限令」が出された。「統制委員会」もできた。

 お上に睨まれると、新聞社は新聞紙が手に入らなくなる。現代でいえば、電力の供給を差し止められるに等しかろう。これでは、国家権力のいうとおりに、ニュースを横流しするしかあるまい。魂を売った結果がこれだ。近年、「電波を停めてやる」と言った政治家がいる。全く同じ魂胆である。


 この先は、本書に書いてあることではなくて、私が読後に考えたことなのでご参考まで。足りなくなる心配は、あるいは実際に足りなくなったものは、新聞の用紙だけではあるまい。インクも活字も戦争以外のネタも不足し、記者も印刷工も読者も戦場に送られては、作るも売るも大変だ。人も物も金も先細りの時代、生き残り競争に仁義も正義もない。

 聞いた話だが、戦前、ナチスドイツを支援・称賛した新聞・雑誌は、戦後のドイツで全て廃刊になったらしい。日本ではマスコミがこれを報道しないので、ドイツ語ができない私は噂話で耳にしただけだが、こういう洗礼を受けていないのが日本の新聞社であることだけは、間違いない。


 最後にもう一つ。戦時中の新聞は過当競争だったのも一因という指摘が本書にあるが、相互の競争に加え、新しいメディアが登場したのも大きいに違いない。ラジオのことです。戦後生まれの我々は、大本営発表というと真珠湾攻撃のラジオ放送が印象的だが、あれは活字媒体向けの記事を、あとからラジオで読み上げたらしい。当時はNHK一局のみ。

 言うまでもなく、現代のマスメディアは、ネットという新手の情報通信手段に、その存続をおびやかされている。テレビはチャンネルを増やし、新聞は傾向として、右と左に分化しつつある。最近、ネトウヨ新聞という言葉を聞いて笑いました。どこだか、すぐ分かりますね。また、総理ご用達の新聞もある。対するネットも玉石混交だ。

 週刊誌もかつては、自民党、巨人軍、アメリカ、東証といった強者相手に、喧嘩を売っては我々を楽しませてくれたものだが、今では芸能と下ネタと人殺しの話題ばかりだろう。情報源を自分で選び、評価し続けないといけない時代が来た。疲れる。



(おわり)




冬の太陽  (2018年2月19日撮影)



近所の梅一輪  (2018年2月13日撮影)





































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