AKIRA  (第1198回)

かつて、このブログでも何度か話題にした漫画「AKIRA」と映画「ブレードランナー」には共通点がある。すでにネットでも出ているのでご承知の方も多いかと思うが、いずれも物語の時代設定が、2019年だ。近未来ものは、いつか時代が追い付く。特にSF的な作品では、技術がそこまで達していなかったり、逆に追い抜いてしまったりが当然です。スマホが出て来ない。

だしぬけに「AKIRA」を思い出したのは、先日、東京駅のバス乗り場に行ったとき、隣にあるタクシー乗り場に、黒くてずんぐりしたタクシーが増え、そのほとんどに東京オリンピックパラリンピックロゴマークが、車体の横に付いているのを見たときだ。「AKIRA」も、2020年に東京で、オリンピックが開催される設定になっていた。

開催年まで一致したのは偶然のこととはいえ、おそらく、1936年にナチス・ドイツが主催したベルリン・オリンピックがモデルになっていると思うのだが、とても狂暴な政府がオリンピックを開催するのです。


かつて、このブログで、2020年の東京が決まったとき、おそらく生涯最後の地元開催になるので、高額なチケットは無理だが、予約も要らず空席の多いマイナーなスポーツを、ふらっと観に行けたら良いなと書いたのを覚えている。最近まで、ずっとそう思ってきた。

しかし、今回のチケットのネットによる事前予約の騒ぎをみて、うんざりした。どこの広告代理店が小細工をしているか知らないが、事前広告であおり、期間限定で焦らせ、キャンセル不可で荒稼ぎといった、私に言わせれば、インターネットの悪徳商法丸出しの手法である。そんなことなら、オリンピックは要らんと思った。今からでも遅くないから、止めたらどうか。


この大会を目指して練習に励んでいる選手(何がアスリートだ)たちには気の毒だが、かつて1980年にモスクワのオリンピックを、多分アメリカの命令で、ボイコットしたのを知っている私としては(AKIRAは、そのすぐ後の作品です)、いまの日本が、オリンピックにこれだけの費用やエネルギーを費やしている場合なのかという議論が起きても良いと思うのだが、なかなかお目にかからない。

ついでにいうと、ルールどころか、競技名すら知らない種目が増える一方なのは、どうしたことか。地味に楽しめばよいのに、オリンピック全体主義に取り込まれて良いのですかい。おそらく、種目を増やすと手柄になる者が、どこかに居るに違いない。国民栄誉賞のごとし。それから、文字で五輪と書くのは良いが、内閣総理大臣に至るまで、口頭でゴリンというのは、みっともない。


AKIRA」も「ブレードランナー」も「20世紀少年」も、人間が余計なことをしたため、災厄を引きおこすという、フィクションの世界では、常套手段とも言える自業自得の設定だった。それが今や、ファンタジックなものばかりだと感じるのは私だけか。警鐘を鳴らすのが、創造性豊かな人達の職責ではないのか。

ゴジラ」も然り。そういえば、「20世紀少年」の山根君は、初代ゴジラの山根博士から採ったものだろう。キリコは「15万人をふみつぶした」と書いていたが、私が子供のころ(大昔の統計情報です)、広島と長崎の原爆犠牲者は併せて約15万人と教わったのを覚えている。さて、今の日本に平和の祭典を主催する資格はありや。

そもそも、誰も平和の祭典なんて表現を使わなくなった。アマチュア競技の頂点でもなくなった。掲揚される日の丸の数が最終目標だ。だいたい、モスクワにしろ北京にしろ、都市が主催しているのに、なぜ日本だけ都なんだ。この選考における不正疑惑はまだ解決も消滅もしていない。楽しみはそれくらいだ。時代と年齢のせいで、ますます住みづらくなってきている。どうなっちまってるんだ、あの国は、とオッチョが言っていたものだ。



(おわり)




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海ほたる  (2019年7月15日撮影)


 あのこの笑顔も約束も
 信じられないことばかり

   「もう恋なのか」  にしきのあきら







(関連ブログです)
constitution.hatenablog.com




































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