おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

公園にて (20世紀少年 第795回)

 あるとき素敵な思い付きを得たと思ったが、どうやら間違いらしい。ババの店からヤン坊マー坊を追いかけてユキジが走り去る。もしかしたら、このあとで彼女は双子に相撲の決闘を持ち掛けられ、その日、ケンヂは白馬の王子さまになったのではないかと考えた。ユキジはケガをした帰り道、公演から帰宅するキリコに傷口の手当てをしてもらったのではないか。

 なんせ彼らはみんな同じ服装をしているので、しかも季節な夏だし、これは「あたり」かと思ったが、やはり「はずれ」だろう。キリコに会って帰路につくユキジが買い物カゴを下げていない。それにケンヂはこのころ、オッチョやヨシツネと秘密基地に向かっているので、単独行動でヤン坊マー坊と戦ったのは別の日だろう。


 上巻40ページ目、あたり券を全力疾走でババに見せに来たマルオの「バッヂ当たった」という勝利宣言のあとで場面が切り替わる。かつてキリコが東村山でマルオとケロヨンに、あの子は誰?と訊いたときのシーンがその途中からほぼ同じ形で再現される。また、ここではそのあとの様子も描かれている。

 先般、夏休み中だろうと書いたが、キリコは中学校の制服姿。読んでいるのは微生物の専門書のようだったから、図書館にでも行った帰りだろうか。あのときサダキヨが解釈したように「ミジンコの勉強」を続けていれば、15万人も踏みづぶして波乱万丈の人生を送らずに済んだのだけれど。


 サダキヨがお面を外して名乗ったとき、キリコの視線の先には同じくナショナル・キッドのお面をつけた少年が、フクベエと山根と一緒にたむろしている。第20集ではこの前に、この3人がキリコの前を通り過ぎながら「ククク」と薄ら笑いしている場面も描かれていた。同じお面でも別の少年だったのだ。

 そこで少女キリコは「じゃあ、あのコは誰?」はサダキヨに尋ねたが、サダ君の姿は掻き消えていた。全般にこの漫画に出てくるナショナル・キッドのお面のうち、ダッシュして去る少年はサダキヨと考えてよいのではないか。どうも私にはカツマタ君はもちろん、フクベエにも山根にもそういう瞬発力というか運動神経というか活力を感じることができん。


 ここでのサダキヨではないナショナル・キッドは、胸に宇宙特捜隊のバッヂを誇らしげに付けているが、他の二人に関心を示してもらった形跡がない。彼らがアイスを食べていたシーンもなかったように思う。秘密基地の悪童らをアウトドア型と呼ぶならば、この3人はインドア型だな。夏の太陽が草を焦がす原っぱの匂いよりも、アルコールランプの炎を好む。

 あとで出てくるが、ここでの話題は理科の実験であった。理科の実験。他の二人とは余り相性が良くもないようで、さらに態度も大きいというかマイ・ペースすぎるカツマタ君が、「しんよげんの書」の仲間内に加えてもらっているのは、理科の実験が好きという共通項があったからではないだろうか。他に思い浮かばないのです。


 鉄柵に腰かけたフクベエが、隣席の山根に「これがすごい計画なんだ」と口火を切っている。カツマタ君は立たされたままだ。今度はどんな計画なのかと山根はつとめて熱心に話を合わせる。くわえて「”ともだち”が考えていること、もっと知りたいよ」とも云う。

 科学者には芸術家的な独創性を閃かせるタイプと、地道に実験や調査を繰り返して仮説を検証していく職人肌のタイプがいるように思う。どちらかにしかならないというより、この配分の違いが人それぞれなのだろう。山根はややインスピレーションに欠けるようで、フクベエの着想を実現する研究者であったようだ。


 あとは余談で終わります。お菓子の当たりの話題が出たので、ついでに飲み物の当たりについての昔話。日本のコーラ市場でコカ・コーラの後塵を拝していたペプシ・コーラも、この「あたり」戦法に出た。王冠の裏のコルクを剥がすと当たりが出るという。CMによれば一等賞は「500円とファミリー3本」と豪勢だったが、私の知る限り周囲にこれを引き当てた者はいない。王冠だけ万引もできぬ。

 その後、ペプシの販促はやや上品になり、外れの出ないコレクション・スタイルに変わった。すなわち札幌冬季オリンピックのころは、各種目のロゴ・マークだった。私はいまだにテレビで見ただけでは、リュージュボブスレーの区別がつかない。アジア諸国の国旗シリーズというのもあった。今も昔の異彩を放つのは、あの独特の形状を誇るネパールの国旗である。一度だけカトマンズに行ったことがあるが、いわく言い難いエキゾチックな古都でした。




(この稿おわり)






  これまで何回か写真を載せてきたように、仕事でときどき両国に行きます。
  国技館のある町なので、てっきり「よこづな公園」だと思っていたら「よこあみ公園」だった。
  一帯は関東大震災東京大空襲で大勢の方々が被災した地域で、園内にそれぞれの慰霊碑があります。
  魚雷の残骸までありました。  (2013年9月14日撮影、横網町公園にて)











































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