おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

お嫁にいけないと言っていた頃  (第1197回)

ユキジがそう言っていた。何度も繰り返して言うのですが、ユキジは(作者も)私より一学年上の同世代。言葉遣いから、ものの考え方まで、そっくりそのままの部分が多い。

真面目な話題から始める。いまも話題の消費税、初めて導入されたのは私が二十代終わりのころで、ネットもメールもない時代のアメリカで働いていたため、その騒動は、余り詳しく実感していない。


でも逆に、アメリカではとうに、セールス・タックスという名の税制があり、これまた州によって税率が違うし、店によっては現金払いとカード払い(決裁に日数がかかる)とでは税率に差があったりと興味深いものでした。

売上税というのは正直なネーミングです。売った方が課税されるのですから。これに対し、日本の消費税という名称は、セコイと思うた。まるで消費者が税金を払わないといけない法制度のように聞こえる。

英語の一般的な国際用語では「VAT」”Value Added Tax”。儲けに対する税金なのに。小細工も考えもので、また実際、買い手に転嫁されて当然という生産者・販売者優先の国ですから、その後、税率アップのたびに消費者側で大騒ぎが起きる。政権がふっとぶ恐れがある。


それでも無事、税率が上がり続けているのは、社会保障・福祉のためだという大義名分があるからだと思います。今次の8%および10%という増税も、議論の当初は、当時の与党が、社会保障改革の一環であると主張して法案ができました。

案の定、国会において当時の大きな野党が、「でも他の目的でも使えない事もない」という附則を提案して、与党もあっさり譲歩し、さて今どうでしょう。数字のからくりは難しいが、すでに年金では足りないから博打をせよとか、防衛費ばかり急増しているとか、ろくな報道はない。オリンピックはもう止めたらどうか。今ならまだ間に合うかもしれない。

税金は私有財産の権利の侵害です。それにもかかわらず国家の運営のためには最低限の金銭的負担はやむなしということで、われわれ下々は納税し続けております。財政学的には、社会保険料も同じこと。それがこんなに、おそろかにされている。税率ではなく使いみちに怒っているのです、わたくしは。wikipedia の消費税の項は、明らかに「税金取り」の側が書いたもの。悪質です。彼らの決まり文句は、「世界的にみて低い」。法人税だけ「高い」。


そのウィキが正しければ、消費税法が成立したのは1988年、施行されたのが1989年です。古い世代は覚えておみえか。この当時はバブル景気のど真ん中であった。所得税法人税社会保障領は膨大な額に昇ったはずだが、どこに使っちまったのか。

そして、何故日本にも消費税が必要かという質問に対し、そのとき政府が持ち出したのは少子高齢化です。ご不審に思われても無理はない。ずいぶん昔ですから。当時の新聞や本など見る機会があったら、どうぞご確認ください。


私の年代(1960年生まれ)は、当時、ひのえうまの例外を除くと、戦後最も人口が少ない年の生まれでした。おおむね戦後第一次ベビーブーマー(いわゆる団塊の世代あたり)と、第二次(団塊ジュニア)の中間にある谷底だった。

この世代が何をやらかしたか。妊娠・出産・育児の重労働と、それにかかるお金を避けた。女の人ばかり悪く言うように聴こえるかもしれませんが、ジュリアナの写真は女ばっかりだ。多くの女性はまず、遊びの分野から男女同権に走りました。情けないことに男がそれをご支援申し上げた。今や、嫁という言葉も聞かなくなり、若手に訊いたら差別用語だそうだ。まっとうな人生の一つではないか。この国はいま、若い女性の自殺率が高いという異常な国家です。


挙句の果てに、クリスマス・イブのホテルは一年前から予約が必要となる性夜になり、結婚適齢期や婚前交渉や不純異性交遊という言葉を、ことごとく死語にした。ユキジは祖父母に育てられた影響なのか、まだ古風にも、お嫁にいけないという不安に取りつかれているが、今そういう表現を冗談でも使っただけでセクハラとかいうものに該当する。

晩婚・未婚が当たり前という世の中にしたのは、われわれの世代です。「男が余る」と同期や友人は深刻だった。ケンヂやユキジがその典型です。離別も増えた。ケロヨンやオッチョがその典型です。窮屈ながら安定していた社会風習を壊して、支えが無くなり、スピリチュアルだ自己啓発だ、挙句の果てに真理教だと走り回ったのが私たち。ここでも書きましたが「オウム世代」と呼ばれたし、漫画では「ともだち世代」の先駆けになった。


バブルのころ、次の拡大再生産が期待されていた団塊ジュニアの世代は、まだ高校生か大学生ぐらいでしょう。そのころもう、少子高齢化が政府や学者の念頭にあったことは覚えておいてください。全くの無策ではなかったかと考えてみてください。下々でも、先輩の私達が、家族や夫婦が古典的に存続する風習を壊しました。遊ぶために。百歩譲っても、24時間働くために。

高齢化はずでに欧州の先進国で始まっており、所得が高くなって栄養が足り、医学薬学が発達し、治安衛生も良くなりますから、これからも高齢化は先進国ではあって当たり前の現象です。これまでのアメリカのように、積極的に移民を受け入れたりしない限り。今さら壁をつくっておるが、私がいたころから不法移民を安価な労働力として酷使した挙句、好況や戦争で人手が足りなくなると、市民権(日本でいう国籍)を与え、税金を取ります。私にも勧誘が来た。


若い人たちはネットや報道を通じて、無意識に刷り込まれているのではないかと考えてみた方がよい。自己実現も居場所も多いに結構ですが、それが労働と消費を通じてしか、実現しない、達成されないものだと、国家や金持ちは耳元でヒソヒソ言います。

本当にそれしか選択肢はないのか、考えた上で行動したほうがよい。子育ては大変です。知的にも肉体的にも重労働ですし、今の世の中、子供を大人にするのに大変なお金と人手がかかるため、それだけ親は生活水準を落とす覚悟が要ります。それでは嫌だら遊べるだけ遊び、素敵な生活をしたいというならご自由にどうぞとしか言うしかない。

でも少子化に加担している以上は、増税や年金制度に文句を言うのは、程々にしてください。どこの国のことわざだったか、考えながら生きていかないと、生きて来たように考えてしまう、というのがあると前に書いた覚えがある。智恵のない老人は人生の失敗であるという格言も、厳しいが忘れるわけにはいかないので苦労している。少年老い易く学成り難し。



(おわり)




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ご近所。いまどき小屋で小鳥を買っているうちも珍しい。
(2019年7月4日撮影)









間に合うかもしれない 今なら

 「まにあうかもしれない」 吉田拓郎





























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