おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ポール・マッカートニー  (第1182回)

 去る10月31日の夜、東京ドームに行ってきました。息子にチケットをプレゼントさせるような歳になったか。この日、前週からの風邪が治り切っておらず、しかも当日の午後に仕事が集中したため、身体がしんどかった。

 席に着いたのは、開演時刻のちょっと前。近眼で見渡す限り満席。最近は巨人戦でも滅多にこうは入るまい。性別年代人種は多種多様の客席。私の席は三塁側の内野席。高い山から谷底見れば、スモークに霞むステージあり。

 オープニング・ナンバーは、当日の私にふさわしい「A Hard Day's Night」だった。これから書くことのいくつかは、前にもこのブログに書いたような覚えもあるが、これは一番好きなビートルス・ナンバーなのだ。さすが、選曲のセンスが良い。ファンとは勝手なものだ。言いたい放題だった彼らが、言いたい放題のファンを育てた。


 1968年。今からちょうと50年前。小学校三年生になったこの年に、たぶん初めて、ビートルズの曲を二つ知った。ただし、歌手名も知らずに覚えた。一つは、クラスメートたちと一緒に歌った「Hey Jude」の最後のコーラス。あの時代の日本、田舎の小僧たちも知っていたというのは驚きです。

 もう一つは、NHKみんなのうた」で演っていた「オブラディ・オブラダ」の日本語替え歌バージョン。歌詞にデズモンドとモリ―が出てくるし、作詞作曲者もカタカナだったので、外人さんの曲とは珍しいと思いながら、サイケデリックを気取ったらしい背景画を見ながら聴いておりました。


 彼らが「Fab Four」だったころの記憶といえば、親戚のうちに4匹の猫がいて、その名がビートルズのメンバーと一緒だと聞いたこと。1966年に来日したころの騒動、新聞にレコード新発売の広告が出るたびに変わっていく服装と人相。レコード屋で見た「アビーロード」のジャケット、4人一緒に写っていなかった「レット・イット・ビー」が出たころには、もうバンドは無くなっていた。

 その当時の記録映像と記憶といえば、66年来日時の武道館のコンサートと(あのときは、マイクロフォンの機材の調子が悪くして失礼しました)、イギリスやアメリカで人気絶頂だったころの、集団ヒステリーのライブの録画。当時は叫び声やら泣き声やらで、自分たちの演奏する音が聞こえなかったそうだが、今回はペンライト替わりにスマホを振る穏やかな観衆です。


 曲目は、ビートルズのもの、ウィングズのナンバー、そして私にはあまり馴染みが無い最近の「シンキョク」から、バランスを取って選ばれている。1968年の「ホワイト・アルバム」からは、「Back in the U.S.S.R.」、「Ob-La-Di, Ob-La-Da」、「Blackbird」、アンコールの「Helter Skelter」の4曲がピック・アップされている。

 最近のネットのニュースか何かで、新作のアルバムが全米チャートのトップになったと聞いた。何でも、「今の世の中はおかしい」というようなメッセージがあるそうで(まだ聴いておりませんが)、この人に「変だ」と言われるようでは、余ほど変なんだろうと思うし、それが売れるということは本格的に変なのだろう。


 彼は「Blackbird」の弾き語りの前に、「この歌は公民権運動についてのものだ」と言っていた。それで、あの歌詞だったのか。キング牧師が暗殺された年。これも含め、かつて「マッカートニー・サウンド」と呼ばれていた曲と、ハード・ロックの組み合わせになっている。ときどき、ピアノに座って一休み。

 ネットにあるリストによると、36曲も歌ったらしい。途中で声がかすれたので大丈夫かなあと思ったが、そのうち戻って来て、むしろ後半のほうが声が出た。さすが。キーは、全曲かどうかはともかく、私が知っている曲は、ほぼ全てオリジナルと同じだったと思う。勝手にジョン・レノンのコーラスを付けて歌ってました。


 アレンジもほとんど原曲どおり。ブラスも入れて、全体に重く、厚くなっており、解散してしばらくの頼りない感じの作品より、よほど聴きごたえがある。思いっきり編曲したのは、ウクレレで歌っていた「Something」と、アコースティック・ギターの「Eleanor Rigby」。さすがにストリングスまでは持ち込めなかったらしい。

 彼はステージ上のパフォーマンス(演奏・歌唱以外の)が下手で、かつてのジミー・ペイジのようにはいかないのだが、私はそれも気にならず、つっ立ったまま東海林太郎みたいに歌ってもらって充分だ。でも愛想が良くなったなあ。前回来日時は「どうも」くらしか言っていないし、いつぞや空港で捕まって心を入れ替えたか。


 私も何かにつけて怠惰を歳のせいにしたり、金が無いだの時間が無いだのと言い訳しているのだが、18歳年上(ジョンがぴったり20歳上なので覚えやすい)が、これだけ働いて、若いバンドのメンバーと息もあっているし、こういうのを見ると、やっぱり元気が出る。おかげさまで風邪も治まりつつあり、その翌々日に控えていて心配だった大事な仕事も、何とか乗り切った。

 これで近年、ストーンスもみたし、ディランもみたし、ポール・マッカトニーも含めて、生身の彼らを眺める機会が来るとは、しばらく前まで思ってもみなかった。何かとうまくいかない人生だが、無事長生きしてきた甲斐はあったというものだ。バイオリン型のべ―スも健在でした。「ロック・ショウだったな」と、長男と合意して帰る。




(おわり)







 And in the evening, he still sings it with the band.

           ”Ob-La-Di, Ob-La-Da”  The Beatles





























.

































.