おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

勇気  (第1147回)

 子供のころや若いころ、家庭で学校で職場で、「そんな言葉使いはない」とか「言い方が気に入らない」とか散々叱られた。めぐる因果は糸車。こちらが若い人の言葉使いに違和感を感じるようになってきたが、世の中はこういうことで叱ると、こちらが叱られるようになってしまった。

 今さら私一人が頑張ったとで、どうにかなるものでもなし、それでもせめて報道や言論や政治など、日常的に言葉を仕事の手段とする職種におかれては、範となるべく気合いを入れていただきたい。ネットはわれら素人が書きたい放題になっているので、せめて公共放送や大新聞は日本語の守り神になってほしい。


 しかるに何事か、先日のNHKの朝のニュースでは、羽生結弦選手に国民栄誉賞が内定した旨のニュースにおいて、その理由を「国民に感動と勇気を与えた」とアナウンサーが言った。感動と勇気の順番は逆だったかもしれないが、それ以外はこのとおり。政府がそう言ったのか、NHK独自の表現なのか知らないが、何だこれは。

 さて、高年齢者の出番だから、嫌な予感がするお方はここでご退席願いたいが、わたくし、「感動をありがとう」とか「勇気を与える」とか「自分らしい演技を」とかいう言語表現が嫌いで、オリンピックの時期など、観たいけれど聴きたくないという厳しいジレンマに悩まされる。

 そういう言い方はかつてなかったし、理屈をこねれば、感動や勇気というものは、自らの胸の内に湧き出づるものであり、他者と受け渡しをするものではあるまい。しかし、全ては手遅れた。


 ここでもかつて引用した記憶があるし、他でも書いた覚えがあるが、私の好きな随筆の一節がある。司馬遼太郎街道をゆく43 濃尾参州記」の最後の箇所にあり、そのあと「未完」となっているから最晩年か、もしかしたら本当に最後に執筆されたものかもしれない。転載します。

 古代ギリシャの哲学者は、勇気と無謀は違うとした。無謀とはその人の性情から出たもので、いわば感情の所産であるといっていい。勇気は、感情から出ず、中庸と同様、人間の理性の所産であるとした。


 本来この箇所は、参州うまれの徳川家康が題材で、若いころの家康は臆したり激したり、極めて感情的な人で周囲の三河武士団を困らせたらしいが、段々と冷静沈着というか、ふてぶてしいというか、理性的になり、しかし関ヶ原でも大坂の陣でも、前線に陣を置いて引き続き三河武士団を困らせる勇気を示した。

 冒頭の古代ギリシャの哲学者とは、たぶんアリストテレスであり、中庸を重んじた孔子様やら、中道を歩めと説いた御釈迦様とか百花繚乱だが、つまり勇気とは、そもそも感動と並べるようなものでもない。人間の理性の所産なのだ。古代ギリシャ哲学と司馬遼太郎がそう云うなら、そうだろう。


 こういう文脈から考えたときの、羽生結弦の勇気というのは、直接「国民に与える」というような類のものではあるまい。彼は大会直前というべき時期に、右脚を負傷しました。松葉杖で歩いていたから、大怪我だと思う。

 この対応策で彼や彼の陣営が選んだのは、私には区別がつかないが四種類あるという四回転ジャンプについて、全部やるつもりだったのを、二種類に減らした。削ったものは、脚に負担がかならないものであったそうで、それは採点にそのまま影響する事態であった由。


 つまり難易度の高いジャンプを外すということは、そのまま自動的にジャンプの点数が下がる。一方で、無理した場合の失敗や、ケガの悪化というリスクを踏まえつつ、では二種類だけに減らしても勝てるかどうかの計算が必要となるし、勝つ見込みも減るという現実と向き合うことになった。

 脚の故障に加えて、心理的な影響も大きい。それでも、彼は勝つと言い続けていたようだ。最善を尽くした結果に満足していますとは言えない状況に自らを追い込んだことになる。これは蛮勇で乗り切れるかもしれない本番の、ずっと前に判断され実行されていたことだ。


 平昌大会は、あいにく風邪で寝込んだり、ややこしい仕事が重なったりという不運があって、ほとんどライブで見られませんでした。それでも運が良かったのは、たまたまテレビをつけてみたときに、羽生のショート・プログラムと、後述する小平奈緒の競技後のインタビューを見ることができたことだ。

 羽生のSPは後半だけ観たのだが、私の印象としては、助走で殆ど減速することもなく、画面の左から右へ連続ジャンプをしっかりと降りながら、つむじ風のように去っていった。難易度を下げた分、他で勝負した観がある。最後まで誰も追いついて行けなかった。


 小平奈緒の勇気は、断りようがないのかもしれないが、まず日本選手団の主将を引き受けたことにある。統計的には、主将は首相より重責のようで、それまでの実績ほどの成績をオリンピックで残すのは至難のことであるらしい。
 
 大和民族は相変わらず、こういう時は真面目なので、主将は間違っても選手団の士気が落ちないよう、国旗の棒きれを握りしめて、厳然たる面持ちで先頭を歩かないといけないらしい。小平がトンガ男の真似をしたら、どうなりましたことか。


 私はウィンター・スポーツが苦手で、スキーやスケートはごく若いころに少しやっただけだし、スノーボードは触ったこともなく、カーリングで使うヤカンのようなものは見たこともない。それでも想像できるのは、競技の性格上、スキーヤーと比べてスケーターは、降雪や極寒の辛さに曝される機会は少ないはずで、つまり慣れていない。

 風邪でも引いたら、堪らない。それでも小平は主将の重役を受けて立った。ここで委縮して断ることの不安を、勇気が上回ったということだ。かつて私は高橋尚子の優勝について、日本人がスピードを争う競技でこれほど圧勝したのを初めて観たと、ずっと前にここで書いたのだが、小平が来た。なお、清水の優勝は、海外にいたので観られなかった。


 先述のように、彼女の試合終了後のインタビューをたまたま観たのだが、開口一番、「レディ」と「ゴー」(スタート、だったかもしれん)の間隔を長く感じたと言ったのも、大したもんだと思った。彼女の主観に過ぎないのだが、この競技に人生を賭けている第一人者の率直な見解だった。

 スピード・スケートの競技ルールの詳細は知らないし、調べても理解できないだろうが、ともあれ、これは優勝者以外が言ったら負け惜しみにしか聞こえないだろうし、日本では勝ったなら、こういうことは云わずに黙るのが王者の風格のように言われる。でも小平は感じたところをそのまま、云いました。こういうのを、ここでは勇気と呼びます。


 私の想像に間違いがなければ、あれがフライングだったかどうかは、同一人のスターターが判定するのであって、僅かな時間に小平と並走者に何があったかを間近に見た責任者の判断結果が、競技の続行だった。だから、あれはフライングではない。

 一方で、ルールや手続きが、このままで良いのかどうかは、小平が問題提起した。外野は黙るがよいよ。それに何よりレースは、彼女も全く動じなかったはずはないが、文句なしの勝ちだった。

 ともあれ、なんぼ勇気が理性の産物と言われても、ジャンプ台の高さは尋常なものではないそうで、高いところが苦手な私は、勇気も理性もあったものではなく、近寄ることさえ至難である。で、葛西はまだ空を飛ぶのか。




(おわり)




これでも満月の写真  (2018年3月1日撮影)



拙宅の初春、梅の花  (2018年2月26日撮影)










 きっと今は自由に空も飛べるはず  −  スピッツ













































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