おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

プラモデルとミニカーの町  (第1099回)

 コミックスの第12集に、少年時代のケンヂとマルオが商店街で会うシーンが出てくる。二人とも、その冬、ご親族を亡くし、「モチュー」であったためお年賀にもいけず、お年玉がもらえない。

 その結果、マルオはワルサー、ケンヂはタイガー戦車のプラモデルが買えない。ジジババの店で売っているのであろうか。ワルサーもタイガーもドイツ製の武器・兵器で、当時のプラモデル屋は、まだ戦争を知っていた世代だから、敵性国のモデルなど作らなかったのだ。


 うちは父方が職人で、分家だった祖父も本家の兄も、木工場を経営していた。私の生まれ育った静岡市は、かつて木工業の町だったのだ。でも時の流れは厳しくて、木工は高度経済成長の中で衰退産業になった。

 うちは廃業して父の代から事務系の会社員になったが、聞くところでは静岡の職人たちは、別の製造業に活路を求め、これが今のプラモデルとミニカーの町、静岡がうまれたきっかけであったという。

 
 もっとも、実家の小遣いでは、ミニカーはとても買えなくて、年に一回ぐらい、小さなプラモデルを買うのが精いっぱいであった。学生時代にずっと年下の従弟にバイト代でプラモデルを買ってやったら、その親戚一家から、ものすごく感謝されたのを覚えている。

 しかし、いま拙宅の屋内を見渡してもプラモはない。少年老い易く学成り難し。最初に造ったプラモデルは、潜水艦だった。たぶん、Uボートだろう。風呂に持ち込んだら浮いた。沈まない潜水艦。


 この業界の最大手は、何と申してもタミヤだろう。先日そのタミヤの社長さんが亡くなったという訃報をきいた。彼と電話で話をしてから三十年以上、経つ。学校でも職場でも先輩だったのだ。

 ちょうどそのころ、彼は会社を辞めてタミヤを継ぐ準備をしていて、私は間もなく5年にわたるアメリカ駐在に出かける直前だったので、挨拶の電話を架けた。あんな時代だから、「今度いつ会えるかね」と笑っていたものだが、それっきり。心よりご冥福をお祈りする。




(おわり)





小石川植物園の初夏
(2017年5月4日撮影)














 男はいつだって単純で
 大切なプラモデル 
 隠し持っている

   「月とプラモデル」 MY LITTLE LOVER




























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