おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

シェルター  (第1098回)

 この国でシェルターが売り切れになるとは、長生きするのも考えものだ。相応の工事が必要なもので一千万円台、エアコンの立派なものレベルで数十万円らしい。ご注文は切迫した様子らしく、されど製造販売が追いつかないそうだ。

 それにしても、いまの日本にシェルター屋があること自体、驚きでした。でも、政府や大金持ちは、東西対立構造のころからシェルターの一つや二つ、持っているに違いないので当たり前か。


 つまり、今ごろ泥縄式に慌てているのは、平たく言うと成金であろう。私のように半世紀も生きていて、数十万の買い物すらできない手元不如意の人間は、そういう発想すら出てこない。お訊きしたいのだが、自分たちだけ生き残っても、あとが困るとは思わないのだろうか、万丈目は。お腹がすきます。

 他方、自分の身は自分で守るというのも大切なことではある。国は守ってくれない。うちの祖父母が防空壕を掘っていたのと同じだ。でも拙宅はマンション内だし、周囲は固いコンクリートで舗装していただいているから、掘るに掘れない。


 この時点で、政府が自衛隊に命令したことといえば、報道によると、アメリカの軍艦を守れということらしい。うん。仮にアメリカの海軍や海兵隊が撤退するほどの被害を受けたら、確かに日本の国家権力は困るだろう。その程度の戦術の大事さ加減は私にも想像がつく。

 だが、限られた自衛隊の防衛機能を、そういう使い方したら、他が手薄になるのは自明のことで、要するに国家戦略としては、伝統が大好きなお上らしくて、昔ながらの国体ファーストということなのだろう。日本政府にしては、珍しく正直で分かりやすい。トランプを見習ったかな。

 
 話は変わるが、こういうタイトルの記事をネットに載せている人がいる。「東北で良かった」…東京の皆さんの本音ではありませんか? ありません。ここ東京でも卒業式会場と工場で人が亡くなっているのに無礼である。あの元大臣ほどではないが。記事の主旨が東京都民を愚弄するものではないことは重々わきまえております。

 もちろん、この震災に限らず、天変地異や事件事故があるたびに、当事者は気の毒だと思うのだが、「自分が替わりに...」という悲痛な声を挙げるのは家族や恋人であって、その都度そう思っていたら、われわれは身が持たない。東京じゃなくてよかったとさえ思わない。どこでも起きないよう願うばかりだ。


 映画「20世紀少年」でコンチのスタジオに、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの佳曲、「雨を見たかい」のシングル・レコードが写っていた。ジャケットを見たのは初めてで、うれしかったねえ。

 あの曲を反戦歌と受けとめるならば、「Have you ever seen the rain?」を、「雨を見たかい」と訳すのは拙い。雨なら誰だって見ている。ここで歌われている「あの雨」は、「晴れた日に」「水のように落ちてくる」何かだ。歌詞にそう書いてある。


 昨日、外を歩いていたら飛行機の音がした。東京では珍しくないのだが、昨日に限っては、つい何か物騒なものが墜ちてくるのではないかと上を向いて歩いた。昨日もその前も、太陽は冷たい。春なのに。

 このたび北がなぜ、北東に向けてミサイルを発射したのか、私には分からん。下手をすると中国やロシアに落ちるではないか。北東でよかったとか、自国に墜落してよかったとか言っている場合ではないだろう。

 その日の朝は、東京メトロが一時、停まりました。「シン・ゴジラ」にも出てきたが、身近なシェルターといえば、都会では地下鉄なのだ。電車が走っていては困る。だが、そこにずっと居るのも嫌だな。経済制裁もほどほどにしないと、モナコルクセンブルクも立ち上がりそうだというではないか。





(おわり)







メダカの命も花の命も短い。昨日はよく晴れて水を遣りました。
(2017年4月29日撮影)








 兄貴も親父似で無口な二人が
 たまには酒でも呑んでるだろうか

   「北国の春」  千昌夫














































.