今の世の中、ろくなニュースがないので、漫画の感想文に逃避する。先日、映画「ポセイドン・アドベンチャー」をDVDで観た。前回みたときは小学生、親と一緒に映画館でだったから、四十数年ぶり2回目。
こっちが年取った分、役者が若い。ジーン・ハックマンもアーネスト・ボーグナインも溌溂としている。初めて気づいたけれど、ロディ・マクドウォールの名が字幕にある。「わが谷は緑なりき」の少年。「猿の惑星」では、かみさんに振り回されていたチンパンジーの博士。初代ルパン3世の山田康夫が声優担当だった。
てっきりあの船は、大西洋か太平洋で事故を起こしたと思い込んでいたのだが、遭難は地中海のギリシャ沖であった。ポセイドンは古代ギリシャ神話の海神。無断で船の名に拝借したのが、海幸彦の怒りに触れたか。大地と地震の神でもある(広辞苑にそう書いてある)。津波が起きた。タイタニックもタイタンの海で沈んだ。
ポセイドン号は腹を上にしてひっくり返り、生き残った乗客は、船内を逃げ回るのだが、浸水してきた。主人公は肺一杯に空気を吸い込んで、海の水を潜りゆく。どこかで見たシーン。
ケンヂは「ポセイドン・アドベンチャー」のロードショーの前売り券を買い求め、エビで鯛を釣ろうとしたが、いつものとおり失敗した場面が、「21世紀少年」の上巻に出て来る。
どうやらオッチョと角田氏の脱獄は、前半が「大脱走」、後半が「ポセイドン・アドベンチャー」をお手本にしたものらしい。普段は二次元の世界でしか歩き回れない霊長類の我々であるが、いざとなれば三次元の旅に出る。
ポセイドンとくれば、バビル2世である。ここで何度もこの作品を出してきたのは、ヒーローの理念が同一だからで、「地球の平和を守るため」たたかうのである。2世というから、ルパンと同じく世襲の家なのだ。
ポセイドンはゴジラと趣味が似ていて、泳げるにもかかわらず、海底を歩くのが好き。僚友の空飛ぶ怪鳥ロプロスは、漫画では白黒だったが、アニメで初めて赤い鳥であると知った。モデルは朱雀であろうか。
あのころは何たって地を駆けるロデムだった。前にも書いたような気もするが、中学生にもなって、級友と「超能力は要らないから、ロデムが欲しい」と盛り上がったものである。
何でもかんでも日本語でお願いできるし、不死だし、いくらこき使っても「ご主人様」と寡黙で礼儀正しい。ご主人様は超能力をフルコースで使う達人だが、エスパーはカンナもそうだったが、何かと苦労が多いのだ。
超能力に加えて、砂の嵐や人工知能のコンピュータに守られたバビルの塔に陣取り、三つのしもべは陸海空が一揃いだから強い。漫画もアニメも、とびとびで見ていただけだが好きだったな。アニメの主題歌がいい。イントロのブラスと、途中でメジャーに転調するところ。
あの塔は聖書に登場するバベルの塔がモデル。原作では「創世記」に登場するが、その地理的な位置は不明で、そもそも地名がバベルだ。私はなぜこのエピソードが、あの節に置かれているのか、前から不思議に思っている。前後と無関係なのだ。
その直前まで、例のノアの箱舟の話が延々と続く。その後は、アブラハムとイサクの物語で、ボブ・ディランの作品「追憶のハイウェイ61」の、一番の歌詞に出てくる深刻な神話である。山本七平さんによれば、全知全能の神である以上「できない」ことは無い。子殺しを命ずることも「できない」はずがない。その割に、ノアの洪水のあとで、人類はまた迷惑をおかけしている。
ネットをのぞいてみると、バベルはバビロンだと主張している説があるが、一つの候補に過ぎない。創世記はイスラエル建国の前の話だが、旧約聖書も後半になるとバビロン捕囚の後に書かれているので、バビロンの名は国王ネブカドネザルと共に頻出する。英語版でも、両者は違う地名だ。
以前ここで酷評した映画「悪魔を憐れむ歌」は、悪魔が「ヨハネの黙示録」を引用するのだが、その箇所にもバビロンが出てくる。聖書では退廃の都市として、徹底的に罵詈雑言を浴びせられている。今のイラクにある。何千年けんかしても飽きないらしい。
この退廃の都市を、当時のパリになぞらえ、かつて荒廃した生活を実際にそこで妻のゼルダと送っていたスコット・フィッツジェラルドは、「バビロン再訪」という短編小説を書いた。原題は「Babylon Revisited」。
映画化されて「雨の朝巴里に死す」という情緒的な名が付いた。うちにあるフィッツジェラルドの短編集は「雨の朝パリに死す」になっている。そろそろ当て字を読める人も少なくなってきた。
この映画では、エリザベス・テーラーが雨の中で泣いているのだが、原作では吹雪の中に締め出された妻が帰らぬ人となる。ゼルダの死は、さらに悲惨だった。ジャニス・ジョプリンはゼルダのファンで、私たちは同じような生き方をしているのと現在形で語り、間もなくこの世を去った。
「Babylon Revisited」がバビロン再訪ならば(村上春樹は「バビロンに帰る」と訳している)、ディランの「Highway 61 Revisited」も、直訳するなら「追憶の...」より「ハイウェイ61再訪」となる。
もっとも、この幹線道路はディランの生国ミネソタ州を走るので、追憶でも構わないな。過去分詞が後ろに付くなんて、学校では習わなかったが、ディランはフィッツジェラルドのタイトルにインスパイアされたのだろうか。
スコット・フィッツジェラルドも、同郷のミネソタ生まれだ。少なくとも、ディランはそのことを知っており、その旨、自伝にも書いている。まだ、ノーベル賞のメダルを受け取りに行っていないそうで、相変わらずお騒がせな人です。
(おわり)
近所の善性寺にて (2017年3月29日撮影)
世の中がどうでもよくなった勝ち負けの好きな奴が
世界の平和を乱すべく 次なる世界大戦を企てた
幸いここに 事務所が上手くいっていないプロモーターがいる
何だそりゃ... いや、やってみりゃ楽かな...と話に乗った
「追憶のフリーウェイ61」意訳
(2017年3月24日撮影)
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