おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

船乗りの唄  (第1066回)

 ジャニス・ジョプリンが27歳でこの世を去った翌月、三島由紀夫が自決した。46年前の1970年11月。この年に実家がようやくカラーTVを買い、当時5年生で11歳だった私は、あの出来事をテレビのニュースで観たのだと思う。拳を振り上げている三島の姿を何となく覚えている。大阪万博が終わって間もないころだ。

 このサイトで何回か、三島文学はどうにも性が合わないと書いた。最期を除き、彼の数々の奇抜な言動を知るようになったのは、幾つか彼の小説を読んだ後のことだから、単に文学作品がなぜか気に入らないだけだろうと思っていた。でも、もしかしたら、あのニュースを見て「何の騒ぎだ」と子供心に思ったのが、いまも尾を引いているのかもしれない。


 そんなことを感じたのは、最近、憲法のブログも書いていて、あれこれ新聞やらネット記事やら読んでいるうちに、あの当日に三島が自衛隊で叫んだ言葉や、「檄」の名で残った文章を読む機会があったからだ。その件は追って、憲法のサイトで書くつもりでいる。

 そして、もう一つ、思い出した。別の心当たりがあったのだ。彼の作品が映画化された。十代の後半だったか、それを観て、あまりの後味の悪さに、三島由紀夫という人は、こんなストーリーを創るのかいと思った。子供のころや、ごく若いころの刷り込みというのは本当に恐ろしい。


 その小説の題名は、そして映画の邦題も同じで、「午後の曳航」という。吹き替え版をテレビで観た。当時はテレビ放映なら吹き替えだったし、まだビデオももちろんCDやブルーレイもないから、映画館で観たのでないことは確かだ。なぜ観たのか覚えがない。たぶん新聞のテレビ欄に、三島由紀夫原作の洋画とでも書いてあって、関心を持ったのだろう。

 あるいは、先に「ライアンの娘」を観ていたという可能性もあり、主演女優が同じサラ・マイルズだったからかもしれない。もっとも、あの映画で印象に残ったのは、娘のほうではなくて青い瞳のロバート・ミッチャム、そして若造にはよく分からなかったものの、妙に余韻が残ったラスト・シーンのほうだったが。


 ストーリーに引きずられて、ずっと「曳航」を「あいびき」と読み間違えていた私である。実は小説を読んでいなくて、なぜ「午後の曳航」というタイトルなのかさえ知らない。

 男は船乗りだった。それと関係あるのだろうか。その役を演じた如何にも七つの海を渡る国際航路の船員らしい男は、クリス・クリストファーソンである。彼はこのあと出た映画「スター誕生」で、バーブラ・ストライザンドとキスをしておる。


 今日も聴いたのだが、私にとってジャニス・ジョプリンの代表作は、このサイトで何度も話題に出したり、歌詞を引用してきた「Me and Bobby McGee」だ。もう三十年以上、聴いている。ビートルズを除き、もっともよく聴いた歌かもしれない。実は先に、この曲が彼女の最初のナンバー・ワン・ヒットで、しかしそれは死後の記録だったということを知ってから聴いた。

 急死の直前まで続いたセッションで録音されている。フォーク・ソングのスタイルで始まり、ロックで終わる。彼女の熱唱にバンドが引っ張られていくような展開だ。この勢い、ジャニスの力強いボーカル、メジャー・コードの明るい旋律と、やるせない歌詞。もちろん、遺作の一つというドラマ性も、私の感傷から離れない。


 この曲のことは次回にもう少し詳しく触れたいのだが、今回は一つだけ先行して話題にする。作詞・作曲はずっとジャニス自身だと思い込んできたのに(カセット・テープで買ったのだが、作者が書いてなかったのだ)、彼女はこの曲をカバーして歌った一人に過ぎないことを、後年、知った。

 今ならネットで容易に調べられる。共作で、「written by Kris Kristofferson and Fred Foster」とある。この片割れのクリス・クリストファーソンが、「午後の曳航」のセーラーさんであることを知るまでに、また、何年か掛った。こういう点で、ネットは無粋である。ごく単純な喜びや驚きを、あちこちで奪っている。


 諸記録によると、クリストファーソンは、学生時代に文学を専攻したのだが、軍人になった。この大変身は、たぶんに父親が軍人だったことに起因するのだろう。しかし、なぜか忙しい人で次はカントリーの歌手になった。彼が奥さんのリタ・クーリッジと共に、このナンバーを演奏している映像があるが、やはりカントリー調である。歌詞にはブルースしか出てこないのだが...。

 この転身は両親を怒らせた。なかなか売れない彼は、石油の採掘現場などで働き、糊口をしのいでいたらしい。ようやく日の目を見たのが、1969年に頼まれて Roger Miller というカントリー・シンガーのために書いた「ミー・アンド・ボビー・マギー」だった。それを本人がセルフ・カバーし、1970年にジャニスも取りあげて、私の耳に届いたということだ。つづきます。






(おわり)









ちょっと怖い感じの朝焼け  (2016年10月29日撮影)





こちらは穏やかな信州佐久の駅前にて  (2016年10月17日撮影)







 Seven stars, heaven's eyes
 Seven songs on seven seas

  ななつぼし 天国の瞳
  七つの海に 七つの歌

     ”Half Moon” Janis Joplin
   

















































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