おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

神様の翼  (第930回)

 その昔、メール友達というのが流行った。私が使っていたサイトは怪しげなものではなく(すでに怪しげなものもあった)、大昔でいうと子供向けの雑誌などの最後のほうに、「文通しましょう」という欄があったのと似たようなものである。2000年代の初めの一時期、ちょうどネットを始めたばかりのころに一番多いときで十数人も「メル友」さんがいた。

 今は全滅したが、これから述べる事情がなければ、一人だけは続いていたかもしれない。二三才ほど年下の関西在住の女性で、礼儀正しくユーモアのセンスに恵まれていた。今に至るも彼女の姓を知らない。下の名は教えてくれたが本名かどうか確認していない。住まいも県だけ知っていただけ。会ったことも声を聞いたこともない。一枚だけ顔写真を送ってくれたが、大変な美人でびっくりしたものだ。


 趣味が広い人で、音楽・絵画・小説・舞台・映画・旅行、お笑い番組まで詳しかった。彼女のおかげで少しこちらも余暇の楽しみが増えたほどである。例えば、重松清の小説を薦めてくれたのも彼女だった。二人のお子さんがいてPTAの役員をやり、パートで働いていたので忙しく、メールのやりとりは週末だけ。土曜日に私、日曜日に彼女という習慣まで出来上がった。2年くらい続いたのである。

 中でも彼女のお気に入りは何度も観たという演劇で、今井雅之原作・主演の「THE WINDS OF GOD」という作品であった。ぜひ観るべきであると書き添えて、客席からこっそり撮ったらしい彼の写真まで送ってくれたものだ。彼女の話によれば彼は自衛隊のご出身で、劇は特攻隊がテーマであるらしい。まるで三島由紀夫だなと写真を見て思った。

 
 今井さんは大腸がんであることをブログで公表し、先日はそれが末期であることを記者会見でもお話しになっていた。ずいずん痩せたなと思った。私は彼女の推薦とこれから述べる事情により、この劇を観たことがある。東京公演はチケットが完売になっていて、オークションで連れが来れなくなったという綺麗な娘さんから買った。美女が美女を呼ぶという法則があるならば、大切にしたいものである。

 劇は文句なしに面白かった。主人公は前世(?)では漫才師なのでアドリブのお笑いが入るのだが、東京の客はノリが悪いと言って客席を大笑いさせていたのを覚えている。最後も良い終わり方だが、公演は続けるそうだから、ここで筋を語るのは止める。ただ、その日の閉幕後の舞台挨拶で、この調子では今の日本はもう戦後だと叫んで拍手を浴びていたのを覚えている。


 これには訳がある。2000年代の前半は小泉長期政権の下、グローバリズム成果主義少子高齢化が激烈に進み、職場の聡明な先輩女性が「私たち、何てバカだったんだろうね」と語ったほど、その末期には世相が荒れた。このあと同党は一年ごとに生徒会長のごとく総理総裁が入れ替わり政権まで失うことになる。

 これら全部が小泉さんの責任かどうかはともかく、私がこの劇を観た二日前の8月15日に靖国神社に参拝したのは彼の確たる意志に基づくものだ。賛否両論あったが今井さんの戦前発言は、その直後だから明らかにこの事態を受けてのものだ。写真の印象とは正反対と言ってよいほどの違いだった。そういえば映画「その日の前に」にも出演していたな...。


 これは2006年のことである。この年の1月に私は過労などが原因で大病を患い、それまで週の単位で有給休暇の病欠をしたことはあったが、初めて月の単位で病気休職した。もっとも入院するほど酷くなく自宅療養だったので、この年だけは新聞や雑誌やテレビで時間を潰していたこともあり、起きた出来事に無闇と詳しい。上記の靖国もそうである。

 何といってもスポーツに恵まれた年だった。第一回のワールド・ベースボール・クラシック、準決勝の上原の鮮やかなピッチング。トリノ・オリンピック「Ladies' Single」の荒川静香早実と苫小牧が延長で引き分けた甲子園の決勝戦ジダンの「ヘディング」、これを全部、リアル・タイムでテレビ観戦した。


 この年の6月に、珍しく彼女からの日曜日の返信が来なかったことがある。夏風邪でも引いたのかなと思って翌週の土曜日、普通にもう一度、メールを出したところ、今回で終わりにしたいという返事が戻って来た。約20人に一人のクジを引いたという。乳がんで、しかも覚悟を決めるよう言われたらしい。

 幾らなんでも、これで引き下がるわけにはいかない。私はその日から、これまで彼女に教えてもらった小説や映画を観たり、一度は用事で関西に行ったとき彼女が好きだという赤目四十八滝まで足を延ばしたりして、その都度、感想を書き送った。彼女もすぐに気付いて、あんまり無理しないようにと言ってよこした。そして毎回、ありがとうと書いてくる。「ありがとう」というと心が豊かになったような気分になると、ずっと前から言っていたものだ。


 夏が過ぎ、残った力を振り絞るかのようにお子さんたちを連れて、港の他は見事、復興を果たした神戸に旅行に行き、その直後に入院した。そのころにはお互いメールもパソコンから携帯に変えて続けていたのだが、段々と彼女の文章が短くなり、漢字が減っていく。アルジャーノンのチャーリーの日記のようで切ないものだった。

 最後の漢字転換は「風味堂」だった。私も知っているロック・バンドで、キーボードの音が鋭い。その「ゆらゆら」という曲を「THE WINDS OF GOD」でも流していて、それを聴いてほしいというのが彼女の最後のメッセージになった。その後で携帯電話を上のお子さんに手渡し、その日が来たら私あてに「ありがとう」と伝えてほしいと頼んだそうだ。


 その娘さんからのメールで彼女の命日を知った。そのしばらく前に彼女は、2006年秋の「THE WINDS OF GOD」の京都公演のチケットを買い、観に行けるといいなとお互い期待していたのだが、亡くなったのはその当日だった。まったく信仰やら縁起やら奇蹟やらに関心のない私も、さすがに「観に行ったんだよな」と思ったのを覚えている。神様仏様にも翼があるのだ。

 最後まで子供たちと話がしたいということで副作用の強い薬などを一切、断って最後まで笑顔だったという。しかし、あとで主治医が遺族に語ったところによれば、よほどの激痛をこらえつづけたらしく、奥歯が全部すり減って無くなっていたそうだ。いかにも意志の強そうな人だったが、ここまでだったとは。

 あれからもう10年近く経つのか。七十過ぎたうちの親でさえ、ステージ3のガン(8時間の大手術を二回やった)から、あっさり戻って来てもう5年以上、至って元気である。4のステージにも当然、幅があって、不治とは限らないと医師も言っていた。今井雅之氏の全快を心より祈る。




(この稿おわり)





赤目四十八滝 (2006年9月撮影)













 たった一つ、言葉を見つけたよ
 ありがとう

     「ゆらゆら」  風味堂



































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