おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

太陽の口づけ   (第1067回)

 
 私が知り合った或るアメリカ人は、高校生の息子が運転免許を取ったら、夏休みに交代でキャンピングカーを運転し、大陸を横断するのが楽しみだと語っていた。何日かかるのだろう。同僚が鉄道で横断した時は丸三日を要したと言っていた。ともあれ、羨ましい話である。

 今も昔も、ロード・ムービーは人気が高い。ニュー・シネマのころは、男と女、または野郎同士の組み合わせで旅をする。「Me and Bobby McGee」も、歌詞は同じテーマだ。このため、地名がいくつか出てくる。出発地点はルイジアナ州バトンルージュ


 フランス語だが、すでに日本語になっているルージュとバトン、赤い棒という意味の町。初めてこの曲を聴いたときは、地名であることすら知らなかった。しかし米国駐在を終えて帰国して間も無く、この地で日本人留学生が気の毒な目に遭い、記憶から消え去ることがない。

 同州のニューオーリンズには、二回行った。クリスはこのあたりで、ヘリコプターの操縦士をしていたらしい。「私」とボビーは、バトンルージュからニューオーリンズへ、やがてケンタッキーからカリフォルニアの太陽に向かう。ところで、バトンルージュニューオーリンズも、州間高速のフリーウェイ10号線に面している。


 だから、ほぼ最短距離の一本道でロサンゼルスにいけるはずなのだが、無一文とみえてヒッチハイクしか移動手段がない。ボビーが親指を下に向けて最初に留まってくれたディーゼル・エンジンは、おそらくケンタッキーの炭鉱(今なお世界的な石炭の産地だ)に行くダンプ・トラックだったようだ。

 運賃は運転手さんが知っている歌を片端から歌うだけ。雨が降り出し、ボビーが手拍子と歌の担当、「私」は赤くて汚いバンダナから取り出したハーモニカで合わせ、ソフトにブルースを演奏する。長旅の終わりは、北カリフォルニアのサリナスだった。


 サリナスはサンフランシスコ湾の南側にある町で、一度だけ仕事で行ったことがある。営業に失敗し、会社に情けない電話報告をした覚えがある。昔から日系人の多い土地で、ヨーロッパ風の瀟洒な街並みの落ち着いた町だった。今はどうか知らないが。

 この私の出張の数年前に、司馬遼太郎もこのサリナスを訪れている。その理由は「アメリカ素描」によると、「怒りの葡萄」の作者ジョン・スタインベックの生地を見てみたかったからだそうだ。カリフォルニアは太陽の恩恵を受けて、柑橘類の名産地だ。商標名はサンキスト、お天道様のキス。


 ゴールドラッシュの昔から、アメリカ横断といえば東から西へだ。「怒りの葡萄」の一族は、オクラホマから西部へ、ザ・ビートルズの「ゲット・バック」に出てくる孤独に耐えかねた男、ジョジョの不思議な冒険も、やや短距離だが、砂漠とサボテンのアリゾナ州ツーソンからカリフォルニアへの「葉っぱ」探し。

 ところが、クリス・クリストファーソンが「Me and Bobby McGee」を書いた1969年に公開されたアメリカン・ニュー・シネマの代表作、「イージー・ライダー」のピーター・フォンダとデニス・ポッパーは、何を考えたかカリフォルニアからルイジアナに向かう。


 つまり、「私」とボビーの正反対の方向である。約束の地からミシシッピ川の河口を扼す南部の保守的な土地にハーレーで乗り込んだのが、二人の命取りになった。一方、「私」はサリナスの近くでボビーと別れている。手をすり抜けるように去ったボビーは、住まいを探していたのだという。

 クリス・クリストファーソンは、カレッジ時代などをロサンゼルスで過ごしている。ジャニス・ジョプリンは、サンフランシスコが歌手としての活動拠点だった。この二人が1969年に恋仲だったと幾つかのアメリカ人のブログなどに書いてあるのだが、出典も真偽もまったく不明。当事者がそう語ったという記録はまだ見つからない。


 その1969年にクリスがこの曲を作るきっかけになった出来事があったと、本人が取材に応えて説明している。前回、二名の共作だと書いたが、もう一人の Fred Foster はクリスが所属するレコード会社の創業者だったらしい。その彼がある晩、電話を架けてきて、「君向けの曲のタイトルがある」というようなことを言った。

 クリスは聞き間違えて「Me and Bobby McKee」だと思ったそうだ。ちゃんと確認してくださいよ。たぶん飲んでたな。社長によると、ボビーは仕事仲間の秘書の名だという。雑誌の記事がネットにあるので、いつまで残るか知らないがURLを貼る。
http://performingsongwriter.com/kris-kristofferson-bobby-mcgee/


 フォスター氏いわく、「問題はボビーが、女なんだ」。ボビーという略称は通常、男の呼び名で、ロバートはケネディの場合ボビーだったし、ディランの場合ボブだった。でも女にも使う。バーバラとか、多分バーブラ・ストライザンドもそうだろう。

 男と女の歌だから、女の身にもなって書かないと良い歌はできないよというボスのプレッシャーであろうか。それにしても、クリスは取材ではっきり「night」と言っている。寝る時間だ。グッド・イブニングは「こんばんわ」で、グッド・ナイトは「おやすみ」である。


 こんな時間帯に「Me と Bobby McKee」という曲名が思い浮かぶとは、ボスも何処で誰と何をしていたのだろうか。興味は尽きないが、先に進もう。このタイトル案を提供しただけで、フレッド・フォスターは共作者になったのだろうか。他の仕事をした形跡がない。

 もっとも、このアイデアがなければ、歌もできなかっただろうし、コンポーザーの人選も的確だったようだ。何より、間違いなく歌詞の一部になっている。あとの責任はクリスの双肩にかかってしまった。これまで彼は請負で歌作りをした経験すらなく、でも相手が相手だから「うーん」と唸りつつ、「やってみよう」とゴルゴのように引き受けた。さあ、困った。


 ここから先の顛末は、資料により若干、異なる。クリス・クリストファーソンが、そのたびにバラエティのあるストーリーを伝えているらしい。まあ、人生こんなもんだ。まして、ポップ・ミュージシャンだ。大筋は同じだが、歌詞も歌うたびに少し違っている。ジャニスも歌詞の一部を変えている。

 とはいえ、クリスの回顧談には共通して出てくるエピソードがあり、すなわち歌詞の着想を得たのが、フェデリコ・フェリーニの映画「道」だったということだ。長くなってきましたので、以下、次につづきます。






(おわり)






クリス・クリストファーソンか...
(2016年9月24日撮影)







 Jojo left his home in Tucson, Arizona for some California grass.
 Get back, get back, get back to where you once belonged.

    ”Get Back”  The Beatles






















































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