おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

悪魔を憐れむ映画鑑賞  (第1059回)

 アメリカ映画”Fallen”のタイトルは、たぶん堕天使のことではないかと思うのだが、邦題は「悪魔を憐れむ歌」になっている。1998年の作品。私はけっこう好きで何回か観ているのだが、当時のアメリカのサイトを見ると、興行的には失敗し、評論家からも酷評され、つまりプロにも素人にも支持されなかった。

 私は田舎の生まれ育ちだから、映画とくれば貴重な娯楽であり、いつだったか淀川長治さん(オッチョと同じ名だなあ)まで引き合いに出して書いたように、どんな作品でも一つは良いところを見つけ出して楽しもうという貪欲なエンド・ユーザーの鏡なのだが、この映画はそれも難しい。ついては、丁寧に酷評する。

 
 脇にドナルド・サザーランドジョン・グッドマンという重量級を配しておきながら、それでもデンゼル・ワシントンが主演した映画の中で、評価や人気の低さでは屈指のものかもしれない。失敗の原因は一言でいうと、何かにつけて中途半端なのだ。

 オカルト映画という分類のされ方だが、オカルトというからにはエクソシストオーメンのように、目をそむけても夢に出てきそうな場面がなくてはいけないが、徹底していない。ゾンビ映画のようなグロテスクさもない。

 ゾンビの映画は、私が二十代のころに隆盛を誇った。漫画「20世紀少年」で、海ほたる刑務所の看守が、ショーグンの突き出す鋭利な金属の先で、目玉を潰されそうになって降参しているが、あれも当時のゾンビ映画のワン・シーンである。この映像は、時代も時代でテレビのコマーシャルに使われ、しかも映画の本番では、その先どうなるか、書けない。


 ミステリの要素もあり、途中まで犯人は警察官ではなかろうかという会話が、警察官の間で何回か交わされる。警官は英語で”cop”、アメリカの発音だとカップに聴こえる。ビバリーヒルズのエディ・マーフィも、ハリウッドのジョン・マクレインもカップと言っていたな。制服のお巡りさんは、LA市民に「オフィサー」と呼ばれていたのを覚えている。

 だが、この警官犯人説も、早々に間違い(というか、本筋ではない)ことが分かってしまう。邦題に惹かれてストーンズのファンが見たかもしれないが、挿入曲が「Time Is On My Side」と、「悪魔を憐れむ歌」だけでは淋しかろう。


 その悪魔も、エクソシストに登場する蠅の王ベゼルブブのような憎むべき禍々しさに欠け、長距離移動ができないという粗悪品になっている。しかも、悪魔のくせに殺し方が人間的で、注射器などを使っている。それもまあ主題が、人間に乗り移って悪を為し、人の世を混乱させるというものだから仕方がないのかもしれないが、その程度の凶悪犯罪は既に普通の人間が得意としているのだ。

 アザゼル旧約聖書に登場する本物の悪魔で、悪魔のくせに新約聖書を通読しているらしく、ヨハネの黙示録を引用して威張っているのだが、これもストーリーに上手く絡んでいない。

 
 ところで、黙示録を英語で「the Revelation」というのを、この映画で初めて知った。私は「地獄の黙示録」の印象が強烈だったので、英語で「アポカリプス」というと信じ込んでいたのだが、本作に出てくる神学者(なかなか素敵な女性です)によると、これはギリシャ語らしい。

 デンゼルさんも”Apocalypse”を知らなかった。新約聖書古代ギリシャ語で書かれている。イエス様が何と言っていたのかは、翻訳でしか分からない。

 このデンゼル・ワシントンの役名は刑事ホッブスで、歴史の授業で習った「リヴァイアサン」の著者の名と同じだ。リヴァイアサンも悪魔の一種という理解のされ方もあり、こういう細かいところは凝っているのだがなあ。助手が猫というのも迫力がない。


 ほかにも例えば、地名が出てこない。冒頭で遠藤ケンヂのように、主人公が山奥の雪の上で転がりまわっているから寒い土地らしいが、映画に重要な地域性にも欠ける。実際にあちこちでロケをしたようだが、場所を推測させるような建物も映らず、ご丁寧に駅名も車のナンバー・プレートも鮮明に映らないように努力しているのだが、これはどういう意図か。

 何より、デンゼル・ワシントンを登用したように、主役は善人という設定になっているのが甘い。賄賂の取扱いの件で、同僚の警官と争いが起きそうになる場面も、俺たちカップは人生の99%、もとい、99.5%を使って働いており、合衆国大統領より激務であると宣言して丸く収めるような偉い人だ。

 私生活でも、かみさんに出て行かれた少し気の弱いヨシツネのような弟と、その利発な息子と同居しながら面倒をみている。こういう聖人君子に取りついて、悪事を重ね周囲を驚かせるというのが悪魔の悪だくみなのだが、発想が平凡である。


 それにしても、バイブルを聖典としない我ら大和民族の大半にとって、悪魔といわれても全然、怖くないというのが、どうしようもない限界だ。仏教でも御釈迦様の修行を邪魔しに来るだけで、これも凶悪さに乏しい。

 このため本邦では、漫画でさえ悪魔くんとか、悪魔系バンドのエロイムエッサイムズとか、コミカルに使われてしまい、この映画も「おんぶおばけ」レベルの観方をされているに違いない。それに、悪い奴の癖なのか、「俺の遊びについて来れるか」などと聞きなれたセリフまで登場するため、全編にわたり弛緩している。この救いがたさが、鑑賞に値する。

 But what's puzzling you is a nature of my game.





(おわり)






山奥 (2016年9月24日撮影)






 Just as every cop is a criminal
 and all the sinners are saints...

   ”Sympathy For The Devil ”  The Rolling Stones






























































.