おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

拾ったバイクで走り出す  (第1058回)

 今回は雑談。映画のケンヂは、北海道で山の男と出会って立ち直り、東京に戻る決意を固めたようである。まず、交通手段であるが、世が世なので電車も飛行機もないらしく、やむなく後になって「千キロだぜ、千キロ」と嘆くことになる道のりを、小さめのバイクで走破することにした。1000kmとは、おおむね札幌から東京までの距離である。

 バイクは、とある民家か工場の軒先で拾った。住民がいない様子であり(漫画では、北海道は全滅と言われていた)、これは拾得物か。ついでに、アコースティック・ギターも拾っている。あの弦は金属部分がすぐに錆びてしまう。たぶん、プロは演奏のたびに張り替えているはずだが、彼にその余裕はない。ヘルメットなし、道路交通法違反。


 盗んだバイクで走り出すという歌詞は、犯罪を誘発しかねないのだろうか。絶対ないとは言わないが、そんなことを言ったら、あらゆる歌詞も映画も小説も漫画も落語も危険物であり、それら全て厳禁なんて世界には住みたくない。そもそも現実の事件報道だって、効果は同じというか、もっと危ないだろうに。誘発されるような者は、きっかけを探しているのだろうから。

 尾崎豊の「15の夜」を最初に聴いたとき思い出したのは、学生時代に中型バイクを盗まれた友人の憔悴した姿だった。彼も気の毒に、慣れない接客のバイトを何か月もやって、ようやく買った400の愛車、私も何度か後ろに載せてもらったのだが、夜間にアパートの駐車場から盗まれた。

 盗難の届を出した相手の警察が、最近はやりの手口を教えてくれたらしい。それは私も被害者を前にしながら、つい「考えたな」と言ってしまうような方法で、だからここに書くわけにいかない。ちょうどそのころ、私も立て続けに二台、安物の自転車を夜中に盗まれた。人の不幸に感心した罰があたったか。


 盗みはいけない。でも、こちらも酷い。うちから歩いて30分、上野公園の不忍池にある小さな神社、弁天堂のあたりにポケモンが出るというただそれだけの理由で、立ち入り禁止になるほどの人が出たらしい。ときどき散歩や外勤の帰りに歩くのだが、あんな狭い道で何をしておる。

 実は上野公園は、ポケモンGOとやらが始まった日の午後にも用事があって、園内を徒歩で突っ切ったのだが、早くもその一角で少なく見積もって50人、若者だけかと思いきや、いい歳した連中も含め、全員おし黙ったまま、うなだれてスマホを見ている。


 上野公園は最近、外国人旅行客が増えた。爆買いとかいう用向きではなく(パンダのぬいぐるみやお菓子ぐらいしか売っていないからねえ)、単に公園を歩いたり、各種取り揃えております神社仏閣・動物園を見て回ったりする海外からの静かなお客さんたちなのに、邪魔をしてどうする。

 不忍池の周辺は春から夏にかけて、桜、紫陽花、蓮の花が咲く。池には巨大な鯉が無数におり、亀もいて一説には春の朝、冬眠から覚めて弁天堂辺りから池に向かい、群れを成して歩いていくそうだが、まだ見たことがない。桜、蓮、鯉、亀とくれば、なんともおめでたい感じがするではないか。

 実際、上野公園の神社は、八百万の神のなかでも有名どころが一同に会しており、そもそもが天台宗寛永寺を中心とした仏教の山なのに、弁天、八幡、天神、東照宮と多彩である。弁天さまは、不忍池の中に浮かぶ小島にある。


 上野の山は全体に、京都・近江を模している。京の都は鬼門の北東に比叡山延暦寺があるが、同じ宗派の東叡山寛永寺江戸城の北東にある。不忍池を琵琶湖に見立てて、私も三十年前に一度だけ渡ったが、琵琶湖には竹生島に弁天様がおみえなので、上野も不忍池に「不忍弁天堂」を創建したらしい。

 まだある。清水寺の弟分もあって、こちらは清水観音堂といい、小ぶりだがちゃんと小高い地にあって清水の舞台もある(西郷さんのそば)。この観音様からまっすぐ西に武蔵野台地を降りていく階段が、車道を越えてそのまま弁天堂に続く参道になっている。神社らしく休みの日などには、露店も並ぶ。

 つまり、ポケモンから訓練を受けている連中は、宗教施設のど真ん中で遊んでいるばかりか、報道によれば飲酒喫煙、夜遊び大騒ぎと、尾崎が十五過ぎた頃には卒業したと思われる不良中学生レベルの乱痴気騒ぎを起こし、とうとう寛大なる宗教関係者と、厳しさで鳴る台東区の警察署を怒らせたらしい。しばらく近寄りたくないな。


 ケンヂが拾い上げたフォーク・ギターや、中学時代の愛用クラシック・ギターは、すわって足に載せて弾くのを前提に、胴の真ん中がくびれた砂時計型のボディ・デザインである。エレキにはその必要がないので、例えば若き日のジョン・レノンが使っていたリッケンバッカ―は、琵琶のような形をしている。

 楽器の琵琶と、果物の枇杷は、どちらの名が古いのか知らないが、琵琶湖も含めて涙のしずくのような独特の形状をしている。弁天様は、その昔、古代インドの神様だったころ、ご担当が芸術分野だったそうで、しばしば琵琶を持参していなさる。

 いつごろどこで弁財天とも呼ばれるようになったのか知らないが、いつのまにか財産の神にもなられ、こちらは拙宅から歩いて一時間かかるが、あの吉原の裏に今もある神社が、この弁財天である。七福神の中で唯一の女性だから、20世紀最後の大みそかの紅一点、ユキジみたいなものだ。


 台東区のサイトによると、上野の不忍弁天堂は先の大戦で焼失した由。不忍池も明治時代は鴎外の「雁」に出てくるように野性味のある池だったようだが、戦後の食糧難の時代は、埋め立てられて田んぼだったらしい。後に池に返り咲き、弁天堂も昭和33年に再建されたとある。

 このお堂の前に立っている大きな琵琶の像は、どうやら戦火を免れたらしい。下に昔撮った写真を掲げるが、銘文に「明治十九年」とあるから、大日本国憲法よりも先輩である。むやみに上手い字であるが、鉄舟山岡鐵太郎の書なのだ。怒らせると、ものすごく怖い人。その前で遊びほうけるとは、いい度胸だ。





(おわり)




上野不忍弁天堂の琵琶
(2016年4月3日撮影)










われは湖の子 さすらいの旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧や さざなみの志賀の都よ いざさらば

            「琵琶湖周航の歌」














































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