前々回・前回と、私のごときノンポリの鏡のような人間が、平和を語る世の中になってしまいました。持病の腰痛がひどくて、しばらく外出もままならぬまま、8月15日を迎えました。まだ、千鳥ヶ淵にお参りしていないが、そのうち時間ができたら今年も行こう。本日は正午の黙祷だけ。
三年ほど前のことだったと思う。文藝春秋に内田裕也が寄稿していたので驚いた。いや、驚いては失礼かな。怒らせると怖そうだし。記事の場所は、あの雑誌の名物の一つで、最初のほうに並んでいる随筆集にあった。
内田さんの訴えは鋭く、まだ右傾化するまえの文藝春秋とはいえ、よくまあ載せたものだと感心しながら読んだ。切り抜いておけばよかったが、主旨ははっきり覚えている。A級戦犯は、日本が裁判にかけるべきだったというものだ。
現行の法律では被告が他界すると、裁判は終わりなのだが、これはそういう問題ではない。実際、日本がどう云おうと、あの東京裁判という名の復讐と見せしめは、起きたとおりに起きただろう。しかし、そのあとで日本は何もしなかった。そのかわり神様にした。
周囲の国々から、かしましく日本は戦争を総括していないと責められ続けている。そんなこと今さら言われても困るというのが、私も含め多くの戦後生まれの偽らざる心境ではないかと思う。手遅れになったのだ。関係者が殆ど死んでしまった今となっては。
別にA級戦犯に限定しなくてもいいし、裁判という名称でなくてもいい。イデオロギー色を抜いて、誰が何をどうしたのか、もっときちんと記録に残して、我が国なりの意見を世界に発信すべきだった。でも、政争や経済活動にかまけて、さっさと「もはや戦後ではない」なんて決別してしまったな。
ネットでは内田裕也の評判が、あまり良くない。まあ言動の激しいお方でもあるし、材料には事欠かないのも確かだが、本質は彼が地球の平和のためにロックンロールをやり続けると、言い続けているからだろう。アメリカ生まれのこの音楽ジャンルは、戦争に連れていかれる世代が支持してこそ、世界の音楽になった。戦わず平和を叫ばないロックンローラーなど、ロックと呼ばない。
電動のゲームを育てて来た世代の一人としては言いにくいのだが、若い方々、居もしないポケモンなんか探している場合か。何も政治活動や市民運動をやれと申しておるのではありません。70年前、80年前、日本がどうだったか、もっと知ってほしい。この国の学校は近代史を教えてくれないから独学で頼む。下手すると、止まらなくなる。
(おわり)
八月十五夜 隈なき月影 − 源氏物語 夕顔
(2016年8月11日撮影、入谷の朝顔市で買いました)
It can't stop, I wonder.
”Have you ever seen the rain? ”
Creedence Clearwater Revival
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