おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

20th Century Toy (20世紀少年 第528回)

 今日は雑談です。第16集第11話のタイトル名が「オモチャ箱」になっているのは、最後に出てくるオッチョとの会話の中で、神様が「オモチャ」、「オモチャ箱」という言葉を使っているのに由来している。そのオモチャとは、例えばガッツボウルに来る道中でオッチョが見てきた「なんだそりゃあ」というようなものも含まれよう。

 私は日本語や英語のロックやフォークの歌を何百も知っているし、一度聴いただけというのも含めれば相当数になると思うのだけれど、歌詞に「友達」(friend)と「オモチャ」(toy)という言葉が両方出てくる歌となると一曲しか知らない。それは、お馴染みT.Rexの”20th Century Boy”という曲だ。


 探せば他にあるかもしれないが、これだけ何回もこの二つの言葉を連呼する曲は他にそうはあるまい。このことに興味を覚えて、同曲の歌詞を翻訳しようと思ったのだが今のところ果たせないでいる。理由は単純明快で、正確な英語の歌詞が分からないからです。

 私が持っている”20th Century Boy”の録音は、アメリカで買ったベスト・アルバムに収録されているもので、古い製品ということもあって歌詞カードが入っていない。自信をもって聴き取りができるほど英語に達者ではない。そこで次にウェブで調べてみたのだが、以前ちょっと触れたように、てんでバラバラと言ってよいほどに、サイトによって歌詞が異なる。


 日本人が書いているサイトでは仕方がないと思い、英米人のそれを探しては読んでみたのだが、状況は似たり寄ったりである。なぜこういうことが起きたか。想像の域を出ないが、まず、1970年前後のロックのレコードなどは、日本製だろうと外国盤だろうと、そもそも歌詞カードがなかったり、日本産の場合は英語が間違いだらけだったりということが少なくなかった。

 そして、アナログ録音は時代が古いほど音声が不鮮明であり、いきおい歌詞が聴き取りにくい。また、歌い手の個人差もあり、例えば私にとってボブ・ディランジョン・レノンは比較的、聴き取りやすいのだが、ミック・ジャガーマーク・ボランの発音は苦手である。


 また、当のマーク・ボランもこうなった原因の一つでがあると思う。スタジオ録音が聴き取りにくければ、ライブを試してみるという方法もある。ライブのほうが歌詞が分かりやすいということは時々あるし、特に映像付きだと唇の動きで分かることもある。

 かくて動画サイトで探したところ、運よく3本ほど”20th Century Boy”のライブ録音がアップされていたのだが(たぶん著作権違反だろうな。ダウンロードしても違法になりましたね)、聴いてみて分かったことがある。それぞれ、歌詞が違うのだ。


 マーク・ボランが意識的にそうしているのか、単なる気まぐれな男なのか、歌詞を忘れっぽいのか知らないが、とにかくけっこう違う。ジョン・レノンもそうだった。これではネイティブが聴き取っても違う歌詞のサイトになっておかしくない。

 ケンヂによればロックに定義はないが、この事態はいかにもロック的である。作ったときと歌うときの気分が違えば、歌詞を変えたってかまわないと思うな。どうせロック・ファンは歌詞をしみじみ味わうために、ライブ会場に脚を運んでいるのではないのだろうから。


 ところで、”20th Century Boy”は、たぶん単純な求愛の歌だろう。かつてアメリカ人に訊いたところ、感嘆詞など一部例外を除き、現代英語には男言葉と女言葉の区別はほとんどないとのことだが、「your boy」になりたいと歌っているので、普通に受け止めればこれは女を男が誘っている歌詞だ。ちなみに、英語の「boy」は一義的には少年だが、口語ではごく普通に大人同士、「Hey, boy」などと声を掛けあったりする。

 なぜこんなことを考えているかというと、まだ先のことだが第20集に、”ともだち”がカンナに対して、「僕こそが、『トウェンティース・センチュリー・ボーイ』だ」と語る重要そうな場面が出てくるからだ。また、その前に彼は、自分が誰なのかはケンヂが知っているとも述べて、カンナを驚かせている。


 もしもこの曲の歌詞に即して言っているならば、”ともだち”は誰か(ケンヂか?)の「ボーイ」や「オモチャ」になりたいという話になってしまうのだが気色悪いので却下したい。歌詞に関係はないとすると、例えば、カンナがケンヂおじちゃんに「”ともだち”が自分こそは”20th Century Boy”だと名乗った。ケンヂに訊けば彼の正体が分かると言っていた」という情報を伝えれば、ケンヂには彼が誰なのか分かる可能性がある。

 二人にそういう機会はなかったようだが、読者には”20th Century Boy”の歌が出てくる場面が幾つか与えられているので、そのどこかでケンヂとこの”ともだち”は、関わりを持った(村上春樹風にいうと『結ばれている』かな)と考え得る。このことは終盤、考えずにはおられないテーマです。



(この稿おわり)






Friends say it's fine, friends say it's good
Everybody says it's just like Robin Hood

And it's plain to see you were meant for me
I'm your boy, your twentieth century toy


"20th Century Boy" by T.Rex


 ともだちはそれが良いという
 ともだちはそれで良いという
 誰もが言う
 まるでロビン・フッドみたいだと

 見てのとおりだ
 おまえは俺の運命のひと
 俺はおまえの男
 おまえの20世紀おもちゃ
















































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