おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

国事行為のみを行ふ  (第1046回)

 改正草案は新設の条項が多いこともあり、これ以降、同じ又は類似の条文であっても、通し番号が異なるものが増える。このため、逐一「現行の」とか、「改正草案の」と形容する。また、現行憲法は青字で表示する。

 今回以降はしばらく、第一章「天皇」の中でも、文章量としては一番多い「国事に関する行為」(以下、国事行為)について話題にする。改正賛成側から見れば、重箱の隅をつつくような指摘が大半です。なぜなら逆の立場からすると、小細工と感じるかもしれないほど細かい変更が多い。


 条文の並び替えも目立つ。単に文章構成という点からすると、現行の憲法なはぜか、この国事行為に関連する条項と、直接関係ない(少なくとも国事という言葉が入っていない)条項が入り乱れている。

 この点、改正草案は読みやすい。憲法は小説のような読み物ではないが、やはり関連する条文は、まとめて流れの良い並べ方をしてほしい。ということで、以下は改正草稿の条項の順序に沿って比較する。まずは、その第5条、現行憲法でいうと第4条。草案では国事という用語の初出である。


  【現行憲法

 第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。


  【改正草案】

 (天皇の権能)
 第五条 天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない。

 あとで触れるが、現行憲法には、この前の第3条に内閣の助言と承認に関する定めが、また、この後の第4条第2項に委任に関する定めがあるのだが、後段に先送りされている。さて、改正草案の第5条は、旧仮名遣いの改めを除くと、一言違うだけだ。「のみ」を削除している。

 私見ながら法令でも契約でも、「のみ」という言葉が消える影響は、場合によっては甚大である。「のみ」があれば、ある行為の対象は限定されているが、削られた途端、それ以外のものが入ってくる可能性が生ずる。だから、これはもしかしたら大変な変更点なのかもしれないと感じる。


 現行にも草案にも、「国事」と「国政」の定義は無い。ただし、いずれも「国事」の具体的内容が、後日記すように箇条書きで示されている。現行の憲法では、これだけが天皇と国との関わりであって、それ以外は「国政」とされ、文面上、関わってはいけないことになっている。

 ちなみに、英語版の日本国憲法では、「国事」が”matters of state”、「国政」は”government”になっている。後者は統治と考えて良かろう。天皇と政府の接点のうち、禁止された統治に関係するもの以外が国事であると、ここでは考える。


 改正草案において、天皇が国政に関わるのを不可とする点は、現行と変わりがない。しかし、「国事のみ」の「のみ」が無くなる以上は、それ以外のものも、天皇が行ってよいものとして(あるいは、行うべきものとして)入って来るということだ。

 そのうちの一つは以下、当方の推測に誤りはないと思う。改正草案の第6条に第5項として追加されたものだ。現状追認と言えるものだろうか。
5 第一項及び第二項に掲げるもののほか、天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。


 私なりに補足すると、上記条文の「第一項及び第二項」とは、第一項が内閣総理大臣および最高裁長官の任命、第二項が国事行為であり、若干の表現の違いはあるが現行の規定を引き継いでいる。そして、後半の「国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為」(以下、公的行為)が新規で追加された。

 これは以前も少し触れたように、国事行為に含まれないが、伝統的に行われている「ご公務」、例えばオリンピックの開会式や、戦没者・被災者の慰霊や慰問など、国や地方公共団体が主催する式典へのご臨席、皇室外交、園遊会やお正月の御挨拶等々などだろう。きっと憲法にも慣習法があるのだ。


 むしろ、われわれ民草にとって直接間接、皇室の有難味を感じる機会は、こちらのほうだ。報道の頻度も詳しさも違う。法的に問題ないなら、加えた方が良い。もちろん国事行為をおろそかにするつもりはない。次に回すが、国事行為がきちんと終わらないと、政治は先に進まないのだ。こういう点が、国民主権の象徴ならではの「権能」だ。
 
 この国事行為と公的行為の違いの混乱から、スキャンダリスティックな騒動に発展したのが、小沢さんの「一か月ルール」騒ぎだった。ずいぶん昔のことのように感じるが、2009年のことであり、また7年しか経っていない。結果からいうと、このときの「賓客」は無理してでもお会いいただいた効果があったかどうか、現状極めて疑わしい。


 さて、私には見当もつかないが、「のみ」が外れたことにより、入り込んでくるのは、この「公的行為」だけなのだろうか。改正草案の起草者たちが当時そのつもりだったとしても、今後どう解釈されるか分かったものではない。

 2009年のときも、「天皇の政治利用」というのが論点の一つだった。一方、次のリスクは、上記と比べるとずっと低いように思うが、将来、はねっかえりの天皇が登場しないとも限らない。歴史がそう語り残している。間違っても幕府打倒とか、あるいは国交断絶とか宣戦布告などは国事ではないだけに、無茶な読み方だけは御免です。





(この稿おわり)






好きな花の一つ。さるすべり
(2016年7月19日撮影)














































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