革命で誕生した政権は、直前の権力者を悪者にせざるを得ず、ときには彼らが使っていた政治の用語さえ厭う。このため、前の前とか、もっと昔の制度名を持ち出すことがある。明治政府の場合、武家政治を建前上は捨て、皇室王族を担ぎ上げた。
このため、ずっと昔の貴族政治時代の官職名を流用した。三条実美は太政大臣になられた。何百年ぶりであろうか。大蔵卿。都督。そして、今回の「摂政」も昔懐かしい官名であるが、大正時代に実績をつくり、今日に至るまで法制度として現役である。
語感としては、臨時ではなく、ある程度の期間は置かれるであろう場合に使うもので、政党の代表代行や、スポーツの監督代行などと同様、本来のトップがケガや傷病等で病気休業に入り、その間に采配を振るう立場というイメージだ。万一の場合は、跡継ぎになるかもしれないし、改めて人選がなされるかもしれない。
これに対して委任とは、日常用語としてはピンチ・ヒッターのように、取り急ぎ本件はお任せという場合に使う様子。民法の第643条は、わざとなのか、分かりにくく定義している。「委任は、当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することによって、その効力を生ずる」。では、現行の憲法の摂政と委任に関する部分はどう書いてあるか。
【現行の憲法】
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 (以下、各号は今回省略)
第4条第2項に、国事行為を委任することができるという規定がある。そのまえに「法律の定めるところにより」がある。第2条や第5条と異なり、「皇室典範の定めるところにより」ではない。その第5条に、摂政の規定がある。
つまり、現行の憲法においては。委任の受け手も摂政も、天皇の代りを務めるのは、「国事に関する行為」のみである。前回のテーマあった「公的な行為」や、上記第6条の任命権は対象外である。では、改正草案。
【改正草案】
(天皇の国事行為等)
第六条 天皇は、国民のために、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命し、内閣の指名に基づいて最高裁判所の長である裁判官を任命する。
2 天皇は、国民のために、次に掲げる国事に関する行為を行う。 (以下、各号は今回省略)
3 天皇は、法律の定めるところにより、前二項の行為を委任することができる。
4 天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。
5 第一項及び第二項に掲げるもののほか、天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。
(摂政)
第七条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名で、その国事に関する行為を行う。
2 第五条及び前条第四項の規定は、摂政について準用する。
さて。改正草案では、条文の順序と書き振りを若干、変えたがために、まず委任可能な行為が増えている。現行では先述のとおり、国事行為だけ。改正草案では、上記のように第6条の内閣総理大臣および最高裁長官の任命も委任できるようになる。表題の「国事行為等」の「等」に属す。
なぜか現行の憲法においては(それをそのまま継いだ改正草案も)、行政府の長と、立法府の長の任命は、国事行為ではないのだ。もちろん、国政でもない(そうは書いてないが、国政に関与しては駄目なのだ)。特別、偉いのか。不思議と国民が構成員を選ぶ立法府の長は、含まれていない。
現行憲法の不思議さは、この両者の任命の委任ができない(としか読めない)ことだ。急病や大ケガのとき、どうすればよいのか。では、まず委任する相手の選び方をみる。上記の「法律の定めにより」は、たぶん「国事行為の臨時代行に関する法律」のこと。「委任による臨時代行」という言葉がある。やはり、ピンチ・ヒッター的だ。
(委任による臨時代行)
第二条 天皇は、精神若しくは身体の疾患又は事故があるときは、摂政を置くべき場合を除き、内閣の助言と承認により、国事に関する行為を皇室典範 (昭和二十二年法律第三号)第十七条 の規定により摂政となる順位にあたる皇族に委任して臨時に代行させることができる。
上記によると、委任する主体は天皇であり、必要な手続きは「内閣の助言と承認」、要件は皇室典範に定める皇族が委任相手でなくてはならない。これから述べる摂政を置く規定においては、天皇が参加しない「皇室会議」の議決で決まる。だから、仮に天皇が人事不省の御病態というときは、委任はできず、摂政を選ぶほかない、と思う。
ともあれ、この改正草案では、総理と最高裁長官の任命は、委任が可能となり「あまり、待たされなくて済む」し、上手くすると仮に天皇陛下と折り合いが悪くても、別のお方に任命され得る(かな?)。それなら、国事行為に含めればよいのに、依然として特別扱いが嬉しいらしい。
私の世代は祖父母の代からのお話しとして、あるいは子供向けの雑誌などで、大正天皇がご病体であり、のちの昭和天皇が皇太子時代に、摂政になられたと聞いて育った。その間に関東大震災が起きている。のちの米軍の空襲と併せ、元首として焦土と化した東京を二回も見なければならなかった御方である。
改正草案の字面だけで判断する限り、こちらでも摂政が可能なのは、国事行為のみである。改正案第6条の任命もできず(なぜか委任ならば、できることになる)、同第5条第5項の公的行為もできない。摂政は震災の慰霊祭にも、オリンピックにも出られない。不自然である。私の誤解でなければ、起草者の間違いでないことを祈る。説明してくれることを祈る。
最後に、「皇室会議」という全くなじみのない制度を、皇室典範で眺めてみる。議員は十名。①②皇室より2名、③④⑤⑥衆参両院の正副議長、⑦⑧内閣総理大臣と宮内庁長官、⑨⑩最高裁長官を含む裁判官2名。皇室会議なのに、皇室は二人だけで、人数割合は五分の一。議長は総理。この顔触れで摂政を決める。基本的には、皇位継承順位を辿る。順当にいけば皇太子。
ただし、天皇との違いは、女性でも皇族ならば、順位は下のほうだが摂政になり得る。これは歴史において似たような事態が複数回、あったようで、女性天皇・女系天皇の議論になると、必ず中継ぎ投手的な役割だったかどうかにつき、侃々諤々の言い争いになる。面倒な議論は嫌なので、ここでは避ける。
むしろ、時事的な課題としては、そもそも現在は皇太子がいらっしゃるが、次世代以降は後継候補に成人(皇室も18歳)の男子がいない場合、そもそも皇太子の人選に往生し、場合によっては摂政でも困りそうだ。国家の中核で、問題先送りの典型例が示されている。強引に決められるよりは、まだましかもしれないが。
この議論に、一般の国民が口をはさみづらい事情の一つとして、皇室はロイヤル・ファミリーであり、国民の象徴の担い手であると同時に、神道の祭事を行っていることだ。こちらの方の多忙さ複雑さも、並大抵のことではないらしいし、宗教の事柄だから部外者が詳細を知る由もない。これを無視して饒舌に皇室の将来を語る者の意見は、眉に唾して聞くのが身のためだと思う。
(おわり)
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