おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

日本国民  (第1042回)

 疲れが出た。憲法という大物相手に、下準備もせず挑むとこういうことになる。しかも、参院選の結果は改憲勢力とやら(変な名前)が、3分の2を超えたそうで、次はどう出るかと思ったら天皇陛下の「譲位」「生前退位」などという報道。たぶん観測気球のためのリークだろう。こう世の中の動きが早くて激しいと、付いていくのも大変だ。それにしても、投票率の低さよ。

 また、今年に入って諸外国では、ペルーの大統領選も、イギリスでEU去就を問うた国民投票も、アメリカで進行中の大統領候補者選びも、みんな大接戦なのに、日本の国政選挙はどうしてこう一方的な結果になるのだろう。だいたい事前に勝つと言われている方が、予想以上の票を集めて勝つ。勝ち馬に乗るのか。


 実際、今回の私の投票は、仮に反対側に入れたとしても当落の結果は微動だにしない。それでも選挙に行くのだ。死に票などという無礼千万な言葉があるが、少数であろうと軽んじないのが民主主義の必須要件だろう。圧倒的な支持を得たものが、大失敗するケースは、決して少なくない。

 ここでは、いわゆる不偏不党の方針で、できるだけ冷静に現行の憲法と、改正草案を比較しようとしている。薄利多売の零細事業をしているから、偏るとそれだけでお客さんを失いかねないのだ。

 でも現時点で私の知る限り、改正案を公表しているのが自民党だけなので、この点は気に入らないというようなことを書けば、自動的に同党の政策批判になってしまう。これは仕方ない。



 ネットにアップされている同党の改正案は、前回まで話題にしてきたものだけではない。約10年前にも出ている。どちらにも、安倍さんの名がみえる。

① 平成24年4月27日  「日本国憲法改正草案」   
  日本国憲法改正草案 | 資料 | 自由民主党 憲法改正実現本部

② 平成17年10月28日 「新憲法草案」       
  http://www.s-abe.or.jp/wp-content/uploads/constitutiondraft.pdf


 探せば他にもあるのだろうが、今日の話題である憲法の前文については、これらと現行法の比較だけにとどめる。前回話題にしたとおり、現行憲法の前文は、「われらは」も同じ意味とすると、5段落全部が「日本国民は」で始まっている。十年前の上記②も、5段落中、「象徴天皇制は」を除く4段落が「日本国民は」で始まっていた。それに日本国民が憲法を制定すると、最初の段落に書いてある。


 しかしながら、最新の改正草案①では、これも5つの段落からなるが、書き出しは順番にこうなっている。「日本国は」「我が国は」「日本国民は」「われらは」「日本国民は」。日本国民は後ろの三つに格下げされ(通常の感覚で言えば、左遷だろう)、冒頭の二つが日本国の説明になっている。書き出しの一言が入れ替わるというのは、尋常のことではないと私は思う。

 もちろん、憲法の前文がかくあらねばならないというルールなどないし、日本国憲法の前文が、日本国という言葉で始まるのも不自然ではない。でも、これは「改正」なのだ。同じ法律を、現行よりも適正なものにするのが目的であるはずだ。なぜ、こちらの方が「正」なのか、これから存分にお聴きしたいものである。草案の前文は次のとおり。


 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。



 国家という硬い言葉が二回出てくる。特に最初の行において、日本国は国家だと言っている。手元の広辞苑(第六版)には、【国家】の意味として、「一定の領土とその住民を治める排他的な統治権をもつ政治社会」とある。国よりも狭義なのだろうな。日本国民は、いきなり冒頭から、日本国が「治める」対象になっている。

 また、第4段落で日本国民は、自ら国を守る役割を担っている。後から出てくる国防軍は、日本国民が国家を守るためにあると考えて宜しいか? この段落にある「国家を形成する。」の主語が不鮮明であるが、どうやら「家族や社会全体が」と読むのが文法的には妥当なところだろう。


 最終段落の「日本国民は」「ここに、この憲法を制定する。」は不可欠だが、他は現状説明か事実関係か自慢話か夢のようであり、無いと絶対に困るというものとは思えない。前文もGHQに押し付けられたのだから、思い切って全部カットしたらどうか。第1条に、「日本国民は、この憲法を制定する。」と置けばよい。

 書かなくても良いことをわざわざ書くということは、普通は強調したいからだと思う。憲法制定の目的に、国家を「継承するため」とある。そういえば昔、国体の護持というのがあった。昔といえば、「和を尊び」とは聖徳太子に賛同したか。それにしても、全部、現在形なので、今のことを言っているのか、それとも未来の姿を誓ったり祈ったりしているのか判然としない箇所が多い。


 どうしても批判的になってしまう。理由の一つは自分なりに分かっている。選挙が終わったばかりだからだが、政治家は与野党を問わず、「国民」という言葉が大好きで仕方がない。国民の信を問うとか、国民の判断が出たとか、死ぬほど嫌いな言葉だが「国民目線に立つ」というのまで発明された。

 国民の皆さんという表現もあるように、政治家という人たちは、国民が自分たち選良とは違う団体様ご一行のように考えてはいないか。彼らに質問すれば、自分だって日本国民だと答えるだろうが、選挙に落ちればただの人という言い方が如実に示す通り、彼らにとっての日本国民は、統治されるべき、だたの人たちなのだろう。

 そういう、ひがんだ目で改正草案の前文を改めて読むと、全体に抽象的でボカシが入っているような文章であるが、一応は日本国民の面子くらいは立てつつ、さらっと義務を増やしてやろうという魂胆を感じるのは私だけか。基本的人権を尊重するのは、日本国民がなすべきことなのか。このままでは、末永く子孫に対して、みっともない。




(おわり)





東京は今日も雨だった  (2016年6月25日撮影)


























































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