おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

待つこと、そして希望を持つこと  (第1024回)

 映画の感想文は、時系列にこだわらずに書きたいと述べた覚えがあるが、結局、時系列になっている。当たり前だが、筋を追っていく方が楽だ。最初の映画「第1章 終わりの始まり」の終わりまで来ました。主人公が驚いたり怒ったりしている間に爆発してしまう。

 ケンヂが持参した時限装置用の時計は、ほんの少し遅れていたようで、オッチョの背後に見える多分GPS機能付きのモニターが、一足先に2000から2001に電光掲示が切り替わった。カンナの叫びもむなしく、スネークアイのスペアを狙った球はガターに落ちて、21世紀自体は来たものの大爆発が起きる。

 
 この爆発については、三四年ほど前に話題にしたとおり、新宿西口の複数個所に仕込まれていた爆弾による同時多発テロだと今も思っている。理由は巨大ロボットが自爆ではなく横倒しになっているのと、超高層ビルが根元から折れるように倒れているからで、爆発物が地下か地表近くに置かれていなけば、こうはなるまい。見たことないが、たぶん。

 逆に、そうとでも考えないとケンヂが生き残ったことを納得しにくい。ご持参のダイナマイトが至近距離で爆発したら、我が身も木っ端みじんである。そこからあまり遠くないところに立っている”ともだち”も同様のはずで、あそこに登る方法からして不明だし、もろに爆風を浴びて落ちないほうがおかしい。


 という点は映画のほうが丁寧で、説明できることだけ説明すればよいという古典SFで育った私のような読者ばかりではないだろうから、漫画では素通りしている謎の解説も、後になってして下さる。運転席はシェルターで(つまりケンヂが死んでは困るらしい)、”ともだち”はホロの再生立像であった。お喋り付き。

 また、映画の爆発は上記の漫画(についての私の解釈)とは異なり、ケンヂのダイナマイトではないが、他の爆弾がロボットの近くで大爆発を起こしており、シェルターを遠くにすっ飛ばし、周囲の建築物は横殴りの爆風で、破片が反対側に飛び散っているのがみえる。これで新宿西口は壊滅状態になったのだから、凄い威力である。


 このあと第1章の映画は、ショーグンが脱走用の地下道を手で掘りながら、「俺たちにはまだ希望がある」旨の発言をしている。映画は海ほたるの巌窟王オッチョと角田氏で始まって、やはり二人で終わる構成になっている。もっとも、最後の最後は、一方的に「希望」のご指名を受けたカンナが、叔父よりも遥かに速く走る姿で幕を閉じる。良い終わり方だと思うな。

 政党のポスターをはがしたら、現実の世でも何等かの罪になるのだろうが、パトカーまで出動するとは治安維持法の世界であろう。もっとも、カンナの素振りからして、これ見よがしに引きはがしての投棄、警察なんて大っ嫌いなのだ。この時点では、その理由はケンヂおじちゃんの指名手配と、それにともなう生活苦であったが、このあと更に酷いことになる。


 エンディングではクレジットの背景に、写真と動画が幾つか使われている。最初の写真はおそらくチョーさんも見た卒業時のクラスの集合写真だろう。そのおかげでケロヨンの映画での氏名がわかる。意外と普通。また、”ともだち”になった子も写っていると思うのだが、これは私には見分けがつかなかった(6年生のクラスは分からないか)。

 動画には、秘密基地の中でオッチョが仲間一同に、俺たちのマークを自慢しているシーンがある。マルオがしみじみと左手を眺めているのが可笑しい。さて、自信はないが、第2章「最後の希望」は、あまり時系列には拘泥しないようにしたいな。それから文章も短めにしたいな。それから、ここのところ東京は夜空が晴れず、せっかくお近づきになれた火星が観えません。





(この稿おわり)





中央にオタマジャクシ。
かなりの大きさなので、ガマかウシガエルか。
(2016年5月3日撮影)





考える蛙  (2016年4月30日撮影)









 指名しようか いつもの娘
 俺もお前も 新宿育ち







 愛しい君の名を誰かが呼ぶ  
 「希望の轍」 サザン




 





































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