おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Let me forget about today until tomorrow (第1062回)

 多忙と多病でブログが停滞した。しばらくは、この調子が続きそうです。うかうかしているうちに、ボブ・ディランノーベル文学賞の受賞の意向を伝えたというニュースが入って来た。何か面白いことを言ってくれるかと楽しみにしていたのに、日本語の報道によれば「素晴らしい」だけ。主語は自分だろうか。

 その心境を邪推するに、要は面倒くさくなったのだろう。世界的な権威から、世界的な文学者と認定されてしまった以上、今後、受賞拒否の理由を訊かれるたびに、それぞれ工夫を凝らした文学的な返事をしなくてはならない。


 この点、一旦もらってしまえば、爾後ひたすら「素晴らしい」で済む。彼も現役の社会人だから、忙しいのだ。とりあえず今日のところは放っておいてくれということだ。

 もう一つ、スウェーデンのアカデミー委員が、彼の態度に対して「無礼かつ傲慢」と述べたのは注目に値する。ディランも、これで正当な評価を得たと認め、そろそろ迷惑をかけるのもやめておこうという親切心を起こした、としたら、そこまで読んだアカデミーも手慣れたものである。


 2015年の段階において、私が耳にした話によれば、ノーベル賞アカデミー賞を両方とも受賞しているのは、ジョージ・バーナード・ショーただ一人とのことだった。ボブ・ディランによる受賞快諾の報道が、本当かつ本気ならば、史上二人目ということになる。

 しかし、さすがのバーナード・ショーも、グラミーは受賞していないから、この点、ディランは数で上回る。もっとも、グラミー賞の創設は、ケンヂやオッチョが生まれた1959年のことで、ショーはすでに故人であるから、ディランも彼に対しては威張れない。これから追いつく奴が出るかどうかだ。

 バーナード・ショーが授与式で放ったという暴言は、無礼かつ傲慢などという程度のものではない。「アルフレッド・ノーベルが、ダイナマイトを発明した件については、これを赦す。しかしながら、ノーベル賞を発明するがごときは、人の皮をかぶった悪魔を措いて、他の者にできる業ではない」。


 セレモニーで、ボブ・ディラン氏は何と語るおつもりか。一部の報道では、事務局が彼に連絡を取れない状態であることについて、電話をとった人によると「当人が寝ている」ためという理由もあったそうだが、付き人に先手を取られては、寝坊しましたでは芸がない。

 もう睡眠は充分とりましたし、どこか他に行く予定もなかったので参りましたとでも言うか。それともエレキを引っ提げて登場し、罵声を浴びて退場するか。でも、この手は、むかし使ってしまったからなあ。


 心配の種は尽きない。賞金はどうする。すでに金なら、今生で使い切れないほど持っているだろうし、これからも入って来るに違いないから、世のため人のために使ってほしい。私が決めよう。コンサート・ホールを建ててほしい。ジャンルを問わず、演奏できるような会場にする。

 自伝を読むと、彼はラジオやレコードから、多種多様の音楽を聴いて育ち、その中からフォーク・ソングを選んだ。後進を支援するのも、偉人老人の務めである。できることなら、ボクシングの試合ができるように設計してほしい。

 建設の場所も決まっているのだ。アメリカ合衆国にある追憶のハイウェイ61号線にある十字路のそば。彼の恩師は、そこで悪魔と出会い、幸いノーベル賞を発明することなく、民衆の音楽にその身をささげた。





(おわり)





出張先の信州にて、諏訪盆地より八ヶ岳を望む。
(2016年10月18日撮影)





 I'm not sleepy and there is no place I'm going to.

    ”Mr. Tambourine Man” Words and Music by Mr. Bob Dylan























































.