おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

暁の寺  (第997回)

 自他ともにショーグンと呼ぶバンコクの男の登場場面は、漫画の場合いきなり乱暴狼藉が始まるのだが、映画は少し洒落ている。大きな川をモーターボートが進む。前方に仏教建築が見える。バンコクで大河といえばチャオプラヤ。

 私が子供のころは、メナム川と世界地図に書いてあり、近隣のメコン川どっちがどっちだか分からなくなって困ったが、幸い改名してチャオプラヤ川になった。例によって欧州人が勝手につけたメナムが川という意味だったそうで、川川というのも悪くないと思うのだが現地の方々はそうもいくまい。

 カンボジアに駐在していた20世紀末、プノンペンの町中にチャオプラヤというタイ料理と中華のレストランがあった。雨でなければ、外でシンハーを飲みながらバッフェの食事ができる。接待や飯会でよく使った。美味しくて評判のよい店であった。また行きたいな。まだあるだろうか。

 
 次に舳の前方のお寺について、私は二十数年前にこれを、この角度で見ていると思う。「思う」という歯切れの悪さが淋しいが、似たような寺院がたくさんあるのだ。ともあれ、そのあと登ったのは間違いない。三島由紀夫の「豊饒の海」に出てくる「暁の寺」のモデルらしい。

 その時の目的は、バンコク名物、朝の水上マーケットの観光だった。先般、大きな事故を起こしてしまった水上バスのような船に乗った。覚えているのはドリアンを買ったこと。新鮮なドリアンは、ほとんど匂いもなく美味しい。ただし大きな果実なので食べきれず、冷蔵庫に入れておくのだが、段々とあの芳香を放つようになる。

 ファンには悪いが、どうしても三島由紀夫の小説の良さが分からない。「仮面の告白」ほか短編集を何冊か読み、この「豊饒の海」も途中まで読み、劇になった作品も観たが、全く何も感じない。活字中毒の当方にしては珍しい。多くのエピソードや怪死にいたる彼の実生活も含め、きつい言い方になるが、からからに乾いた人というのが私の三島の印象である。


 「暁の寺」の記憶も殆ど無い。書評によると、この小説の主人公もオッチョと同じく、タイとインドをウロウロしたらしい。このお寺は金ぴかで巨大な釣鐘のようだが、仏塔なのであり、すなわち外見はかなり違うものの、法隆寺や東寺の塔とおなじものであって、平たく言えばブッダの墓標である。

 東寺といえば、デラックス東寺だ。高校の修学旅行が京都・奈良で、グループ行動が奈良じゃなければ行けるのにと同級生らは悔しがったのであった。でも先生方と鉢合わせでもしたら、お互い不味い立場に身を置くことになろう。それにしても、煩悩の殿堂のような施設に名義貸しするとは、寺院も大物になると剛腹である。


 日本の仏閣にある塔は、むかしの中国の絵に似たようなものが一杯あるから、大陸伝来の設計・建築によるものなのだろう。他方でタイやミャンマーの大規模な釣鐘型は、ネパールでたくさん見たヒンドゥーの宗教建築と似ている。「俺たちの旗」のよりも、ずっと大きな片目が描かれているのが印象的。

 そもそもお釈迦さんはネパールご出身であり、そして古い仏典では盛んにご本人が「神」と言っておられるから、バラモン教の影響を受けていると思っても酷い勘違いではないと思う。インドシナ半島の国々は、伝統的に北ベトナムを除き、むしろシナよりインドの人種的、宗教的な影響が強いのは、現地で暮らすとすぐ分かる。ただし、今はチャイニーズが多いが。


 モーターボートのシーンに、フジヤマ・トラベルのイソノさんのセリフが、音声だけ被さっている。マフィアにつかまった「バカな日本人」を救出するというミッションであった。成功報酬は「たんまりはずむ」というから魅力的である。ショーグンは旅行代理店に登録派遣されている始末屋なのだ。バンコクの裏街道をワイルドに歩み、行く先々で面倒を起こし、破壊の限りを尽くす。まるで巨大ロボットの人間版のようだな。

 武器は棒および本人の体。漫画によれば少なくとも一時期は僧形で、チベットに行くんだと語っていたから仏教徒だったはずである。このためか、殺生はしない。改宗した記録は無いが、のちに幼馴染のお母ちゃんから「どうしたの、その長髪」と言われていることからも分かるように、還俗したらしい。あるいは破門か。本日の外勤先は、入り口に火炎樹が立つ悪の巣窟。単身、真昼間。






(この稿おわり)






近くの公園の花壇。暑さ寒さも彼岸まで。
(2016年3月15日撮影)










Take a walk on the wild side.  − Lou Reed





















































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