第7巻の42ページ目、角田氏を救い出したショーグンが「あれを見ろ...光だ。」と語る。トンネルの彼方、上から光が射している。こんな感じで雲間から光が射す気象現象を、キリスト教圏では「ヤコブのはしご」と呼ぶらしい。英語では「Jacob's Ladder」と表記する。
私はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもないこともあり、この語を知ったのは中年になってからで、中丸明著「絵画で読む聖書」を読んで、その由来を知った。この本も、同じ著者の「ハプスブルク一千年」も、とても良い本だと思うのだが、ネット書店の書評を読むと下品、下品の大合唱である。この程度の下ネタに耐えられないとは、日本人も潔癖になったものだな。
文語訳の新約聖書は、マタイ伝福音書の冒頭、「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」」で始まる。アブラハムは信仰の祖。ダビデはイスラエル王国の大王、六芒星でお馴染み。アブラハムには七人の子がいたかどうか知らないが、ともあれイサクという息子がいて、そのイサクの息子がヤコブである。イエスの男系直系尊属。
ヤコブは兄エソウを騙して、家督相続の約束をイサクから受けてしまう。エソウの殺意を感じて、ヤコブは母の実家のある土地に逃げるのだが(中丸さんご指摘のとおり、旧約は兄弟のいがみ合いの話が多い)、その途上で石を枕に寝たところ夢を見た。
創世記第二十八章によれば、この夢においてヤコブは、地に立つ梯子が天に届き、神の使いたちがそれを登り降りしているのをみた。そこに神が現れて、この地をヤコブとその子孫に与えようと言われた。このエピソードから、雲間差す光のことを、ヤコブの梯子と呼ぶそうだ。天使が昇降に利用する有難い設備です(スピッツ風に言えば「空も飛べるはず」なのに...)。
ちなみに、このあとヤコブはなぜか道中で神様と格闘し、引き分けるという壮挙をなした。子供のころ読んだ聖書物語にも、挿絵つきで出てきた名場面である。もっとも西欧の宗教画などでは、相撲の相手は天使になっているのだが、さすがに神が人に勝てなかったというのでは絵にならないと判断したのだろう。
イスラエルとも名乗ったヤコブは子宝に恵まれ、12人の息子がイスラエル十二支族の祖となった。イエスの十二使徒は、これと数字合わせをしたのではないかと勝手に思っている。十二支族のうち、ユダの家系がダビデ、ソロモンを生み、子孫ヨセフの代には、大工を営んでいる。ラ・トゥールが描いたヨセフとイエスの絵をルーブル展で観たが、実に素敵だった。少年の左の掌が、蝋燭の炎に透けてみえる。父は夜中も働いていたのだ。
数年前にイタリアへ旅行した際、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の中で、私はこのヤコブの梯子を観た。幾筋かの光が聖堂の天井から漏れ差している。この光景は、そしてミケランジェロの「ピエタ」も、荘厳としか言いようがない。無神論者の東洋人にも、ここが聖なる地であることが伝わってくる。行って良かった。
ショーグンと角田氏も、このご来光を拝んでどれほど嬉しかったことだろう。しかし、彼らが立ち去ったあとの海ほたる刑務所はそれどころではない。第一看守隊本部長の「木村くん」が、甘粕屋刑務所長に対し、二人が未発見である旨の中間報告をしてのち、脅迫に等しい捜索命令を受けている。所長自身、命の危険を感じて怯えているのだが、たぶん、”絶交”だな。
ちなみに、木村くんの報告にある捜索体制は、「木更津沿岸150名、周辺海域に巡視艇35隻」とある。致命的な失敗であろう。刑務所当局は、脱獄犯2名が直線距離の短い木更津方面に泳いで向かったと決めてかかったらしい。ヘリを飛ばしたとはいえ、反対側の海底トンネルを抜ける可能性はほとんど念頭になかったようだ。
ヤコブの梯子が立っていたのは、「トンネル内に空気を送る施設だろう」とショーグンが推測した縦穴であった。この施設を俯瞰した絵は51ページ目に描かれているが、東京湾に実在する建築物であり、「風の塔」という。イタリアに行く前に訪れたアテネで、私は本家本元の「風の塔」も観ているのだが、東京湾のそれはショーグンの想像通り、長いトンネルの換気施設です。さあ、外に出られる。
(この稿おわり)
自宅にて、ヤコブの梯子(2011年12月24日、クリスマス・イブの夕方撮影)