おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

壁  (第989回)

 今回はひたすら雑談です。おそらく初めて日本語に翻訳されたドナルド・トランプの半生記を1980年代に読んだ。当時まだ四十代の若さで不動産王になったという、アメリカン金持ちドリーム達成記念の本で、表紙が金色だったのを覚えている。ニューヨークに行ったときには五番街に寄り(マリーという娘は探さず)、ティファニー(朝食は食べず)そしてトランプ・タワーを見物したことは前にも書いた。お上りさん、そのもの。

 そのトランプさんが、大統領選でトップ争いをしている。一時期の彼は、サブプライム・ローンやリーマン・ショックで大打撃を受けたと報道で聞いたが、なかなか粘り強いな。ちなみに、私が渡米する少し前の1980年代の前半、アメリカは特に中南部で、日本に先駆けて不動産バブルを経験している。やっぱり日本人は録でもないものから順に、アメリカのマネをするらしい。


 その当時は銀行に行ってIDさえ見せれば、住宅ローンを借りられたという凄い話を現地のTVで見た。泡がはじけてから銀行の倒産が相次ぎ、どういう罪状か知らないが銀行の経営者が百人単位で実刑判決を受けて、刑務所に放り込まれたと聞いたときは、さすがアメリカだと感心したものだ。

 しかし、リーマン・ショックのときは、誰も逮捕されていないはずである。被害が世界中に及んだため、「悪くない」ことにしたものと思う。日本のバブル景気終焉後も、経営責任を問われた刑事裁判など無かったはずだ。道徳なき経済は、それだけで罪悪だと二宮尊徳さんが警鐘を鳴らしたのも今は昔。


 不動産屋が大統領になっても一向に構わない。なんせシュワルツェネッガーがカリフォルニアの州知事になった国だ。仮に独立国家になったら、カリフォルニアはGNPが世界のトップ・テンに入る経済大国だし、ビーチ・ボーイズが何ら根拠を示すことなく言い切ったように、世界で一番キュートなカリフォルニア・ガールズも量産する。

 だが、メキシコ国境に壁を建てるという構想には呆れたな。壁で人の出入りを遮断しようとは、高杉晋作のマネをすれば、よっ、世界大統領といったところだ。実効性は疑わしい。ベルリンの壁より、はるかに長大なものになる。

 しかもベルリンは都会で陸地だけだが、アメリカとメキシコの国境となると川も海も砂漠もある。LA時代の同僚にベトナムから来たボート・ピープルの娘さんがいて、とても穏やかな働き者であった。暮らしに困った人々は、必要に迫られれば太平洋だって渡るのだ。

 たとえ高い壁を築こうと、オッチョは重力に逆らい、よじ登って乗り越えたし、カンナたちはオッチョおじさんの得意技を借用して地を掘った。ケンヂに至っては、矢吹丈という名義の偽名・偽造手形で、白昼堂々と関所破りをしている。映画「ジュラシック・パーク」風に言えば、「Life finds a way」だ。


 私が歩いてアメリカとメキシコの故郷を陸路で越えたとき、往路のメキシコ行きは素通りであった。EUができるずっと前のことで、あれには驚いた。ただし、帰路のアメリカ戻りでは、通関と税関を兼ねた小屋でパスポートを見せろといわれ、さらに手荷物を開けろと命じられた。面倒なことになりそうだった。バッグにはメキシコで買ったテキーラのボトルだけが入っている。如何にも怪しい。

 やむなく英語が分からないフリをし、眼光鋭いユキジのような税関職員の女性相手に、百済観音のようなアルカイック・スマイルで微笑みかけること約十秒、彼女はハエを追い払うようにアゴを横に振って、あっち行けと通してくれた。忙しかったのだろう。「ありがとう」と日本語でお礼して去った。

 そんな長閑な毎日が、ずっとずっと続くとは到底、思えない。だいたい、アメリカの白人は、かつて自分たちのご先祖様が来たとき、他人様の土地に勝手に入り込んたのだから、筋の通った説明などできるはずがない。極めて感情的、現ナマ的な話になるはずで、トランプ氏はとうとうローマ法王から、「クリスチャンではない」というお墨付きまでもらってしまった。隣人を愛さないといけないのに。


 伝統的に共和党は都会での選挙に弱く、カリフォルニア州も、その例外ではない。この壁づくりのアイデアは、大選挙区であるカリフォルニア向けのポピュリズム放言である可能性がある。たとえば、私がいた当時のカリフォルニア州法には記憶によると、住民の人種の人数構成と同じ割合で、公務員を雇用しないといけないという、筋が通り過ぎて怖いくらいの規定があった。

 若干、人種差別的な表現になるのをお許しいただきたいのだが、当時急激に増え始めていたヒスパニックは、本人たちの責任ではないが、学校教育をほとんど受けていない人たちだったそうで英語もわずかしかできず、公務員になったというだけで公務執行妨害になるという逆差別的な状況を生んでいるという冗談まで聞いた。現実問題として、アメリカ人も大変なのだ。


 万里の長城は、どんな説明を読んでも「外敵の侵入を防ぐため」と、その存在理由が記されている。そういう目的も効果も部分的にはあったろうが、日常的にあの長い長い防壁の全体に、十分な軍事力と監視体制を敷くのは無理だろう。それに今の頑丈な長城は、確か明代ごろの増強によるもので、むかしは低い土の壁だったと学校で習った覚えがある。

 その通りだとしたら、本気で外敵が複数箇所から攻めて来たとき、長城だけで防ぎきれるものではあるまい。あれはむしろ国境線であり、「ここから中に入ったら只じゃ置かないよ君たち」というような、秘密基地の原っぱを地上げした神様によるフェンスのごとき代物なのではなかろうか。その方が特に平時には、効率的であるはずだ。それに同国は、今も海の上で似たようなことをしている。


 おそらく、この立候補者も同じ地上げ屋として、同じような発想で壁構想をぶちあげたのではないかと思うが、さすがは大統領選がお祭り騒ぎの超大国、支持率は今のところ堅調である。勝っちまったら、どうするつもりだ。おそろしいほどの閉鎖的な印象を与える政策である。内憂を外患でごまかそうとする思想統制ほど怖いものもない。

 私のイメージするところの伝統的な共和党支持者は、広大な北アメリカ大陸で代々、農業やカウボーイをやってきた気のいいおじさん、おばさんたちである。映画の「昭和地区」みたいに、文化遺産的な保存を志すのか。かつてインディアンとかエスキモーとか呼ばれていた先住民は、保護区に閉じ込められてアルコール依存が問題になっているらしい。コイズミのお父さんみたいだ。


 池上彰さんによれば、米国は議会の権力が強大で、大統領の権限はなかり制約されており、独裁者にはほど遠いポジションであるらしい。それでもやたらと目立つのは、アメリカが超大国で、そこの国家元首だからに過ぎない。実際、アメリカの大統領・上院・下院が、同じ政党に独占されていた時期は、過去、驚くほどわずかである。どこかでバランス感覚を発揮してくだされ。

 1971年という日付が入っている小説「指輪物語」の解説文によれば、発売当初、アメリカではこの物語がヒッピーを名乗る若者たちから熱狂的な支持を受け、「ガンダルフを大統領に」というバッヂが流行ったらしい。争い事はうんざり。賛成。




(この稿おわり)







お口直しに梅の花建国記念の日に撮影。






 

こちらは東京の開花情報に使われる靖国神社のサクラの木。
国家公認の同期の桜。あともう少しのお待ち。
(2016年2月10日撮影)









 海を渡るジャンボ・ジェット機に乗って
 アメリカを見にいきたいな
 カリフォルニア・ガールズを見てみたいな
 実現するとうれしいけれど
 でも、そのために私ができることといったら...?

    「ブレックファスト・イン・アメリカ」  スーパートランプ











 We don't need no education.
 We don't need no thought control.

   ”Another Brick In The Wall, Part II”  Pink Floyd































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