おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

バック・ビート  (第988回)

 ロックに定義はない。漫画のケンヂはそう言った。でも、そういう名の音楽のジャンルは確かに、少なくとも昔はあった。定義がないのにジャンルがあるということは、それなりの法則性や傾向というものがあるのだろう。それに沿って、最後は主観で決めてよいらしく、ケンヂも「俺はロックとは呼ばない」と断り書き付きで、こきおろしてしている。

 なぜ、わざわざロックではないと言わないといけないかというと、ともだちコンサートのステージ上でバンドが歌っている曲の歌詞に、「ロック」という言葉が頻出しているからだ。編成も一般的なロック・バンドのようなのだが、彼が許せないのは「手をつなごう」と叫ぶ歌手と、手をつないで喜んでいる観客のハンド・イン・ハンド状態が気に入らないからだ。

 映画でもおおむね同じような展開だが、主人公のセリフは「これがロックかよ」という反語の表現にとどまっている。思うに、漫画ではすでに真夜中のエレキ・ギターを弾いてロック・モードに入りつつある段階でコンサートに来たのだが、映画では順番が逆で演奏よりも先にコンサート。気合いの差であろうか。


 ずっと前に小欄では、なんとかしてロックの定義的なものを示そうと悪戦苦闘し、特にフォークとの対比において、以下のごとく書いた。ロックの特徴はエレキと攻撃的な歌詞で、フォークはアコースティックで自虐的な歌詞。しかし、これは例外が多すぎる。

 ボブ・ディランはフォークの神様と伺っているし(洋服を着たブッダと言われたこともあるらしい)、ロックンローラーと呼ぶ人はまずいないだろうが、往々にして彼の歌詞は攻撃性を持つし、エレクトリック・サウンドに変貌していった。ジョン・レノンジミー・ペイジエリック・クラプトンも、アコースティック・ギターで何曲も録音している。


 ところで、ロックだけではないにしろ、その特徴としてバック・ビートを挙げることはできる。二拍子目や四拍子目などの偶数拍に、アクセントを置く。たいていドラムの役割。一方、日本の歌は伝統的に逆で、民謡も童謡も奇数のほうである。

 特に最初の拍が強いので「頭打ち」とも呼ぶ。東京音頭も、お座敷小唄も、黒田節も、足柄山の金太郎もみんなそうだ。このため夕焼け小焼けの赤とんぼでは、「赤とんぼ」が日本語離れしたアクセントになっている。みなさんの校歌はいかがでしょうか。校歌ほどアドリブ無しで歌い継がれる曲も少ない。古い学校なら頭打ちだと思います。


 四半世紀ほどまえアメリカに赴任する際、映画「20世紀少年」にテレビのコメンテーターか何かで出演していたデーブ・スペクターの本を読んだことがある。彼の少年時代の日本は、まだ高度経済成長が本格化しておらず、「メイド・イン・ジャパン」は米国において安物の代名詞であったそうだ。そう書いてある人形をもらった家族だか親戚だかの少女が、ガッカリして泣いてしまったらしい。

 この「Made in Japan」を堂々とアルバムのタイトルにして発表したのがディープ・パープル。東京と大阪で録音されたライブは1972年8月のツアーだから、「狼たちの午後」の銀行強盗と同じ月に行なわれたものだ。ただし、日本国内では「ライブ・イン・ジャパン」という名で発売されている。


 このライブ・アルバムの音響が優れもので、メイド・イン・ジャパンの高品質は、工業製品のみにあらずという証しになった。それは良しとして、大阪の観客が天下のリッチー・ブラックモアを困らせたという稀有の事態があったことの証拠まで後世に残した。

 リッチーのソロは、和音もリズムもぶっとばす自由奔放な演奏が多いが、意外とリフは堅実である。私ごときまでがフォーク・ギターでマネをした「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のイントロもその一つ。他の楽器がかぶさるのを待つ。しかし、この日本のライブでは数小節目で一旦、フェルマータ(?)に変調し、出直している様子を今でも聴くことができる。


 これは渋谷陽一氏の解説が簡明なので、そのまま引用すると「最初リッチー・ブラックモアのギターで始まるのだが、聴衆の拍手のリズムが民謡風の頭打ちなので曲に合わず、わざわざ拍手に合わせてリズムを替え」たのだ。その間、愛すべき日本の聴衆はメトロノームのように、正確な手拍子を生真面目に続けていたのである。ようやくパープルは、アフター・ビートに乗った。

 この程度のご愛敬で済んだため、このライブ・アルバムは世界中で売れた。すでに、ビートルズが武道館で初めてコンサートを開いて右翼を怒らせ、ボブ・ディランも同じ場所で歌った録音をレコードにしていたが、先輩を押しのけて日本でのライブ・アルバムの代表作になった。この「行き当たりばったり感」が、つまり、ロックである。予定調和で、手をつないでいては駄目なのだよ。


 映画のステージでは、どこのどなた達か存じ上げないが、こういう役回りを受けて立つとは、さすがロック・バンドである。ツイン・ヴォーカルも、ちゃんとハーモニーを聞かせているではないか。私が音楽の授業でコーラスを習わされたのは小学校三年生のとき。しかし、ジャニーズもAKBらも輪唱すらしない。たぶん、誰も聴いていないと思っているからだろう。

 今回の記事を書く前に、久しぶりにロバート・ジョンソンを聴いた。すごい。前に聴いたときより、ずっと良いと思った。ギターを楽器一つのオーケストラと呼ぶことがあるが、実際はたいてい楽器一つのままだ。だがジョンソンはアコースティック・ギター一本で、いみじくもキース・リチャーズがバッハのようだと評価していたとおり、多彩な演奏を繰り広げている。


 しかし、彼の時代にロックとかロック&ロールという言葉は無かったろう。では、どこからか、いつからか。かつて1955年の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の名を挙げた。大きな間違いではないと思うが、今の日本では知る人も少なくなっただろう。

 やっぱり、象徴的な存在といえばエルビスなんだろうな。プレスリーのシングルで初めてヒット・チャートの一位になったのは、「ハートブレイク・ホテル」である。歌っている間、バックの演奏はベース・ギター中心という変則的なもので、歌詞は日本の四畳半フォークのごときものだが、これで打って出る精神こそがロックというものに違いない。






(この稿おわり)






悪魔と出会える西日暮里の十字路
(2016年2月21日撮影)





その近くで咲いていた梅の花 








 That's why I go for that rock and roll music.
 Any old way you choose it.

     ”Rock And Roll Music”   Chuck Berry

 「ロックには、こうあらねばならないなんて決まりはない。」











 そっとしときよ みんな孤独で辛い
 黙って夜明けまで ギターを弾こうよ

   「真夜中のギター」  千賀かほる
























































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