おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

カレーの匂い (20世紀少年 第584回)

 第17集の61ページ目にサナエとカツオの姉弟がちょいと出てくる。サナエが前でリヤカーを引き、カツオが後ろから押している。サナエは中川先輩やカンナから教わった歌を歌っている。

 カツオは前と違うテレビを持って帰ったら怒られるかなとか、グレート・アントニオのオッチョさんはどうなっただろうかとか、あれこれ心配しているのだが、サナエはグータララの箇所を繰り返すばかりで返事をしない。だが、彼女の顔色をみるとサナエもやはり気にかかっているのだろう。


 「さっきから歌っている歌、なんだ、それ」というカツオの質問に、姉はバイトの先輩が歌っていた歌だと先ずは端的に事実を語る。カツオは変な歌だなと言いながら、試しに最後のリフレインを真似してうたったところ、「なんか元気になる」歌であることを知ってよろこんでいる。
 
 サナエは「もしかするとすごく大事な歌かもしれない」と、すごく大事なことを言った。彼女は「オッチョさんが言ってた、普通に生きるのは大事なことだって」というアドバイスと、この曲の歌詞を考えあわせているのだ。彼女はもう一度、初めから歌いだす。


 カツオは「カレーの匂いがしてる」に触発されて、じいちゃんが前に言っていた言葉を思い出している。彼も私と同じく、お祖父ちゃん子なのだ。いわく、「牛肉のカレー、すんげーうまいんだってさ」。うん、美味い。そういえばカツオは神様のコンビーフを食べさせてもらったかな。

 再び二人は地球防衛軍の醜悪な建物の近くを通りすぎている。これからサナエとカツオは普通に生きる暮らしに戻るのだ。だが、まだ世の中が普通ではない。いま二人が唄っている曲を作詞作曲したシンガー・ソングライターが、地球を守るために東京に戻るまで、もうしばらくの辛抱だ。そうなれば、カツオよ、ビフテキも牛肉のカレーも好きなだけ食えるようになる。


 サナエは氷の女王のもとを訪れたとき、オッチョや神様の「嫌な予感」については聞かされていなかったようで、初めて寿楽庵でカンナの名を知った。このためサナエはオッチョとカンナが古い知り合いであることを知らず(二人の初対面は2000年だから、ちょうどサナエが生まれたころだろう)、カンナもオッチョの動向はおろか生死すら知らなかった。

 第22ページで約2年ぶりになるであろう再会を果たした両者だが、オッチョはもちろん、カンナの表情もおそろしく固い。オッチョおじさんは新宿の教会で暗殺者から彼女を救った命の恩人のはずだが、これは恩のあるに向ける顔つきではない。負けるもんかと顔に書いてある。


 その続きは第32ページ。武器弾薬を運ぶ若者たちを見ながら、いっぱしのテロ集団だなとオッチョは辛辣な感想を述べた。お前がこんなことをやってるとは、思ってもみなかったというオッチョに対し、オッチョおじさんこそ、生きているとは思わなかったとカンナは言う。

 壁を乗り越えて侵入した人間がいるという噂をカンナも耳にしていたそうで、「オッチョおじさんなら可能よね」と感慨を新たにしている。しかし、比較的、穏やかな会話はここまでだった。ヨシツネと行動を共にしていたんじゃなかったのかというオッチョの問いに対し、カンナは「生ぬるいのよ、ゲンジ一派は」と突き放すかのように言った。


 おそらく、これでオッチョはようやくゲンジ一派が予想通りヨシツネの組織であり、ヨシツネ隊長の無事も併せて確認できたと思うのだが、オッチョの表情は厳しいままだ。カンナによるとゲンジ一派の活動は、主に政治犯をかくまったり、不当逮捕された者を逃したりしているらしい。

 それも彼女に言わせると、砂漠の中で豆粒を拾っているようなものであり、救出のたびにお涙頂戴の家族の再会劇である。「そんなものにメソメソしているヒマなんかないのよ」とカンナは言った。「私はもう泣かない」とも言ったが、この誓いは守れなかった。取りつく島もないと思ったのだろうか、オッチョは話題を変えた。なぜ武装蜂起は8月20日なのか。



(この項おわり)




上野公園の日没 (2012年12月21日撮影)






































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