おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

忍者ハットリ君  (第990回)

 映画のコンサート会場の外壁に、「BLITZ」という表示がある。このライブ・ハウスがあった横浜みなとみらいの映画館で、何回かロード・ショウを観たものだが、諸施設も今はもうほどんど営業していないらしい。ライブ会場も映画館も、信じがたいことだが私より年上が多いことも珍しくない時代になった。

 手をつなごうとする周囲のサークル会員を振り切って、ケンヂは後生大事に抱えて来たレザーぢゅうを構えて振り回した。わたくし素人ながらレーザー光線は、こういうふうに反動に備えなくても大丈夫ではないかと推測します。後に射撃の姿勢は、銃器の効力にすら関係ないことが分かる。でも、観衆は不気味なので逃げた。よく見れば通常の銃口すらないのだが、こればっかりは銃撃の構えが功を奏したか。

 
 唐沢ケンヂはそのあとステージに上がろうとして失敗し、腹を打って「いて」と叫んだあとで壇上に登った。会場は広いが、幸いボーカリストが目玉マークのリングをはめた指で、ハンド・マイクを握っている。そいつをひったくって、ほぼ漫画と同じ長広舌を振るう。昨日、俺のコンビニを焼いたという最新情報も含めている。

 なぜか会場がどよめき、衆人の見つめる先を振り仰ぐと、上から人が下りて来た。マンガによると”ともだち”は重力にとらわれないのだが、ニュートンによると重力にとらわれないなら質量がないはずであり、アインシュタインによると質量がないということはエネルギーも無いらしい。他人をだます以外は、無力で虚無の人であった。


 忍者ハットリ君のお面については、もう語りつくしたかと思っていたが、まだ残りがありました。”ともだち”の一張羅のスーツの色は、ずっとグレーだと勝手に決め込んでおった。自分がグレー好きというのもあるのだが、何せ漫画がグレーにしか見えないからだ。しかし、映画では日本人が似合う紺を着ている。ネクタイもカラー・コーディネートされている。

 この配色は当を得ており、というのも本家の忍者ハットリ君が青い衣装だからだ。これはお面の上部にある頭巾と思われる部分の色も同じ。忍者のくせに、こんな目の覚めるようなスカイ・ブルーでいいのかとも思うが、何も忍者は隠密ばかりではない。欧米のスパイも同様である。

 
 ジェームズ・ボンドが好例だな。常に素顔で本名を名乗り(あれが素顔で本名ならばだが)、派手なボンドカーで派手なボンドガールを連れまわし、手袋をしているのを見た覚えがないので、至る所に指紋を残している。アメリカには亀のニンジャまでいた。日本では日露戦争時の明石元二郎がこれに近いか。スパイというより工作員と呼んだ方が、しっくりくる存在である。

 ボンドも明石も、夙のカムイのような神出鬼没の者ではない。ジェームズ・ボンドは、「スカイフォール」で鬼上司のMが書いていた死亡推定報告書によると、英国国防省の海軍のコマンダー(中佐)が表向きの所属・肩書である。これとよく似た存在が、忍者ハットリ君の先祖またはモデルの服部半蔵と言っていいのだろう、たぶん。


 コミックス第2集に、定価60円時代の少年サンデーの表紙絵が出てくる。モデルはたぶん田淵幸一。その連載マンガの中には、水木しげる河童の三平」の名がある。水木さん、長い間、ありがとうございました。ノーベル文学賞、間に合わなかったですね。そして、白土三平(河童と同じ名か)の「サスケ」もある。

 この両者はマンガで読んだ記憶があまりないのだが、テレビ・アニメはよく観ていたようで、いずれも主題歌を覚えている。忍法影分身に微塵隠れ。このサスケの先祖またはモデルの猿飛佐助や同業者の霧隠才蔵は、昔の漫画雑誌や小学館学年誌が、プロレスや地球滅亡と並んで盛んに特集を組んでいた忍者モノの常連であった。


 だから、「新八犬伝」に続き辻村ジュサブローの「真田十勇士」が始まったときだったか、それまで実在の人物と信じ切っていた猿飛佐助と霧隠才蔵が、架空の人物であったことをしたときは、ちょっとしたショックであった。地球滅亡も当面は架空でありますように。

 しかし、服部半蔵はそうではないらしいと聞いたのは、もう二十年以上も前になるが、皇太子ご夫妻のご成婚記念パレードの際で、確かNHKの中継だったと思う。皇居の上空にヘリを飛ばすとはなかなかの度胸であるが、そのカメラに映るご一行の車が半蔵門に差し掛かったところで、服部半蔵の屋敷があったのでこの名が付いたと言われているというアナウンスがあった。


 手元に江戸時代終期の絵地図があるが、半蔵門の近くに服部さんのお宅はない。引っ越したか。ともあれ、「言われている」のは事実なのだろう。半蔵門と言えば江戸城の裏口通用門であり、地下鉄も通る交通の要所。例の甲州街道は、ここが東の起点である。

 かように目立つ場所に屋敷があったということは、服部半蔵が忍びとか草とか呼ばれた夜行性で屋根裏を好む家守のようなお方ではなく、いわば徳川の情報将校のような役割であったかと推測致します。このため忍者ハットリ君も、原色の着衣で昼間から走り回っているのだ。


 寄り道おわり。映画のケンヂは、奇怪なお面を見せつけられ呆気に取られているうちに、「偉大な予言者にしてテロリスト」と紹介されてしまった。未だテロはやっていないと冤罪を主張できたはずなのだ。

 ところが、間もなくレザーぢゅうをお面に突き付けてしまい、しかも引き金を引いたため、後付けながら本物のテロリスト的になってしまった。ただし、試作品からは線香花火しか出ていない。


 さらに不幸は続き、カンナの父親を撃つことはできないだろうと言われ、既にお姉ちゃんの部屋であのマークを見ているケンヂは、これが嘘ではないと知った。

 それだけ知らされた後で、彼には大切な「役」があるから、傷ものにするなと言い残されて、ケンヂは運動会の球送りのように空中を転送されて会場外に放り出されている。そしてケンヂは「ハットリ」の名に気づくところがなかった。


 あとは余談。1973年の年明け、もうすぐ高校受験だというのに、いつも私にレコードを貸してくれる友人が、買ったばかりだというボブ・ディランの新譜を持ってきて聴けと言う。つい先日までジョン・レノンのファンだったのに、ディランは凄いから聴けという。遠藤ケンヂと話が合うだろうな。”Desire”(欲望)というアルバムであった。

 フォーク・シンガーだとばかり思っていたのに、不思議なサウンドを織り込んだ作品である。この中でボブ・ディランは、冤罪で19年間も刑務所に閉じ込められていたボクサーを取り上げている。ハリケーンの異名をとり、世界王者も夢ではなかった男。今ここにハリケーンの物語が始まるとボブ・ディランは力強く歌う。






(この稿おわり)






ご近所で毎年咲くサクラソウ。春近し。
(2016年2月26日撮影)








 Here comes the story of the Hurricane.
 The man the authorities came to blame
 for something that he never done,
 put him in a prison cell.
 But one time he could have been
 the champion of the world.

   ”Hurricane”   Bob Dylan







































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